霊的に低調だったイザヤ以前の南王国 (連載13)2012年06月29日 07時48分

 今回はヨハネ5章について考えます。ヨハネ5章の舞台裏も難解で私を悩ませましたが、この連載を始めて以来、ヨハネの福音書は「ことば(ロゴス)」で一貫して解釈すべきという重要な指針が与えられたので、だいぶスッキリと理解できるようになった気がします。

 ヨハネ5章1節に「イエスはエルサレムに上られた」とあるので、ヨハネ5章の舞台裏は南王国です。それ以前の4章が南北分裂時からエリヤまでの北王国、以降の6章がエリシャの時代からサマリヤ滅亡までの北王国ですから、5章は概ね、北王国でエリヤ~エリシャが預言していた頃の南王国の時代と考えるべきでしょう。

 南王国のどの時代かを、さらに絞り込む上でヒントになるのが、「そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた」(5章5節)の「三十八」という数字のはずです。では、その「38」が一体どの時代を指すのか、私は半年以上悩みましたが、ある時、ふと次の歴代誌の記述が目に留まりました。

「それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。」(歴代誌第二16章12節)

 この「三十九」という数字がヨハネ5章の「三十八」と関係がありそうです。つまりヨハネ5章の病人は38年間歩けませんでしたが、39年目に歩けるようになりました。一方、舞台裏のアサ王は39年目に歩けなくなったのでした。

 さてしかし、アサ王は善王/悪王の分類で言えば善王ですから、歩けなくなる前の38年間の善政を病人と重ねるのは違和感がありますね。そこで、「ことば」の出番となります。善政と言っても、結局は聖書の「ことば」、つまり律法を表面的にしか捉えていなかったということではないでしょうか。イエスの時代のユダヤ人たちも律法をきちんと守っていましたが、それは表面的に守っているだけで、隣人を愛することはできていませんでした(ヨハネ5章のユダヤ人たちは、イエスが安息日に病人を癒したことを批判しています)。

 北王国が繁栄していた時代の南王国には北のエリヤ・エリシャ・ホセア・アモスのような特筆すべき預言者がいませんでした(アモスは南の出身ですが、北で預言しました)。南に優れた預言者が現れたのは、ようやくイザヤの時代になってからでした。ヨハネ5章で38年間も病気にかかっていた人は、そのように霊的に低調だった南王国の時代の象徴なのだろうと思います。(続く)

(「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」13)

いのちのパン (連載12)2012年06月26日 09時22分

 ヨハネ6章でイエスは「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」(6章27節)と言いました。そして、「わたしはいのちのパンです」(6章48節)と言いました。この「いのちのパン」も「ことば(ロゴス)」で解釈すると、わかりやすくなります。

 イエスは「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます」(ヨハネ6章51節)と言いました。パンであるイエスは「ことば」ですから、「パンを食べる」とは、聖書の「ことば」を体の内に取り込むということです。このことにより、私たちは永遠のいのちを得ることができます。

 さて、ここで興味深いのは、この「いのちのパン」の一連の話を聞いた多くの弟子たちが、イエスのもとを去ったこと(6章66節)です。イエスが「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています」(6章54節)と言うので、十二弟子以外の多くの弟子たちは、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか」(6章60節)と言ってイエスから離れ去って行きました。ここでヨハネは、人々がイエスを信じないで離れて行ったことと、旧約時代に北王国のサマリヤが滅亡したこととを重ねています。

 「わたしの肉を食べ…」とは、確かにひどい言葉ですが、少し深く考えるなら、それがカニバリズム(人肉食)のことを言っているのではないことは、すぐに分かるはずです。ヨハネは6章で、イエスのことばを信じない人々の皮相性を描き、そのような人々はどの時代の人であっても、北王国のサマリヤのように滅びに至るのだと、暗に警告しているように思います。(続く)

(「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」12)

11.奇妙な7章も「ことば」で解決2012年06月23日 07時29分

「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」11

 ヨハネ7章は奇妙です。イエスが「公にではなく、いわば内密に上って行かれた」(10節)とは、どういうことでしょうか。ここは私を最も悩ませた箇所の一つです。しかし、ヨハネの福音書は一貫して「ことば(ロゴス)」で解釈すべきと気付いてからは、ほぼ解決しました。

