『神に失望したとき』2011年04月13日 09時00分

 「フィリップ・ヤンシーの本はいいよ!」と、複数の神学生が言っていたので、では私も読まなければと思い、まず2月に『この驚くべき恵み』を読みました。確かに、とても良かったので、それ以降、神学院の図書館からまとめてヤンシーの本を借り、立て続けに何冊か読みました。『祈り ― どんな意味があるのか』、『だれも書かなかったイエス』、『教会 なぜそれほどまでに大切なのか』。そして大地震の直後、どんな説教をしたら良いのか悩んだ時に、『神に失望したとき』と『痛むキリスト者とともに』を読みました。

 京都の教会に来て最初の祈祷会のお証しの時に、一人の方が、今度の大震災で信仰が揺らいでいるという話をされました。今回の大地震では、信仰を持つ者は誰でも多かれ少なかれ信仰が揺さぶられたことと思います。私も未だに100%納得した理解には至っていません。しかし、ヤンシーの『神に失望したとき』は自分の信仰を考え直すのに非常に役に立ったので、この信仰が揺らいでいると言う方にこの本をお貸ししようと思いamazonで取り寄せ、お貸しする前に自分でももう一度読み直しました。

 この本の良いところでもあり、悪いところでもあるのは、非常に情報量が多いということです。著者自身も様々な観点から「神に失望する」ということについて考察していますし、試練に遭って悩んでいる人の証言も複数取り上げられています。これらの証人の信仰も皆それぞれ違いますから、話が拡散気味であり、この本を読み終わった後、実はあまりスッキリ感はありません。結局のところ、自分の信仰の問題は自分で解決するしかないのです。しかしその時に、この本が提供する非常に多くの考察の材料が大変に役に立つことになります。

 私が感心しきりなのは、旧約聖書の「ヨブ記」をどう読んだらよいか、ということです。ヤンシーによれば、「ヨブ記」とは推理劇のようなものだということです。それで私は、『刑事コロンボ』を思い出しました(ヤンシーは『刑事コロンボ』には言及していません)。『刑事コロンボ』は予め視聴者に殺人の現場が明かされます。次いでコロンボが登場し、あれこれ悩みながら推理を展開し、ラストに至ります。「ヨブ記」も最初に読者に、なぜヨブが悩み苦しむことになるかのタネが明かされます。天上の神と悪魔とが賭けのようなことをしてヨブの信仰を試すことにするのです。何も知らない哀れなヨブは大変な苦しみの中を通ることになります。読者はなぜヨブが苦しむことになったかの経緯を知っていますが、当のヨブは知りません。『刑事コロンボ』と展開が何となく似ていますね。

 ヤンシーは時に宇宙規模での神と悪魔との闘いを語り、時に卑近な例を挙げます。個人的には宇宙規模の闘いについての考察が非常に勉強になりました。現在は古本しか手に入りませんが、大震災の中を通る日本人にとっては、とても参考になるお勧めの一冊です。

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