大事なのはピーク時の節電なのでは?2011年06月08日 07時55分

 国土交通省が管理する国道は節電のため点灯する街灯の数を震災後に大幅に減らし、国道沿いは今でも暗いのだそうです。そのため、自転車通勤の人たちが危険にさらされているのだと、今朝のNHKニュースで報じられていました。

 節電対策で重要なのはピーク時の使用電力をいかに抑えるかでしょうから、6月の今も夜道を暗いままにしておくのは、おかしいと思います。

 震災直後の3月は暖房による電力使用が夜間に増えたので街灯を消灯することは節電対策として有効だったでしょう。しかし、これからの時期は夜間の暖房ではなく、昼間の冷房による電力使用を抑えることが重要なのですから、歩行者や自転車利用者を危険にさらしてまで夜間の節電を続ける必要はないのではないでしょうか。
 
 何でこんなことになるのでしょうか?

 国家公務員になった人たちの多くは暗記力で競争を勝ち抜いてきた人たちだから応用力が無いのではないか、とまで勘繰りたくなります。

 秋以降、また暖房シーズンになったら考え直さなければならないかもしれませんが、その時はその時の電力事情に合わせて対策を考えれば良いのではないでしょうか。暗さが原因の交通事故が起きないよう、硬直した対応ではなく、ぜひ柔軟な対応をお願いしたく思います。

【追記1】(6/8)
 ブログで言いっ放しなのも無責任な気がしたので、国土交通省のHPから意見を記名入りで投稿しておきました。

【追記2】(6/9)
 きのうの午後に国土交通省に送信した意見に対する返事が、きょうの午後に、もう来ました。型通りの定型文ではなく、ちゃんとした返事だったので、意外でした。きっと同様の意見が多数あったのだと思いますが、それにしても、翌日すぐに型通りではない返事が来るとは、お役所もけっこう気を遣っているのですね。(ただし、国会答弁みたいな今一つすっきりしない回答ではありましたが・・・)

これが人間ですね2011年06月04日 06時11分

 菅内閣不信任を巡る国会のドタバタを見ていると、人間がどのような生き物かということが、実に良く分かります。皆、同じ法則で動いています。

「相手の自己中心性は見えるが、自分の自己中心性は見えない」

 この法則は国会議員だけでなく、マスコミやテレビを見ている私たちにも、もちろん当てはまることです。

 このことは、われわれ人間には予めインプットされた絶対善の行動基準があり、誰もがそれに基づいて行動しなければならないと考えているということを示しています。それは、「利己的・自己中心的であってはならない。非利己的・自己犠牲的でなければならない」ということです。

 しかし、非利己的・自己犠牲的な行動をするのは、そんなに簡単なことではありません。それで知らず知らずのうちに利己的・自己中心的な行動を取ってしまいがちになるのですが、本人はそれになかなか気付きません。自分の自己中心性には気付かないけれど、相手の自己中心性はよく見えるから、今回のようなドタバタになるというわけです。

 以上のことは、C.S.ルイスの『キリスト教の精髄』の第一章に、キリスト教の話を始める前に確認しておくべきこととして一般向けに実に分かりやすく40ページ以上にわたってじっくりと書いてありますから、ぜひ多くの方々に読んでいただきたいなあ、と思います。

 この世には、絶対善というものが存在します。
 最近、赤穂に観光に行って来たので、池宮影一郎の忠臣蔵小説を少し読み直していて、『四十七人の刺客』のかなり初めの部分に大石内蔵助が次のように言う場面に目がとまりました。

「世の善悪とは何であろう、何をもって善と悪を定めるのだ。…。世に絶対の善もなければ、絶対の悪というものもない」

 しかし、これは完全に間違っています。忠臣蔵でも討ち入りに加わらなかった者は、おのれを恥じています。これは小説の中だけでなく、実際もそうであったことでしょう。恥じる気持ちがあるということは、「人は非利己的・自己犠牲的でなければならない」という絶対善の行動基準が予めインプットされているということです。

 この絶対善から人間がどれほど掛け離れているかが書かれているのが聖書です。アメリカの大統領が就任する時には聖書に手を置きますから、たとえ不幸にしてそこから大きく離れてしまった場合でも原点に立ち戻ることができます。