 7章1節でイエスは北のガリラヤにいました。この時の舞台裏の旧約時代は、北王国が滅亡した直後でした。北王国は、「弟子たちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった」(6章66節)と書かれた時点で滅亡しました。そして、聖書の北王国に関する記述も、列王記第二17章23節の「こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアへ引いて行かれた。今日もそのままである。」という記述をもってプッツリと途絶えます。つまり、聖書の「ことば」であるイエスは、北にいる限りは公的には存在しないことになってしまいました。

 7章4節でイエスの兄弟たちが、「自分から公の場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行う者はありません」と言っている「隠れた所」というのは、滅亡後の北王国のことです。もはや「公の場」は、まだ滅亡していない南王国しかありませんでした。ですから、10節で「公にではなく、いわば内密に上って行かれた」というのも、聖書にはもはや存在しない北王国から南王国に移動したことを、このように表現したのでしょう。

 14節で公に姿を現した7章のイエスは、預言者イザヤ・ヨエル・ミカが預言した神の「ことば」のことです。このように、ヨハネの福音書は、1章1節の「初めに、ことばがあった」の「ことば(ロゴス)」で一貫して解釈できるようになっています。
(続く)

10.時代の特定を助ける重要な標識2012年06月22日 10時27分

「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」10

 前回、ヨハネ8章12節と9章5節の舞台裏は、それぞれヒゼキヤ王とヨシヤ王の時代であることを述べました。この時代の特定は、8章と9章からだけでは難しいのですが、後ろの10章がエルサレムが滅亡に向かっている時代、前の7章が預言者イザヤ・ミカの時代であることから、決めることができました。

 今回は、この時代の特定を助けてくれる重要な箇所を三つ挙げて説明します。8章に近いほうから、

(a) 「キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」(ヨハネ7章42節)
(b) ヨハネ6章1~14節の「五千人の給食」の箇所
(c) 「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」(ヨハネ3章14節)

の三か所です。

 (a) キリストがベツレヘムから出ることは、ミカ書5章2節で預言されていることです。従って、ヨハネ7:42の舞台裏は預言者ミカの時代になります。ミカ書1章1節には、ミカの時代は「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代」と書いてあります。ミカの時代はイザヤの時代とほぼ重なります。これより、ヨハネ7章の舞台裏はイザヤ・ミカの時代であることが分かります。ヨハネ7章のもう少し詳しい説明は次回に行います。

 (b) イエスが5つのパンと2匹の魚から五千人の食事を賄った「五千人の給食」の記事は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書の全てに記されています。このうち、ヨハネだけが、パンは「大麦のパン」であったと書いています。これよりヨハネ6章の「五千人の給食」の舞台裏は、預言者エリシャが大麦のパン20個と1袋の新穀で百人の食事を賄った記事(列王記第二4章42~44節)の時代であることが分かります。

 (c) このヨハネ3章14節の舞台裏は、書いてある通りの、モーセが荒野で蛇を上げた時代、すなわち民数記21章9節の頃の時代です。

 ヨハネの福音書の舞台裏の時代は、上記のように分かりやすい箇所から先ず特定して行くことで、順次、分かりにくい箇所についても時代を決めることが可能になります。

9.二つの「わたしは世の光です」2012年06月21日 07時13分

「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」9

 前回のヨハネ10章前半に続く10章後半の舞台裏では、エホヤキム王が神のことばが書かれた巻き物を暖炉の火で燃やします(エレミヤ書36章)。しかし、この出来事はこの読み物の核心ですので後回しにして、今回は二つの「わたしは世の光です」(ヨハネ8章12節と9章5節)の舞台裏について説明します。

