『牧師夫人 新島八重』2013年02月05日 14時36分


 いろいろな人々の人生が絡まっている様子を、本人たちが書き残した文章から生の声を引用しながら生々しく綴る、とても面白く読めた本でした。新島八重と新島襄の二人の生涯だけでなく、兄・山本覚馬の京都の妻の娘・久栄に徳富蘆花が大失恋した顛末などが詳しく描かれていて興味深かったです ^^;

 さらにこの本には、大山捨松のことも、かなり詳しく描かれています。捨松は八重と同じ会津出身の女性で、津田梅子らと共に官費で10年間のアメリカ留学をした女子留学生の一人でした。帰国後、大山巌に見そめられて大山夫人となり、鹿鳴館の花として活躍しますが、夫の大山巌は薩摩の出身で、会津戦争の時には砲兵長として鶴ヶ城に砲弾を撃ち込んでいた張本人です。その時、八重だけでなく捨松も鶴ヶ城に籠城していたそうです。

 2011年の年末に観たNHKドラマの『坂の上の雲』の大山巌を思い出しながら、大山元帥にはそんな過去を持つ夫人がいたのかと思い、いろいろな人々の人生が絡み合っていることに、人の世の不思議さを感じました。

世界が一つになるために2013年01月22日 11時35分


 アルジェリアの事件では犯人側だけではなく人質側でも多くの方々が死亡したことが明らかになって来ました。

 いま世界は平和からどんどん遠ざかり、混乱の方向へと向かっているようです。そして主要な原因の一つに宗教間の対立があることは残念でなりません。今のままではこの対立を無くすことは極めて難しいでしょう。しかし、私は大きな希望を持っています。その希望の拠り所は、私たちの大半が理性においては誤った時間観を持っている可能性が高いということです。時間とはどのようなものかについて全人類が考え直す機会を持つなら、少なくとも今よりは平和な世界が実現できるであろうという希望を私は持っています。誤った時間観のもとで宗教を理解するなら、その宗教に対する理解も間違っている可能性が高いのです。キリスト教徒もユダヤ教徒もイスラム教徒も仏教徒も、ほとんどの者が誤った時間観を持っており、従って自分の宗教をあまり正しく理解できていないのではないかと思います。

 長い時間、静かな環境に身を置いて神仏に祈る時、或いは瞑想する時、私たちは時間を忘れます。しかし、祈り・瞑想を終えて日常に戻って行く時、時間に縛られた生活を再開します。何時何分までに何々をしなければならない、そういう忙しい生活に戻ります。祈り、瞑想している時の時間と忙しく働いている時の時間と、どちらの時間が本来の時間に近いでしょうか。それは祈り・瞑想している時でしょう(ルカ10:38~42)。それなのに、私たちが宗教について理屈をこねる時は祈り・瞑想から離れている時です。すると誤った時間観の中で宗教について考察することになります。ここに間違いが生じる原因があるように思います。私たちが祈り・瞑想する時、私たちはどのような時間の中にいるのか、まずはこの点を明らかにして行くことが、少しでも宗教間の対立を無くしていく道筋ではないだろうかと私は考えます。

 アインシュタインの相対性理論と量子力学は、19世紀までの時間・空間観を修正する必要があることを示しました。しかし、私たちの日常生活における時間・空間観は相変わらず19世紀までのままであると言えるでしょう。相対性理論と量子力学が示す時間と空間はどのようなものかを知るのに、上の写真で示したブライアン・グリーン著『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』・上巻はとても役に立つと思います。そして祈り・瞑想している時の時間がどのようなものかを考察する上で良いヒントを与えてくれるだろうと思います。

 19世紀までの時間・空間観を否定した上で、それぞれが信じる宗教の正典に書かれている内容について思いを巡らすなら、きっと大きな成果が得られるであろうと思います。私はキリスト教を信じていますから、聖書を19世紀までの時間・空間観を排して読むようにして、既に大いに恵まれています。今までの私の説明の仕方が下手であったために、周囲の人々に十分に理解していただくには至っていませんが、これからも粘り強く、このことを続けて行こうと思います。そして、そのことにより世界が一つになる方向に向かって行って欲しいと願っています。

Kindle2013年01月18日 16時16分


 母教会の牧師の藤本先生が新しい本を出したというので、さっそく買おうと思ったら、Kindle版だとか。でも、PCにインストールしてある米アマゾンのKindle for PCで読めるんでしょ、と安易に考えていたら、日本のアマゾンから販売しているKindle版の電子書籍はPCでは読めないらしいと分かり、なんでや~!と怒りました ^^; スマホやタブレット端末を持っていればKindle 本体が無くても読めるらしいのですが、私はどれも持っていないからです。