 立ち戻るべき原点を持たない日本の場合は、いったいどこへ漂流して行くのでしょうか…

最後までとは、いつまでか2011年05月18日 14時00分

 ここ姫路教会は目の前に広大な田畑が広がる、のどかな場所で、読書して信仰について思いを巡らすには、本当に良い環境です。そこで今日は信仰の中でも特に大事な【永遠】について書きます。

 ニュースを見ると菅首相は「原発賠償、最後まで国が面倒見る」(4/29)とか被災者には「最後の最後まで国が前面に立ち責任を持って対応する」(5/17)とか言って、【最後まで】を強調しています。是非そうしていただきたいと思います。中途半端に終わらせることなく、最後までしっかりと面倒を見ていただきたいと思います。

 さてここで私は、人々の側もこの機会に、「最後までとは、いつまでか」ということについて是非とも考えていただきたいと思います。そして【永遠】ということにもっと目を向けていただきたいと願っています。

 三陸海岸は、これまでにも度々、大きな津波に襲われて来たということが言われています。インターネットを検索すると、過去のそのような大津波に関する解説も読むことができます。ですから、地元の人は【過去】の経験や記録をもとに警戒をしていたことでしょう。しかし私は思うのですが、日本人は全体的に、少し前のことはもう【過去】のこととしてしまい、【今】という非常に短い時間の中でしか生きていないような感じを受けています。私自身の経験からもそのような傾向があるように思います。

 私は1978年に北海道大学に入学しました。前身である札幌農学校の開校が1876年のことですから、当時は開学100周年記念のお祝いムードがまだ少し残っていました。その時の私は100年前というと大昔のような感じを受けていました。しかし、聖書を読むようになり、2000年前のイエスや3000年前のダビデ、3400年前のモーセらに関する記事を身近に感じるようになってからは、100年や200年前のことは、私にとっては昔のことではなくなりました。

 古いと言われる1000年前の『源氏物語』は確かに古い書ですが、新約聖書が書かれてから900年以上も後の書物です。ダビデ王が人妻のバテ・シェバを見そめたのは源氏が人妻の空蝉に心を寄せる2000年も前のことでした。王国を築いて上り詰め、バテ・シェバ事件を境に転落するダビデ王の盛衰の旧約聖書の記事は、とても3000年前のこととは思えない生々しさで迫って来ます。

 新約聖書のマタイの福音書の一番最後には、イエス・キリストが天に上る前に弟子たちに次のように言ったことが記されています。

「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)

 聖書によれば、私たちは死んでも最後は天国か地獄かのどちらかで永遠の時を生きることになります。死んだら終わりではなく、イエスを信じていても信じていなくても復活して最後の審判を受けます(ヨハネ5:29、黙示録20:12など)。復活が実際にあることはイエス・キリストご自身が示しています。イエス・キリストの復活が実際に無かったならパウロの回心はあり得ないことです。パウロの回心がイエス・キリストの復活によるものでないとしたら、新約聖書の4分の1を占めるパウロの手紙をどう解釈したら良いか全くわからなくなります。

 菅首相の「最後まで面倒を見る」から話を始めましたが、イエス・キリストこそが本当の意味での【最後まで】、つまり【永遠】に面倒を見てくださる方です。

 3000年前のダビデ王の不倫の話からでもいいですから ^^; まずは聖書の面白さを味わっていただきたいな、と思います。そして【永遠】ということに目を向けることを始めていただけたらと思います。

「ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。ダビデは人をやって、その女について調べたところ、『あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか』との報告を受けた。ダビデは使いの者をやって、その女を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た。」
(旧約聖書・サムエル記第二11:2~4)

『神に失望したとき』2011年04月13日 09時00分

 「フィリップ・ヤンシーの本はいいよ!」と、複数の神学生が言っていたので、では私も読まなければと思い、まず2月に『この驚くべき恵み』を読みました。確かに、とても良かったので、それ以降、神学院の図書館からまとめてヤンシーの本を借り、立て続けに何冊か読みました。『祈り ― どんな意味があるのか』、『だれも書かなかったイエス』、『教会 なぜそれほどまでに大切なのか』。そして大地震の直後、どんな説教をしたら良いのか悩んだ時に、『神に失望したとき』と『痛むキリスト者とともに』を読みました。