 ヨハネ8:12と9:5の二つの「わたしは世の光です」は舞台裏で強力に結び付いています。8:12と9:5の舞台裏はそれぞれヒゼキヤ王とヨシヤ王の時代であり、この二人の王はどちらも善王です。そして、この二人の善王の間にマナセとアモンという二人の悪王の時代が挟まっています。善王の時代にはモーセの律法が重んじられましたが、悪王の時代には重んじられませんでした。そのため、律法の書はマナセ・アモンの悪王の時代に忘れ去られてしまい、ヨシヤの時代には当初は律法の書がありませんでした。その律法の書が、ヨシヤ王の第18年に見つかったのでした(列王記第二22章8節)。ヨハネの福音書8章から9章の本文には、この舞台裏のヒゼキヤ王~マナセ・アモン王~ヨシヤ王の時代のことが、実に巧妙に仕込まれています。

 「世の光」であるイエスは「ことば」であり、舞台裏では「律法の書」になります。イエスは宮の「献金箱のある所」で、「わたしは世の光です」に始まる一連の話をしました(8章12~20節)。そして、21節で言いました。

「わたしは去って行きます。あなたがたはわたしを捜すけれども、自分の罪の中で死にます。」(ヨハネ8:21)

 これは、「ことば」である「律法の書」がやがて読まれなくなることを言っています。この「律法の書」はヨシヤの時代に「主の宮に納められた金」(列王記第二22:4)で宮の修理をしている時に見つかったのですから、ヨハネ8:20の「献金箱のある所」は重要なキーワードです。つまり「イエス=ことば=律法の書」はヒゼキヤの時代から宮にあったのに、忘れられてしまったのです。

 ヨハネ8章21節から8章の終わりまではヒゼキヤ末期~マナセ・アモンの時代です。悪王のマナセ・アモンの時代の人々に対して、イエスはこんな風に言っています。

「あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。」(ヨハネ8:43)
「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。」(ヨハネ8::44)

 マナセ王は「悪魔」や「人殺し」と呼ばれるにふさわしい極悪の王でした。それはアモン王にも引き継がれ、善王のヨシヤの時代になっても、人々の信仰は、霊的な状態から言えば改善されませんでした。律法の書が見つかって以降、ヨシヤの時代には宗教改革が行われましたが、霊的に見れば人々の信仰がほとんど改善されなかったことは、エレミヤ書で神が怒っていることから分かります。

 ヨシヤの時代に律法の書が見つかったことを、ヨハネは9章でイエスが盲人の目を見えるようにしたことで表していますが、盲人以外のユダヤ人がイエスに批判的なヨハネ9章は、舞台裏のヨシヤ・エレミヤの時代の雰囲気を実に上手く表現しており、その驚異的な巧妙さには感嘆するばかりです。
(続く)

8.滅亡に向かうエルサレム2012年06月20日 09時05分

「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」8

 前回は、ヨハネの福音書10章の終わりから11章に掛けての舞台裏の旧約時代は、バビロンに捕囚として引かれて行った民がエルサレムに帰還して神殿と城壁を再建した時代であることを述べました。ヨハネはラザロの復活をエルサレムの再建と重ねているのです。

 今回は、それより少し前のヨハネ10章の前半の舞台裏にある、滅亡に向かっている時代のエルサレムについて述べます。イエスは言いました。

「羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。」(ヨハネの福音書10章1節)

 「羊の囲い」とは城壁に囲まれたエルサレム、「盗人で強盗」とはそこに攻め込んだ外国の略奪隊のことです。旧約聖書の列王記第二には、次のように記されています。

「主は、カルデヤ人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻めた。」(列王記第二24章2節)

 「エホヤキムを攻めた」とは、エホヤキム王がいるエルサレムを攻めたということです。このようにヨハネ10章の舞台裏では、エルサレムは大変なことになっていました。

 またイエスは、ヨハネ10章11節で「わたしは、良い牧者です」と言った後の12節、13節で次のように言いました。

「牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。」(ヨハネの福音書10章12,13節)

 この「雇い人」とは、旧約聖書のエレミヤ書の所々に登場する、偽の預言をする預言者のことでしょう。このような偽の預言者について神は、エレミヤを通して例えば次のように言っています。

「わたしはこのような預言者たちを遣わさなかったのに、彼らは走り続け、わたしは彼らに語らなかったのに、彼らは預言している。」(エレミヤ書23章21節)