 中古車を譲っていただいて、保険代等、そっちの出費も少しあったので新しい買い物をするのを躊躇しましたが、結局、Kindle Paperwhiteを買っちゃいました ^^

 結果、買って良かったと思いました。これから、大いに活用しようと思います。以下、気に入った点です。

①Kindleストアに大量の無料本が置いてあること。
 アマゾンのKindleストアの無料本のカテゴリには45,620件とあります。夏目漱石が一番人気のようです。『坊ちゃん』、『吾輩は猫である』、『こころ』、『三四郎』、『それから』、『門』、・・・どれも皆、無料です。これはすごいですね。早速、大好きだった『三四郎』を0円でダウンロードして、藤本先生の本と交互に読んでいます ^^ 途中で中断して他の本を読み、また戻って来た時は中断したページから表示してくれるので、ありがたいです。

②暗い所でも読めること
 私は寝転んで本を読むのが好きなのですが、その場合、明るい方向に本を向けないと暗くて読めません。それゆえ、自ずと体を横にする方向が限られてしまいます。でもKindleならバックライトでパネルが明るいので、どんな姿勢でも明るく読めます。これは、ありがたいです。それから、以前、米アマゾンで買ってノートPCで読んでいた電子書も読めるので、これもありがたいです。ノートPCを寝転んで読むことはできませんから ^^

③旅行中・帰省中に読む本もKindle一つでOK
 旅行する時など、どの本を持って行くか悩むことがありますが、無料本をたくさん入れておけば、もう本を持ち歩かなくてもよくなります。これもありがたいです。

 時間ができたら、無料本に何が置いてあるか、じっくり調べてみたいと思います。

『東京難民』2013年01月15日 09時07分


 佐々部監督が現在撮影中の次回作の原作、『東京難民』(福澤徹三・著)の古書を買って読みました。

 以前、東京の職場に勤めていた時には、高い新品と安い古書の両方が入手可能な場合、例外なく必ず新品を買っていました。古書は前の人の使用感が気になって買う気がしなかったのです。ただし絶版になった古い本で古書しか手に入らない場合には、仕方なく古書を買っていました。

 今は節約のため、高い新品と安い古書の両方が入手可能な場合は、ぼぼ例外なく古書を買います。前の人の使用感もほとんど気にならなくなりました。そう意味では『東京難民』の主人公が落ちて行く過程と少し重なる部分もあるかなと思いました。

 さて『東京難民』ですが、私は職業柄、ババさんのことが非常に気になりましたが、ババさんの掘り下げが中途半端だったなと、読後に少し物足りなさを感じました。そして著者の立ち位置も、ババさんを尊敬する人々の側なのか、そうでない側なのか不明なのも気になりました。それゆえ主人公の行動について著者自身はどう考え、特に最後の主人公の選択も著者がどういう思いを持ってそのようにしたのか、今ひとつ分からず、モヤモヤ感が残りました。

 佐々部監督の映画では、どのような結末になるのでしょうか。楽しみに完成と公開を待ちたいと思います。

細川ガラシャ2011年09月19日 09時51分


 大河ドラマの『江』を見ていて、細川ガラシャの信仰に興味を持ったので、ネットで三浦綾子『細川ガラシャ夫人』の一冊1円 ^^ の古書を買いました。一気に読む時間はありませんが、できるだけ早く読み終えたく思っています。

 小説では、他に永井路子も細川ガラシャについて書いているようです。しかし、信仰に興味があるので、三浦綾子にしました。さきほど届いた本をパラパラとめくってみると、さすが三浦綾子、下巻ではかなり信仰のことに踏み込んでいるようです。

 それで、三浦綾子を読み終えたら、永井路子も読みたいなと、いま急に思い始めています。永井路子の『朱なる十字架』は、細川ガラシャの信仰をどのように描いているのか、急に気になってきました ^^;

 というわけで、永井路子の『朱なる十字架』も、さっそくクリック! ^^

『神を信じて何になるのか』2011年06月22日 23時48分


 6月10日増刷の本がやっと届いたので、ようやく読むことが出来ました。5月1日発行ということで、随分前から予約を受け付けていました。フィリップ・ヤンシーの本はどれも恵まれるので、当然予約したかったのですが、いつまで京都にいるのか、なかなかハッキリしなかったので、予約できませんでした。結局、5月3日に京都を離れることになったので、姫路に落ち着いたら注文することにしたのですが、5月に発売と同時に品切れになっちゃったのでした ^^;