 京都の教会に来て最初の祈祷会のお証しの時に、一人の方が、今度の大震災で信仰が揺らいでいるという話をされました。今回の大地震では、信仰を持つ者は誰でも多かれ少なかれ信仰が揺さぶられたことと思います。私も未だに100%納得した理解には至っていません。しかし、ヤンシーの『神に失望したとき』は自分の信仰を考え直すのに非常に役に立ったので、この信仰が揺らいでいると言う方にこの本をお貸ししようと思いamazonで取り寄せ、お貸しする前に自分でももう一度読み直しました。

 この本の良いところでもあり、悪いところでもあるのは、非常に情報量が多いということです。著者自身も様々な観点から「神に失望する」ということについて考察していますし、試練に遭って悩んでいる人の証言も複数取り上げられています。これらの証人の信仰も皆それぞれ違いますから、話が拡散気味であり、この本を読み終わった後、実はあまりスッキリ感はありません。結局のところ、自分の信仰の問題は自分で解決するしかないのです。しかしその時に、この本が提供する非常に多くの考察の材料が大変に役に立つことになります。

 私が感心しきりなのは、旧約聖書の「ヨブ記」をどう読んだらよいか、ということです。ヤンシーによれば、「ヨブ記」とは推理劇のようなものだということです。それで私は、『刑事コロンボ』を思い出しました(ヤンシーは『刑事コロンボ』には言及していません)。『刑事コロンボ』は予め視聴者に殺人の現場が明かされます。次いでコロンボが登場し、あれこれ悩みながら推理を展開し、ラストに至ります。「ヨブ記」も最初に読者に、なぜヨブが悩み苦しむことになるかのタネが明かされます。天上の神と悪魔とが賭けのようなことをしてヨブの信仰を試すことにするのです。何も知らない哀れなヨブは大変な苦しみの中を通ることになります。読者はなぜヨブが苦しむことになったかの経緯を知っていますが、当のヨブは知りません。『刑事コロンボ』と展開が何となく似ていますね。

 ヤンシーは時に宇宙規模での神と悪魔との闘いを語り、時に卑近な例を挙げます。個人的には宇宙規模の闘いについての考察が非常に勉強になりました。現在は古本しか手に入りませんが、大震災の中を通る日本人にとっては、とても参考になるお勧めの一冊です。

悲しむ者は慰められる2011年03月22日 08時55分

 地震が起こる前のことですが、私は3月13日の晩に行う予定の、私としては4回目の船橋駅前通りでの街頭説教の準備を進めていました。
 しかし、11日の大震災により、準備していた説教は、震災後の人々の空気には合わないと感じました。そもそも13日に街頭説教をするかも、分からなくなりました。12日の午前に教会の牧師先生に連絡したところ、街頭説教を行うか行わないかは、もう少し様子を見てから判断したいから、一応準備しておいて下さいと言われました。

 さあ、困りました。震災の2日後に、街角で一体どんな説教をしたら良いのだろう。ものすごく悩みました。そうして遅くまで掛かって下記の説教原稿を作りました。
 結局、街頭説教は中止になりましたので、この説教を行うことはありませんでしたが、ここに掲載させていただきます。


「悲しむ者は慰められる」
                   
 きょうは、まず、私が船橋に来る前に通っていた教会で聞いた、ある女性の、阪神大震災の時の体験談を、ご紹介したく思います。

 その方は阪神大震災の時、神戸市内の公園で、ボランティア活動をしていたそうです。
 その公園では、地震で家を失った人たちが、多数、テント生活をしており、彼女はその方々の生活を支援するボランティアをしていました。その公園には、毎日、夕暮れ時だったでしょうか、毎日決まった時間に現れて、プロ級の美しい声で賛美歌を歌うクリスチャンの女性がいたそうです。
 最初の頃は、皆は、変な人がいるという感じで無視していたので、その女性はただ一人でポツンと立ち、歌っていたそうです。しかし、何日かするうち、公園で生活している被災者の何人かが、その女性の近くで聞くようになり、やがて日がたつごとに、その輪は大きくなり、最後の方では、大勢の被災者が、その女性の近くで賛美歌を聞くようになり、その歌声に慰められていたということです。
 この様子を、ボランティア活動をしながら見ていた女性は、それまではキリスト教とは無縁の暮らしをしていましたが、このことを通してキリスト教に大きな関心を抱くようになったのだそうです。
 公園で賛美歌を歌っていた女性は、誰にも相手にされなかったのに、一人で歌い続けていました。そのようなことを実行できる力は、いったい、どこから湧いてくるのだろうか。どうして、誰にも相手にされない中、一人でそんなことを何日も続けることができたのか、とても不思議で、気になったそうです。それで彼女は、キリスト教のことを知りたくなり、しばらくしてから、近所の教会を訪れたのだそうです。そうして、彼女は聖書を読むようになり、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けてクリスチャンになりました。

