剣道を再開しました2012年05月23日 10時41分


 これが4月27日の「壁の傷」の答です ^^

 剣道再開に備えて、部屋の中で竹刀を振り回していたら、竹刀の先が壁に当たって傷を付けてしまいました ^^;

 「正解は、後日発表」としたのは、やる気が萎えて、やっぱり再開しなかったということも十分にあり得ることなので、再開したら報告しようと思っていたのでした。神学校に入る1年ぐらい前から剣道をしていなかったので、約5年ぶりの剣道でした。体力や怪我の心配を考えると、5年ぶりの再開というのは大きなエネルギーの要ることでした。4月27日の段階で再開を公表して後戻りできないようにすることも考えましたが、そこまですると、何か悲愴感が漂うので、事前公表はやめておきました ^^;

 毎週火曜日の晩に稽古することにして、きのうは2回目でした。防具が汗をたっぷり吸ったので、窓際で風に当てています。1回目の稽古の後、メールで一部の知人には報告しましたが、ブログでの報告は躊躇しました。あまりにメロメロで、全然剣道になっていなかったからです。約1時間の稽古時間中、3人と稽古するのが精一杯でした。1人当たり約5分として、稽古時間は15分で、あとの45分は隅っこで休ませてもらっていました。心臓の鼓動があまりに激しかったので、心臓発作で倒れないか心配になりました。そして、終わった後は本当にヘトヘトクタクタになっていました。

 昨晩の2回目の稽古は6人の方と稽古でき、心臓発作の心配もなく、終わった後も1回目よりは体力が残っていました。稽古も少しは剣道らしくなったと思います。でも、まだまだです。回を重ねるに従って剣道らしくなっていくと良いなと思っています。

週に2回行いたいこと2006年12月13日 18時28分

 経験上、何事も週1回では低レベルでの現状維持にとどまり、週2回行えば非常にゆっくりではあるがレベルアップできると考えている。週3回以上なら、もう少し速く(と言っても依然としてゆっくり)レベルアップできる。
 例えば、剣道では自分の経験では週1回では単なる運動で剣道とは呼べない。週2回やると少しは相手の動きが見えるようになり、多少は剣道らしくなる。ただし相手の動きが見えてもまだ反応は十分ではない。週3回になるとある程度反応できるようになり、週4回だと無意識に体が反応するようになる。今はとても週4回はできないが、せめて週2回は行いたいところだ。
 いま週2回行いたいと思っていることは3つある。

 1. 剣道
 2. 教会に行くこと(日曜礼拝と水曜夜の祈祷会)
 3. 映画館で映画を見ること

 教会に週2回行き、説教を聞くと、聖書を読む力がだんだんついてくるように思う。映画館にも週2回ずつ行くと多少は映画を見る目が違ってくるかなと思っている。最近はついエキストラに目が行ってしまいがちですが(笑)。
 先週は3つともできた(見た映画は『めぐみ』と『暗いところで待ち合わせ』)。今週も何とかできそうだ。

映画の力2006年12月04日 23時56分

 つくづく私は単純な男だと我ながら思うが、『武士の一分』を見て剣道の道場に久し振りで行きたくなり(笑)、今夜、行って来た。近所のスポーツセンターの剣道の稽古会には、たまに行っているが、道場の稽古はもっとハードなので、そこまでの覚悟がなかなかできなく、最近はすっかり足が遠のいていた。と言うより、今年はまだ一度も行っておらず、月謝を12か月分滞納しているので、年内に月謝を払いに行かなくてはと、ずっと思っていたのだが、なかなか決心がつかなかった。そんなに消極的だったのが、『武士の一分』を見たら行きたくなってしまったのだから、映画の力というのはすごいものがあるなと思った。
 道場に、つい最近七段に昇段した同い年の人が来ていたので、稽古をお願いしたが、全く歯が立たなかった。この人は数年前に六段に昇段した時より遥かに強くなっていた。その時でも私よりずっと強かったのだから、今は遥か彼方の存在になってしまった。私はと言えば、3年前に五段に合格してからは、六段の審査を受けられるまで5年もあるので、この3年間はずっと稽古をサボっていて、今は四段ぐらいの実力しかないだろう。2年後の六段審査を目指して、スポーツセンターだけではなく、この道場にも、もっと頻繁に通おうと思った。その気にさせてくれた『武士の一分』には、本当に感謝だ。