 この本もまた、とても恵まれる本でした。特に「ゆるすこと」がテーマの章、アメリカの銃乱射事件や南アフリカのアパルトヘイトの被害者が加害者をゆるす、と話している個所は圧巻でした。イエス・キリストが内に住んでいなければ、できないことです。

 イエス・キリストの恵みをどうやったら人に伝えることができるのか、随分前から考えていますが、ごく最近になって、天の父の愛を伝えなければ、子のイエスの恵みも伝えられないだろうということに気付きました。

 「ゆるすこと」も、まず天の父の大きな愛により自分自身もゆるされていることを自覚することが前提となります。そして身代わりになったイエスの苦しみを理解するなら、自分も人をゆるさなければならないのですが、これは容易なことではないでしょう。しかし実際に、自分をひどい目に遭わせた加害者をゆるすことができる人たちが存在することは、本当に素晴らしいことです。これはイエス・キリストの愛だけではなく、天の父の大きな愛も分かっていなければできないことだと思います。

 天の父の大きな愛を私はまだまだ分かっていないようですが、分かっていないことが分かっただけでも良かったです。

『複眼の映像』を読んで2011年06月20日 23時15分

 昨日の日曜日の夜、チル友さんが姫路を通るというので、姫路駅で会い、しばらく楽しい時を過ごしました。姫路駅の駅ビル内には大きな本屋があるので、少し早めに行って、佐々部監督が日記で紹介していた橋本忍『複眼の映像 私と黒澤明』を買い求めました。今日はそれを読みました。

 『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』などで黒澤明監督らと脚本を共同執筆した著者の体験談と黒澤明論は大変に興味深かったです。著者の橋本氏の出身地が姫路の近くということで、いま私が住んでいる姫路が多く登場するのも親しみが持てました。

 しかし、最も印象に残った箇所を一つ挙げるなら、橋本氏と黒澤明監督とのやり取りではなく、橋本氏の脚本の師匠である伊丹万作監督とのやりとりです。

 伊丹氏は、オリジナルの脚本ばかり書く橋本氏に原作物に興味はないのか聞き、そして、

「原作物に手をつける場合には、どんな心構えが必要と思うかね」

と聞きました。それに対して橋本氏は、原作を牛に例え、

「一撃で殺さないといけないんです。そして鋭利な刃物で頸動脈を切り、流れ出す血をバケツに受け、それを持って帰り、仕事をするんです。原作の姿や形はどうでもいい、欲しいのは生血だけなんです」

と答えました。すると、伊丹氏は、

「君の言う通りかも…しれない。…しかし、橋本君、この世には殺したりはせず、一緒に心中しなければいけない原作もあるんだよ」

と答えたと、橋本氏は回想しています。

 「原作と心中する」とはどういうことでしょうか。私流に解釈するなら、原作の著者と共に苦しみ、原作と共に死ぬことで、原作に宿る霊を自分の内に取り込むことができる、という意味ではないかと思いました。

 それは、聖書を語る場合には、まさにそれが必要だからです。聖書を生き生きと語るには、語る者がまず十字架上のイエス・キリストと一体になり、共に苦しみ、そして死ななければなりません。これは簡単なことではありませんが、私自身もそのようにならなければいけないことです。どうすればイエス・キリストと一体になれるか、日々祈り求めながら模索しています。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私がこの世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
(新約聖書・ガラテヤ人への手紙2章20節)

ナルホド、意識は錯覚かも…2011年05月25日 01時13分


 【意識】は脳科学・認知科学ではどのように解釈されているかの入門書、スーザン・ブラックモア著『意識』(岩波書店)をとても興味深く読みました。意識についてのいろいろな解釈を分かりやすく解説してあって、とても良い学びになりました。

 意識をどう解釈するか様々な説がある中で、どうやら著者は、「意識が存在するかのように思えるのは錯覚で、現実には存在しない」という説を支持しているようです。意識が存在しないのだから、「ハード・プロブレム」、すなわち物理的な脳からどうして意識が生じるのかという難しい問題も存在しないというわけです。

 本には、病気や事故で脳の一部の機能が失われている患者の知覚のことや心理学の実験結果など、錯覚の事例が数多く紹介されています。この本には書いてありませんが、映画も錯覚を楽しんでいるわけですね。静止画像を次々に映して動画として見せているわけですし、画面の外側には照明や録音マイクやカメラがあることを多くの観客は知っていながらも、それを意識することなく画面に引き込まれているわけです。

 著者は霊や魂の存在は全く信じていませんから、無神論者でしょう。しかし、その著者が支持する「意識は錯覚であろう」という考え方は案外、聖書的かもしれません。聖書を信じる私も全く違う立場からではありますが、「確かに意識は錯覚かも」と、この本を読んで思うようになりました。