 この体験談は、キリスト教がどんな宗教であるかを、よく物語っていると思います。

 そこで、今夜は、この女性の体験談にスポットを当てながら、私たちが信じるキリスト教がどのような宗教なのかについて、3つのポイントから、お話しさせていただきます。

 第一のポイントは、阪神大震災の被災者のために賛美歌を歌っていた女性の心の中には、イエス・キリストが住んでいた、ということです。
 第二のポイントは、イエス・キリストは慰め主である、ということです。
 第三のポイントは、この慰めはイエス・キリストが十字架で、はりつけになったがゆえに、もたらされるものなのだ、ということです。
 
 まず第一のポイントは、阪神大震災の被災者のために公園で賛美歌を歌っていた女性の心の中には、イエス・キリストが住んでいた、ということです。実はこのことは、すべてのクリスチャンについて言えることです。
 イエス・キリストを信じると、その人の心の中にはイエス・キリストの霊が入り、心がきよめられていきます。そうして、その人は次第にイエス・キリストに似た者へと変えられていきます。ただし、その変化の速さや度合いは人によって大きく異なります。なかなか変わらない人もいれば、イエス・キリストに似た者へと、どんどん変わっていく人もいます。
 阪神大震災の被災者のために公園で賛美歌を歌った女性は、まさにイエス・キリストに似た人でした。私はその公園にいたわけではありませんから、その女性のことを直接は知りません。しかし、その女性がイエス・キリストのかおりを放っていたことは、間違いありません。
 イエス・キリストの他に、いったい誰が歌の力だけで、大震災で途方に暮れている人々の心を慰めることができるでしょうか。彼女は、人々に食べ物を与えたわけでもなければ、衣服を与えたわけでもありません。物質的な物は何も与えていません。ただ賛美歌を歌って、そのことによって人々の心を癒し、満たし、慰めました。

 このことは、第二のポイントへとつながっていきます。
 第二のポイントは、イエス・キリストは慰め主である、ということです。
イエス・キリストが人々を慰めることができる慰め主であるからこそ、イエス・キリストが心の中に住んでいる女性が賛美歌を歌うことで、被災した人々を慰めることができたのです。

 イエス・キリストはおっしゃいました。

「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)

 イエス・キリストは、いつも弱い立場の人々に寄り添っていました。
弱い立場の人々は様々なことに苦しみ、悲しんでいました。イエス・キリストはそのような人々の体を癒し、人々の心に平安を与えました。

 心の平安。
 これこそが私たちが心の奥底から求めるものです。
 イエス・キリストは、人々に問い掛け、呼びかけました。

「あなたがたは、何を求めているのですか。」(ヨハネ1:38)
「来なさい、そうすればわかります。」(ヨハネ1:39)

 「あなたがたは、何を求めているのですか。」人が心の奥底で本当に求めているもの、それは、心の平安です。

 「来なさい、そうすればわかります。」その答えが心の平安であることが、イエス・キリストのもとに行き、付いて行くと、次第に分かるようになります。慰め主によって心に平安が与えられると、人は深い慰めを感じます。

 このような、慰めは、いつ何どきでも感じるものではなく、悲しみの中を通らなければ得られないものかもしれません。すべて順調な人生の中を歩んでいる時には、もしかしたら、わからないことかもしれません。しかし、突然の悲しみに襲われたときなど、そのことが、はっきりとわかる瞬間があります。

「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)

 イエス・キリストは悲しみの中にある人々を、いつくしみ深く慰めてくださいます。ではイエス・キリストは、どうして悲しむ人々を慰めることができるのでしょうか。これが、3つめのポイントです。

 それは、イエス・キリストご自身が、十字架という、大きな苦しみと悲しみの中を通ったからです。イエス・キリストは人々からあざけられ、ののしられ、愛する弟子たちにさえも裏切られ、また、全身がボロボロになるまでムチで打たれ、傷だらけになった後に十字架に付けられました。
 イエス・キリストは死ぬ直前に、十字架の上でこのように叫びました。

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)