 このような偽の預言者たちは、雇い主に対して「主はあなたがたに平安があると告げられた」(エレミヤ23章17節)というような耳触りの良い言葉しか語りませんでした。一方、エレミヤのような真の預言者は主の怒りを人々に伝えたので、それを快く思わない人々に迫害されました。福音書ではユダヤ人たちがイエスを迫害していますが、ヨハネは旧約時代にユダヤ人たちがエレミヤのような真の預言者を迫害したこととも重ねているのです。
(続く)

7.涙を流したイエス2012年06月16日 08時48分

「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」7

 このシリーズは、聖書の初心者にも分かっていただける読み物を目指しています。前回明らかにしたヨハネの福音書の舞台裏について詳しく説明していく場合、アブラハムから説明したほうが時代順としては良いのでしょうが、それだと退屈かもしれませんので、クライマックス的なシーンから説明を始めようかと思います。

 イエス・キリストの地上生涯で最も重要な出来事は十字架と復活です。ですからヨハネの福音書のクライマックスはもちろん、イエスが十字架に掛かって死ぬ19章の場面であり、死んだイエスが復活した20章の場面です。しかし、イエス・キリストの十字架には裏も表もありませんから、舞台の裏側に注目する我々は、十字架以前の場面を見て行くことにします。

 ヨハネの福音書には十字架以前でも、読者の心をしっかりと高揚させる場面があります。その一つが11章です。イエスは死んだラザロのために涙を流し、ラザロを生き返らせました。11章35節に「イエスは涙を流された」とあります。そして、その前の33節にはイエスは「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて」とあります。イエスが心の動揺を感じるとは尋常ではありません。なぜなら、イエスは大暴風で大波をかぶって沈みそうな舟の中でも平然としている方だからです。そんな冷静沈着なイエスが心の動揺を感じるとは、このヨハネ11章の裏には並大抵ではない何かがあるなと、私は以前から薄々感じていました。そして果たして裏の出来事が存在したのでした。

 イエスは死んだラザロのためだけでなく、旧約時代にバビロン王の軍の攻撃により廃墟と化してしまったエルサレムのために、涙を流したのでした。前回、10章でイエスがヨルダンの東岸に渡ったこと(10:40)の裏側には、バビロン捕囚の出来事があると書きました。この、エルサレムの民がバビロンに捕囚として引かれて行った時、エルサレムは炎上して滅亡してしまいました。しかしその約70年後、民はエルサレムに帰還することを許されました。そして、神殿と城壁を再建しました。

 ヨハネの福音書11章でイエスが再びヨルダン川の西側に戻った時、イエスは舞台裏の廃墟となったエルサレムを見て涙を流しました。そして、ラザロを生き返らせた場面の裏側には、バビロン捕囚から帰還したエルサレムの民が、神殿と城壁を再建した出来事が描かれています。

 前々回、人間が神に背き続けたことを書きました。神が紀元前6世紀にエルサレムを滅亡させることにしたのは、滅亡を予告し、再三に亘って警告したにも関わらず耳を貸さなかった、人々の背信ゆえです。しかし、憐み深い神はエルサレムの民を滅ぼし尽くさずにバビロンからの帰還を許し、廃墟となったエルサレムの再建を励ましました。イエス・キリストはそれらエルサレム滅亡の警告の場にも、再建の励ましの場にも、「ことば(ロゴス)」として存在していたのでした。
(続く)

6.旧約の舞台移動に同期したイエスの旅路2012年06月15日 06時30分


「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」6

 ヨハネの福音書の記者ヨハネは、御子イエスが「ことば」として旧約時代の初めからいたことを示すために、旧約聖書の時代を時間順に福音書本文の背後に巧妙に仕込みました。そして、そのことをチラチラと読者に見せています。その現れの一つが、イエスの旅の経路です。