 聖書によれば、この地上の世界は悪魔が支配しています。C.S.ルイスの『悪魔の手紙』を読むと良くわかりますが、悪魔はあの手この手を使って人を神から遠ざけ、人が神を信じないように頑張っています。『意識』の著者のように神の存在を一蹴する本を書いている人間に対しては、悪魔はきっと大喝采を送っていることでしょう。人間は本来は創造主である神の方を向いていなければならないのに、悪魔の妨害により多くの人には神が見えなくなっています。つまり悪魔が人間に思い込ませている「神がいない世界」は、錯覚の世界なのですね。

 『ナルニア国物語』で有名なC.S.ルイスが『悪魔の手紙』の序文に書いた次の言葉は重いです。

「悪魔に関して人間は二つの誤謬におちいる可能性がある。その二つは逆方向だが、同じように誤りである。すなわち、そのひとつは悪魔の存在を信じないことであり、他はこれを信じて、過度の、そして不健全な興味を覚えることである。悪魔どもはこの二つを同じくらい喜ぶ。すなわち、唯物主義者と魔法使いとを同じようにもろ手を挙げて歓迎する。」

 唯物主義者も魔法使いも、どちらも神の方を向いていません。

人はなぜ苦しむか2011年05月23日 09時59分

 今まで気付きませんでしたが、「人はなぜ精神的に悩み、苦しむのか」という問いに対して、私の立場からは実に簡単に答えられることに、本(下の参考図書)を読んでいて気付きました。

 【意識】が自分の中にあることを、ほとんどの人は気付いていると思います。この意識は創造主である神が与えたものですから、「意識が神から離れるから苦しいのだ」、これが答えです。

 つまり有神論の立場に立つなら、自分の意識が神に近ければ苦しみは少ないのです。もちろん実際問題としては、どうしたら意識を神に近づけられるかなど、難しい問題がいろいろとあると思います。でも理屈としては実に単純ではないでしょうか。
 無神論の立場から、物質的な脳からどのようにして意識という非物質的なものが生まれるのかを科学的に(脳科学や認知科学に基づいて)説明するのは大変に難しい問題で、「意識のハード・プロブレム」と呼ぶのだそうです。私からすれば出発点が間違っているだけの話ですが、面白そうなのでAmazonで何冊か【意識】の研究の入門本を何冊か注文して、これから勉強してみようと思います。

 【意識】は目に見えませんが、【意識】が存在することは誰でも知っています。
 【神】も目に見えませんが、【神】が存在することは誰でも知っているわけではありません。

 どうしたら人の【意識】が創造主である【神】に向くか、意識についての学びからヒントが得られると良いなと思っています。

参考図書
・アーヴィン・ラズロ『生ける宇宙』(吉田三知世・訳)日本教文社 2010
・リー・ストロベル『宇宙は神が造ったのか?』(峯岸麻子・訳)いのちのことば社 2009.

『単独行者』~新・加藤文太郎伝~2010年11月11日 10時09分


 単独行の加藤文太郎が主人公の『孤高の人』(新田次郎・著)を初めて読んだのは、確か中学生の頃でした。当時、山歩きが好きだった高校生の兄がこの本にほれ込んでいた影響で私も読み、中学生ながら夢中になって読みました。何年か前に兄は、この『孤高の人』が兄の読書人生の歴代ナンバー1だと話していたので、たぶん今でもそうではないかと思います。

 そんなこともあって、この加藤文太郎についての新しい小説『単独行者』(谷甲州・著)が出版されたことを知り、是非読みたいと思っていました。なかなか時間が取れないうちに11月になってしまいましたが、今月に入ってから少しずつ読み始め、一昨日読み終わりました。いや~、面白かったです。そして勇気をもらいました。

 登山と言えば荷上げ人夫や案内人を雇い、パーティーを組むのが当たり前だった昭和初期、単独行は危険だから止めるべきだと批判的な目で見られて加藤文太郎は悩みます。しかし、悩みながらも加藤文太郎は単独行を貫きました。『孤高の人』の記憶は曖昧ですが、『単独行者』の方がこの加藤の苦悩を色濃く描いていると思いました。

 私自身も従来の常識になじめない性質であると、この頃つくづく思います。金属の研究をしていた時もそうでしたが、聖書を深く学んでいる今も、特に「ヨハネの福音書」においては、従来の解釈と私の解釈は一致しません。へそ曲りだから敢えて常識と違うことを考えるのかと思っていましたが、どうもそうではなく、私は自然と他と違うことを考える傾向にあるようです。しかし、それだけに理解されないことも多いです。

 そんな私にこの『単独行者』は多大な勇気を与えてくれました。感謝です。