 イエス・キリストは、ご自身がこのような絶望的な苦しみと悲しみの中を通った方だからこそ、人々を慰めることができるのです。

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)

 イエス・キリストに似た者とされた女性、すなわち阪神大震災の時に、公園で被災した人々を慰める賛美歌を歌っていた女性、この方も大変な悲しみの中を通った経験があったのかもしれません。そして、イエス・キリストによって慰められたという経験をお持ちだったのかもしれません。

 実は、私自身も悲しみの中にあったとき、賛美歌によって慰められたという経験を持っています。ちょうど10年前のことでしたが、私の父は、すい臓ガンで、突然のように死にました。
 その悲しみの中にあった時、私を教会へ連れて行ってくれた人がいて、私は教会で歌われていた賛美歌によって、慰められたのです。今まで、その人にいくら誘われても行こうとしなかった教会に、自分から行きたいと頼み、そうして私は教会で慰められました。本当に不思議な出来事でした。

「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)

 イエス・キリストは、ご自身が、

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)

と叫ぶほどの苦しみと悲しみの中を通りました。
 だからこそ、私たちが苦しみや悲しみの中にあるとき、イエス・キリストは私たち一人一人と個人的に出会ってくださり、慰めることができるのです。

 皆さんが、主イエス・キリストと個人的に出会うことができるよう、心の底から願っています。

霊的なシェルターへの避難2011年03月21日 09時24分

 昨日をもって、船橋での1年間の聖日ミッションが終わりました。
 29日に関西(京都と姫路)に移動し、最終学年の1年間のインターン実習に就きます。
 昨晩の伝道会でお証しをしましたので、原稿を掲載します。

 こんばんは。
 神学生のKOJIMAです。現在は3年生で、この4月からは最終学年の4年生になります。教会の皆さんには、いつもお祈りとご支援をありがとうございます。
 きょうは、この教会での私のご奉仕の最後の日ですが、その最後のご奉仕として、このように体験談を話す時間をいただけて、とても感謝に思っています。

 私は今月の28日に、神学院を離れ、翌日の29日から、いよいよインターン実習が始まります。この、いよいよ実践の現場に出ようとしている直前の時期に大きな地震と原発の事故があったことで、私は今、次のように感じています。

 それは、3年前に私が伝道者として召されたこと、つまり、神様が私に牧師になるように声を掛けてくださったことは、まさに3年後の今日のためであったのだなぁ、ということです。

 大災害に見舞われた日本で、いま私が人々に伝えなければならないと思っている神様のことばは、新約聖書のヨハネの黙示録と、ヨハネの福音書の聖句です。これらの聖句は、後でお読みしますが、そこでは、「霊的なシェルター」のことが言われていると私は考えています。シェルターというのは、核戦争が起こった時などに避難する場所です。ですから、「霊的なシェルター」とは、人がこの中にとどまるなら、たとえ大災害によって肉体が滅んだとしても、魂は救われる、という場所です。大災害が起こった日本で、私はこのことを訴えていきたいと考えています。

 どうして、こう考えるようになったかの経緯を、まず話を20数年前に戻して始めようと思います。従いまして、今日の体験談は、いわゆる「救いの証し」と「召命の証し」の2つを含みます。すなわち、どのようにしてイエス・キリストを信じるようになったのか、と、どのようにして「牧師になりなさい」という神様からの声を聞いたのか、の二つの体験談です。限られた時間の中ですから、十分なことはお話しできませんが、できるだけ分かりやすく、お話しできたらと、願っています。

 私は1989年の10月、30歳の時でしたが、N大学工学部の原子核工学科の助手に採用されて着任しました。所属していたのは原子炉材料講座という研究室です。その前の一年間は、ポスト・ドクター研究員という肩書きで、アメリカのO国立研究所にいました。このOの研究所は、戦時中は広島に投下した原爆を製造するためのウラン濃縮をしていたところで、戦後も核兵器や原子力関係の研究を中心に進めているところです。ですから、私は20代の後半から30代の前半に掛けては、原子力の分野にどっぷりと浸かっていました。ただし、私の立場は原子力のための材料を開発するというよりは、材料の研究のために原子力を利用するという、材料科学の研究者です。ですから、原子力の専門家というわけではありません。しかし、原子力の分野に身を置いていたことは確かですから、いま福島の原発の中で起こっていることは、一般の方々に比べれば、ずっとリアルに想像することができます。今回の災害を経て私は、日本の人々に霊的なシェルターに避難することを強く勧めたく思っているわけです。

