守・破・【帰】2006年01月20日 01時20分

(レンブラント「放蕩息子の帰郷」)

 昨晩は今年2回目の剣道の稽古をすることができた。
いま指導していただいている剣道の先生との出会いについても機会があったら書いてみたいが、昨晩、剣道をした後で「守・破・離」について考えたので、きょうはそれについて書く。

 剣道に限ったことではないだろうが、「守・破・離」という言葉があり、「離」を目指して精進しなければならないということが良く言われる。師匠の教えをひたすら守るだけではなく、破ることによって独自の道を模索し、やがて師匠を離れて一つの流派を為すことができて初めて一人立ちできたことになるというわけだ。
 でも本当に離れることなど、できるのだろうか。師匠が偉大であればあるほど、それは難しいのではないか。
 昨日と一昨日の桐谷先生の話に戻すと、私は学生の間は「守」の段階であったので特に大きく悩むことなく過ごしたが、名古屋で先生の助手になってからは、どうしたら先生の殻を「破」り、独自の道を築いていくことができるだろうかと、悶々と悩んでいた。いろいろな要因が重なって、結局私は名古屋を離れて、全く別の道を歩むことにした。静岡で神戸の地震の揺れを感じたのは、ちょうどその曲がり角の失業時代のことだった。
 しかし、そうして桐谷先生から離れたつもりでいたのだが、先生の最後の任地となった広島から共同研究への参加を先生から何度も呼び掛けられ、結局また一緒に研究を行うことにした。先生の下を離れてから6年後か7年後のことだ。広島へ赴いた私に先生は、「ワシはしつこいんじゃよ」と言っていた。
 私は先生の下に帰り、再びいろいろ教えていただくことができた。「守」から「破」を経て、結局は「帰」となったのだ。でもこれが正しい道なのではないだろうか。「守」の存在が大きければ大きいほど、そこに帰っていくべきものなのだ。レンブラントの「放蕩息子の帰郷」に描かれている弟息子のように。

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