『武士の一分』2006年12月02日 20時45分

 きのうの夕方は新宿で『ありがとう』を、きょうの夕方は川崎で『武士の一分』を見た。どちらも良い映画だった。特に『武士の一分』は私にとっては満点の5点で、私がこれまで見た山田洋次監督の映画、すなわち『たそがれ清兵衛』、『隠し剣鬼の爪』はもちろん、『男はつらいよ』シリーズや『学校』シリーズ等々を含めて、これまでのNo.1のように、今思っている。この映画は2回、3回と見なければならない。もしかして、佐々部監督の映画や『ニライカナイからの手紙』を越えて私にとっての邦画No.1になってしまうかもしれないとまで思っている。結論を出すのは2回目、3回目を見てからにしようと思うが。
 何がそんなに良かったのか。私の性分、私の憧れにぴったりとはまったということだろうか。まず、剣を交えたときに味わう神妙なる思いが底流にあるように思う。そして生き方に対する基本姿勢、対人関係の基本姿勢、等々。憧れではあるが、そうはならない、そうはなれないことに対する寂しさも感じる。
 きょうはこれぐらいにしておきます。この映画を2回、3回と見た後で、また再び書いてみたいと思います。

かわさきヤングミュージカル20062006年09月14日 22時26分


 今夜、近所の高津スポーツセンターに剣道の稽古に行ったら、いつも稽古に来ている小学校6年生の女の子からミュージカルのチラシをもらいました。彼女も出演しているそうです。
 すくらむ21(川崎市男女共同参画センター)で10月7日と8日に公演があるそうです。川崎市内の小学校5、6年、中1~中3と高1が中心メンバーのようです。すくらむ21は近所だし、7日、8日は特に予定が入っていないので、見に行ってみようかなと思っています。お近くの皆さんもいかがですか。

かわさきヤングミュージカルHP
http://kawamusical.hp.infoseek.co.jp/index.shtml

新歓合宿の想い出2006年02月12日 01時17分

 昨夜また大学の剣道部の同期と会う機会があった。
その時、我々の部の新入生歓迎合宿(新歓合宿)の時の話で盛り上がり、この、ちょっと通常では考えられない目茶苦茶な合宿のことを久々で思い出した。
 新歓合宿の1日のスケジュールは、正確な時間は忘れたが、だいたい以下の通りだった。

6:00  起床
6:10~ 約1時間 ランニングと体操・トレーニング
9:30~ 約2時間 稽古(1年生はランニングと素振り・打ち込み)
14:00~ 約2時間 稽古(同上)
19:00~ 約1時間 素振り
20:00~ 約20分  ミーティング
22:00  消灯・就寝

 朝・午前・午後・晩と1日に4回もしっかりと稽古やトレーニングをする、極めて真面目な合宿だった。しかし、稽古はそれだけではなかった。それは合宿最初の晩、早くも開始された。
 午後10時、先輩の「明日は6時起床だから、早く寝ろ」ということで消灯になった。20分ぐらいして我々1年生が眠り始めた時、いきなり先輩から「起きろ、起きろ!」と言われてストームが始まった。ストームというのは、皆で肩を組んで円になり、足を上げながら

 札幌農学校は蝦夷が島、熊が棲む
 荒れ野に建てたる大校舎、コチャ
 エルムの木陰で真理説く
 コチャ、エー、コチャ、エー

 札幌農学校は蝦夷が島、手稲山
 夕焼け小焼けのするところ、コチャ
 牧草肩敷き詩集読む
 コチャ、エー、コチャ、エー

 札幌農学校は蝦夷が島、クラーク氏
 be ambitious boysと、コチャ
 学府の基を残し行く
 コチャ、エー、コチャ、エー

と、これを何回も何回も延々と繰り返し踊りながら歌うものだ。1年生にとっては何でこんなことをするのか、全く訳が分からなかった。これが終わると、「早く寝ろ」と言って先輩たちは去って行った。自分たちで起こしておきながら「早く寝ろ」もないものだが、とにかく皆ふたたび寝始めた。しかし、10分後ぐらいに、また「起きろ、起きろ」と3年生に起こされ、寮歌の指導が始まった。これは夜の12時近くまで続いた。これが、終わるとまた「早く寝ろ」と言って3年生は去って行った。やれやれ、これでやっと寝れると思ってウトウトしかけたところ、今度は2年生が我々1年生に「起きろ、起きろ」と起こしに来た。今度は一体何なんだと思っていたら、何と剣道部に代々伝わる伝統芸の指導をするというのだ。これが深夜の2時か3時頃まで続いた。3時に寝て、6時には起床してランニングだ。ランニングは近くの女子大の寮の周りをグルグル回りながら「起きろ、起きろ」の大合唱をした^^;
 昼は剣道の稽古、夜は寮歌と芸の稽古という過酷な合宿は約1週間続いた。
 若いとはいえ全く神仏を恐れぬ異様な合宿であった。なぜ剣道部にこのような伝統が生じたのかは謎だ。剣道に関しては極めて真面目に取り組み、しかし芸にも燃えていた奇妙なクラブであった。
 