 さて1989年の10月にN大学の原子核工学科に就職した私ですが、1993年の8月に退職しました。研究室の教授に、どうしても付いて行くことができなくなったからです。辞めてどうしたら良いか、すぐにアイデアはありませんでしたが、とにかく辞めようと思いました。
 こうして私は材料の世界から離れることにしたのですが、次に何をしたら良いかということについては、本当に悩みに悩みました。そうして、たどり着いた結論が、日本語教師になることでした。知人に日本語教師がいたことや、私自身の興味の対象が物質から人間に移りつつあった、ということもあります。これには伏線があり、まずアメリカのOに一人で暮らしていた、ということがあります。このOの研究所は戦時中に原爆の製造を秘密で行っていたくらいですから、ものすごい田舎にあるんですね。ですから、寂しくて寂しくて仕方がありませんでした。こうして物質だけでなく人間を慕う気持ちが私の中で育っていました。

 そしてNに来てから、カトリックの神父さんが書いた『自己愛とエゴイズム』という本に出会っていました。後に教会に通うようになって分かりましたが、この本は聖書のことにはほとんど触れていませんが、書いてある内容は聖書的なことです。この本により、私は自分の中の奥深い声に耳を傾けるということを学びました。これは私たちの神学の立場で言えば、先行的な恵みとしての聖霊の声に耳を傾ける、ということです。こうして私は『自己愛とエゴイズム』という本を通して聖霊の声に導かれ始めていました。

 N大学を辞めてからの1年半の間も、本当にいろいろなことがありましたが、それは省略して私は1995年の3月にT大学の留学生関係の部署(以下、C)の日本語教員に採用されました。そうして私は神様の導きにより高津教会の近くのアパートを借りて大学に通勤するようになり、2001年の8月から高津教会に通うようになりました。高津教会を訪れるきっかけとなったのは、6月に私の父がガンで死んだことですが、8月に高津教会を初めて訪れた日が、偶然にもF先生による「ガラテヤ人への手紙」の連続講解説教の第一回目で、これが非常に面白かったので、続けて教会に通うようになり、同じ年の2001年の12月に洗礼を受けました。

 この2001年は父が死に、私が洗礼を受けただけでなく、9月11日の同時多発テロもあったりと、大きな出来事があった年でしたが、私にとって、もう一つ大きな出来事がありました。それは、私がCの仕事に加えて、再び材料の研究も行うようになったことです。私がNで助手をしていた時の教授が、大きな発見をして、それをさらに発展させる研究を進めていました。それは、材料の変形のメカニズムを新たに提案するというものでした。材料の変形に関しては、もう定説になっているメカニズムがあるのですが、それ以外にもある、ということを主張し、それを実証しようとしていました。この研究に私は大きな魅力を感じましたし、何よりも私が教授のもとを飛び出したにも関わらず、教授が私にも声を掛けてくださったことが大変にありがたく、私もこの研究プロジェクトに参加することにしました。

 この、材料の新しい変形機構の研究は実験で多くの新たな発見があり、私たち研究に携わっている者は、新しいメカニズムがあることは確実だと確信していましたが、研究者の世界は保守的な人が多いのか、学会では、このことを、認めませんでした。ですから、私はイエス・キリストの新しい教えを保守的な宗教家たちが受け入れなかったことが、ものすごく良く分かるんですね。神様は、私をこのような中をも通してくださり、今のために備えさせてくださったと思っています。

 さて、そうこうするうちに、2003年の1月に、この教授がガンで亡くなってしまいました。そうしたら、学会の研究者たちは、この私たちの新しい変形メカニズムの研究をほとんど無視するようになってしまいました。この教授は優れた研究業績を持ち、材料科学の分野では有名な研究者でしたから、教授が生きている間は、新しい説は認めないながらも、いちおう皆さん聞く耳は持っていました。しかし教授が死んでからは、私たちは本当に冷たい扱いをされるようになりました。それでも、私は、新しいメカニズムは絶対に存在すると確信していましたから、Cの仕事の傍ら、材料の研究を細々と進めていました。

