『重力ピエロ』を観て、風呂に入って2009年05月26日 09時00分

 サーカスの空中ブランコで、恐くてなかなか相手のブランコめがけて踏み出せないピエロが、意を決して空中に出て行くシーンが印象的でした。
 このシーンを見て、ヘンリ・ナウエンが『最後の日記』の中で、空中ブランコに強い関心を示していたことを思い起こしました。空中に飛び出して相手に受け取ってもらう方の人は、決して捕まえてくれる人の腕を自分からつかみにいってはダメで、ブランコ上から自分をつかんでくれる相手に全てをゆだねなければいけないのだそうです。その関係にナウエンは神と人との間にあるべき関係を見い出していました。つまり、人は神に全てをゆだねた時に初めて、すべてがうまく行くのです。自分の力で何とかしようという思いが入ると、狂いが生じます。ナウエンは空中ブランコに対する洞察を本にするために資料を集め、編集者と意見交換までしていましたが、結局、本格的に取り掛かる前に亡くなってしまいました。『重力ピエロ』を観て、ナウエンが思い巡らしていたことが、ほんの少しだけ分かった気がしました。

 そして晩にお風呂に入り、また一つ分かったことがあります。

 私たちがお風呂に入って心地良く感じるのは、お湯の温かさもありますが、水の浮力により、重力から解放されるからなのですね。映画の中の「楽しそうに生きてれば、地球の重力なんて消してしまえる」は心に残るセリフでした。映画では家族の愛が重力を消すことを示していましたが、その愛は神に源を発します。ヨハネの手紙第一の4章12節の下記の聖句を心にとどめたく思います。

「もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」

 映画の主人公の兄弟のその後を、神様が正しく導いて行ってくださることを信じたく思います。

『愛されている者の生活』2006年02月08日 00時17分

 実は週末はインフルエンザか何か分からないが熱が出て調子が悪かった。眠り過ぎてこれ以上は眠れないが、布団から出るのもしんどいと思った時、本が読みたくなった。心がやさしくなれる本が良いと思った。それで、部屋の隅に積んである本の山を崩して探したところ、ヘンリ・ナーウェン著『愛されている者の生活』小渕春夫訳(あめんどう)が目に留まったので、読み始めた。この本はあまり厚くないし、字も大きいのが病人にも読みやすかった。以前一回読んだことがあると思うのだが、情けないことに内容はすっかり忘れていた。
 ヘンリ・ナウエンはエール大学、ハーバード大学等で神学の教鞭を取るなど、主としてエリートを相手に生きてきた人だが、亡くなるまでの10年間は知的障害を持つ人達のコミュニティの中で生活する道を選んだ人だ。
 この本のサブタイトルは「世俗社会に生きる友のために」であり、フレッドというナウエンの友人のために書かれた本だ。結局、この本はフレッドの心には響かなかったと、この本のエピローグでナウエンは告白しているが、私の心にはしっかりと響いた。しかし、日々の生活で忙しく過ごすうちに、すぐまた本書の内容を忘れてしまうかもしれない。今回は忘れないようにしっかり頭に叩き込んでおきたい。

 「才能と賜物の区別には意味があります。私たちに与えられている賜物は、才能より重要です。私たちは少ない才能しか持っていませんが、賜物はたくさん持っています。私たちの賜物は、私たちの人間性をさまざまな手段で表わすものであり、私たちが何者であるかを表わすものです。すなわち、友情、親切、忍耐、喜び、平和、赦し、柔和、愛、希望、信頼、そのほか多くのもの。これらは、私たちが互いに与え合うべき真の賜物です。
 どういうわけか、私はこのことをずっと以前から知っていました。とくに、これらの賜物の持つ、大いなる癒しの力を個人的に経験したことによって。しかし知的ハンディを持つ人々のコミュニティで生活するようになってから、私はこの単純な真実を再発見しました。ここに住む人は、すべての人がそうでないにしても、誇れるような才能を持っていません。お金を稼いだり、自由市場で競ったり、賞を取ったりして、社会に貢献できる人はほとんどいません。しかし、彼らの賜物は、何と眩(まばゆ)いことでしょう!」(『愛されている者の生活』 p.125-126)