☆「これは、知恵と訓戒とを学び、
 悟りのことばを理解するためであり、
 正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、
 わきまえのない者に分別を与え、
 若い者に知識と思慮を得させるためである。

 主を恐れることは知識の初めである。
 愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」
 (箴言 第1章2-4,7節)

守・破・【帰】2006年01月20日 01時20分

(レンブラント「放蕩息子の帰郷」)

 昨晩は今年2回目の剣道の稽古をすることができた。
いま指導していただいている剣道の先生との出会いについても機会があったら書いてみたいが、昨晩、剣道をした後で「守・破・離」について考えたので、きょうはそれについて書く。

 剣道に限ったことではないだろうが、「守・破・離」という言葉があり、「離」を目指して精進しなければならないということが良く言われる。師匠の教えをひたすら守るだけではなく、破ることによって独自の道を模索し、やがて師匠を離れて一つの流派を為すことができて初めて一人立ちできたことになるというわけだ。
 でも本当に離れることなど、できるのだろうか。師匠が偉大であればあるほど、それは難しいのではないか。
 昨日と一昨日の桐谷先生の話に戻すと、私は学生の間は「守」の段階であったので特に大きく悩むことなく過ごしたが、名古屋で先生の助手になってからは、どうしたら先生の殻を「破」り、独自の道を築いていくことができるだろうかと、悶々と悩んでいた。いろいろな要因が重なって、結局私は名古屋を離れて、全く別の道を歩むことにした。静岡で神戸の地震の揺れを感じたのは、ちょうどその曲がり角の失業時代のことだった。
 しかし、そうして桐谷先生から離れたつもりでいたのだが、先生の最後の任地となった広島から共同研究への参加を先生から何度も呼び掛けられ、結局また一緒に研究を行うことにした。先生の下を離れてから6年後か7年後のことだ。広島へ赴いた私に先生は、「ワシはしつこいんじゃよ」と言っていた。
 私は先生の下に帰り、再びいろいろ教えていただくことができた。「守」から「破」を経て、結局は「帰」となったのだ。でもこれが正しい道なのではないだろうか。「守」の存在が大きければ大きいほど、そこに帰っていくべきものなのだ。レンブラントの「放蕩息子の帰郷」に描かれている弟息子のように。

名古屋 -2-2006年01月07日 08時39分

 名古屋では良いこと悪いこといろいろあったが、良かったことの一つは、剣道を再開できたことだ。5年ほど全く竹刀を握っておらず、もう剣道をすることはないのではないかとも思っていたが、突然火が点いた。テンションを上げて大学の剣道部の門を叩き、稽古に参加させてもらった。久しぶりで緊張していたため力の加減が分からず、最初の切り返しの相手の女子学生に全力で体当たりして吹っ飛ばしてしまった。床で後頭部を打ち、しばらく起き上がらなかったのですごく焦った。
 そんな風にして再開した剣道だったが、一回り年齢が下の学生たちにビッシリ付き合ってとても楽しかった。週2回は稽古に参加し、飲み会にも良く顔を出し、試合にもほとんど付いて行った。母校の北海道での大会を観戦に行き、母校と対戦した時も、母校の側ではなく、名古屋の側にいて応援したほどだ。
 剣道で職場のストレスを発散できたから、名古屋で4年間やっていけたのだと思う。

初稽古2006年01月06日 06時10分

 昨晩、今年初めての剣道の稽古を行った。
 ここ2年ほどは稽古量がグーンと落ちて、月に1,2回ぐらいしか稽古できていない。こんな稽古量では体もほとんど動かないので、ここ1年は打つことよりも、構えた時に剣先を相手の中心からはずさないことだけを心掛けて稽古するようにしている。これを心掛けるようになってから無駄な動きが少なくなって、稽古量は落ちたのに以前より少し強くなった気がする。中心線の取り合いの攻防の感覚も以前より分かるようになってきた(まだまだですが)。年をとっても上達できるのが剣道の面白いところだ。次の昇段審査まであと3年あるし、もっと映画館に足を運びたいこともあって、剣道のモチベーションがなかなか上がらないが、せめて週1回の稽古量は確保したいところだ。本当は週2回は稽古しないと体が動くようにならないが、現状では少し難しい。