レビ記を読んで涙2011年06月17日 16時55分

 今朝、素晴らしい経験をしたので、お証しさせていただきます。

 なお、予め断っておくと、レビ記を読んで涙が出たのは、ほふられる牛や羊が可哀想で泣けたわけではありません ^^;

『レビ記を読んで涙』

「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」(ローマ人への手紙 8章16節)

 今週の前半、私は自分が「神の子ども」とされていることを、あまりちゃんと自覚していないことを示されました。それで、このことへの霊的な確証を得たいと願いながら、ウェスレーの説教を読んだり、霊想書を読んだりしていました。
 さて今朝、いつものように祈りのひとときの後、今日の聖書通読の箇所を開きました。今日からレビ記に入りました。すると、1章を読み始めて間もなく、涙がボロボロ出始めました。聖書通読でレビ記と言えば、今までの私にとっては退屈な書でしかありませんでした。それなのに、今朝は泣けて仕方がありませんでした。
 細かいことを、いちいち「~なければならない」と言って教える神の言葉に、幼な子に対して手とり足とり丁寧に優しく教える父親の深い愛情を感じたからです。神はこれほどまでに、ご自分の民を愛しておられるのだということが、一つ一つの「~なければならない」から、ヒシヒシと伝わって来ました。今まで私は「神の愛」も十分には分かっていないことを感じていましたし、聖霊に関してもやや強引に自分に信じ込ませていることを感じていました。しかし今朝の経験で、これらの問題が一度に解決しました。
 退屈な律法の規定の羅列に父の愛を感じて涙を流すことなど、聖霊の働きが無ければあり得ないことです。
 父の愛が分かった喜びと、今までそれに気付かなかった鈍感さに悔いる思い、またそのような私の鈍感さ故に神の御子イエスが十字架に掛かったこと、そして私自身も神の子とされている素晴らしい恵み、これら全部が一緒になって涙がボロボロ出たのだと思います。

 本当に今朝は素晴らしい恵みをいただきました。