 ヨハネの福音書のイエスの旅は、東西と南北を行ったり来たりしています。東西の動きはヨルダン川の東側と西側とを何度か行き来し、南北の動きは南のユダヤと北方のサマリヤ・ガリラヤ地方との間を何度か行き来しています。特に南北に関しては4章から7章に掛けて南→北→南→北→南と移動しているので、聖書学者の中には、これはヨハネの福音書の写本のページが誤って入れ替わってしまったためで、オリジナルの福音書は南→北→南の移動だけだったと考える人たちもいるほどです。

 実はイエスのこの複雑な動きは、旧約聖書の舞台の移動と同期しています。イエスが北に移動した時には旧約聖書の北王国のことが、南に移動した時には南王国のことが福音書の背後に描かれています(北王国・南王国はソロモンの王国が南北に分裂して出来た王国です)。

 また、福音書には1章と10章にイエスがヨルダンの向こう岸(東岸)にいたことが記されていますが、背後の舞台はヨルダンの東にあるユーフラテス川沿いのウルとバビロンです。すなわち1章の背後にはウルにいたアブラハムが、10章の背後にはバビロン捕囚の出来事が描かれています。

 上図は、ヨハネの福音書のイエスの旅路と旧約聖書の舞台移動が同期している様子を示しています。次回以降、もう少し詳しく説明して行くことにします。(続く)

5.神に背き続けて来た人間2012年06月14日 08時47分

「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」5

 前回まで、聖書の神が万物の創造主であることを、ややしつこく書いてきました。日本では生命の起源を神に求めることは非科学的と考える人が多いと思いますが、生命の起源は未だに科学的に解明されていません。それでも神が創造主でないことだけは確かだと決め付けるとしたら、それもまた信仰の一種だと言えます。

 さて、もし人間が偶然に生まれた存在であるなら、人は神を信じなくても構いません。しかし、もし人間が創造主によって造られた存在であるなら、創造主である神を信じないことは、神に背くことになります。そして聖書に書いてあることの大半は、人間がいかに神に背き続けて来たかということです。立派な信仰を持っていたモーセやダビデも失敗して神から心が離れた瞬間があったことが旧約聖書には記されています。モーセやダビデでさえそうなのですから、一般の民衆はいとも簡単に神から心が離れました。

 聖書というと聖人君子のことが書かれているというイメージがあるかもしれませんが、聖書、特に旧約聖書には神に背き続けて泥沼にはまっている人間のことが繰り返し描かれています。そして神はこの人間を不信仰の泥沼から救い出すために、御子イエス・キリストを、この世に遣わしました。

 ヨハネの福音書の抜群に面白いところは、この旧約聖書の時代から新約聖書の時代への流れが本文の背後に隠されており、舞台裏から観るとそれが分かるようになっていることです。次回からは、いよいよ、このヨハネの福音書の舞台裏に迫って行くことにします。
(続く)

八百万の神と聖書の神との違い2012年06月13日 10時43分

『焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書~』(4)
4.八百万の神と聖書の神との違い

 姫路の近くに忠臣蔵で有名な播州赤穂があるので、忠臣蔵が好きな私は昨年の5月にこの地を訪ねました。いくつかの観光スポットがあるのですが、そのうちの一つの大石神社に行って驚きました。祭神の神の多さに驚いたのです。大石神社だから大石内蔵助が祀られているのだろうと思っていましたが、内蔵助だけではありませんでした。大石神社のホームページには次のように書かれています。

「ご祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、その後の藩主森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀してある」

 今ふと思い付いて、靖国神社のホームページを見てみたら、次のように書いてありました。

「靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています」

 このような神観で聖書を読むと、聖書を理解するのは難しいかもしれません。私の個人的な経験から言えば、神の絶対性の理解度と聖書理解度とは比例しています。神とは人でも成れる存在だと思っていると、万物の創造主である聖書の神のことは、なかなか理解できないと思います。

 聖書の神は初めからおり、万物を創造しました。宇宙だけでなく、そこに住む生物、そして人間の命も神が造りました。生命は偶然に誕生したのではなく、神の何らかの操作により誕生しました。人間には人工的に生命を造り出すことは出来ません。神と人間とは、それほど掛け離れていますから、人が死んでも神になることはできません。
(続く)