 そうして教授が亡くなってから、ちょうど5年後の2008年の1月、これは私が献身を決意する約2ヶ月前のことですが、私は、この教授の説を支持する、新たな大発見をしました。ただし、大発見だと思っているのは私だけで、他の人たちは、全然信じてくれませんでした。でも私はそれが大発見だと、今でも確信しています。

 2008年の1月、大発見に夢中になった私は、これをどうやったら材料の学会で認めてもらえるか、必死で考えるようになりました。そうした折、私はCの上司から新たな仕事を命じられました。私は、少しでも多くの時間を材料の研究のために使いたいと思っていましたから、この命令を断わりました。でも、Cの上司は、それでもやるようにと私に言いました。そして、その時、私は、「それなら辞めます」と言ってしまったんですね。もう、とにかく材料の研究をしたくて仕方がありませんでしたから、留学生関係の仕事はやめて、材料関係に再就職したく思いました。再就職が難しいことは分かっていましたが、一年ぐらい浪人してでも、何とか再就職先を探して、材料の世界で再び働きたいと思いました。

 その折も折、静岡の実家の母から、乳がんが見つかったという電話がありました。私はCを辞めることは母に内緒にしていましたから、これには弱りました。もしガンが悪性だったら、再就職先を探すどころではありません。それで私は困ってしまい、研究担当の副学長に面談を申し入れて、大学で何とか材料関係の研究者として残ることはできないだろうかと相談しました。しかし、副学長は私にこう言いました。「私には人事権がないから、そんなことを相談されても困る。まだ正式な辞職願いを提出していないのだったら、Cの先生方に頭を下げて、もう一度Cで働けるようにお願いしなさい」と言われました。

 それで私は泣く泣くCの教員会議の場で先生方に頭を下げ、辞職を撤回したいとお願いしました。でも、Cの先生方は、私を許してはくださいませんでした。それは、当然だと思います。一度辞めると言って大迷惑を掛けたにも関わらず、やっぱり戻りたいと言うのは、虫が良すぎます。私は辞職を撤回することを断念しました。この時、私はイエス・キリストによって、粉々に粉砕されたと感じました。こうして粉々になった私の中で、イエス・キリストのしもべとして働きたいという思いが芽生え始め、急速に大きくなっていきました。

 このような中を通って私は神学生になりました。神学院での学びは本当に大きな恵みであり、導いて下さった神様に私は心から感謝しています。母のガンも幸い、悪性のものではなく、今のところ転移もなく、順調に経過しています。

 さて、ヨハネの黙示録と福音書に書かれている、霊的なシェルターについての話をする時間がほとんどなくなってしまいましたが、簡単に説明すると、黙示録と福音書との間には強い関係があり、黙示録の次の聖句は、ヨハネの福音書のシェルター構造を暗示していると私は考えます。

「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。」(黙示録21:6)

 ここでは、ヨハネの福音書では最初と最後の節で、この世界は入れ物であることが示され、その構造の中心にとどまれば、天から注がれる聖霊に満たされることが示されていると思います。すなわちヨハネの福音書1章1節では、

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)

とあり、「ことば」という単語が3回使われます。旧約聖書の創世記1章で神は最初の3つのことばで、光を造り、天と地という入れ物を造りました。また、福音書の最後の21章25節では、

「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」(ヨハネ21:25)

とありますから、この世界は入れ物であると、ヨハネは福音書の最後で言っています。

 こうして、この福音書は前と後ろとが深い関係を持ちながら、入れ子式に中心へと向っていきます。
 例えば、1章後半のイエスと弟子たちの出会いの場面と20章の弟子たちとの再会の場面は良く対応しますし、2章のカナの婚礼の良いぶどう酒は、19章の十字架の場面でイエスが流した血に対応します。また、2章の宮きよめは、18章でイエスが逮捕される直接の原因となっています。このようにして、入れ子式で順次外側から中心へと向かって行き、構造の中心は、7章37節から39節です。

「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」(ヨハネ7:37-39)

 ここが、霊的なシェルターです。

 読者はここにとどまることで、天から注がれる聖霊に満たされ続け、たとえ災害に遭って肉体が滅びたとしても、魂は救われるのです。

 地震と原子力の大きな災害の中を通る日本にあって、私はこれから先、この霊的なシェルターに避難することの必要性を訴えていかなければならないと感じています。

 この1年、教会の皆様には、本当にお世話になり、どうもありがとうございました。今後ともお祈りとご支援を、どうかよろしくお願いいたします。