佐々部映画2006年01月02日 08時45分


 帰省先の静岡から戻ってきた。
 新幹線の静岡駅で「こだま」を待っている間、何本もの「のぞみ」が猛スピードで眼前を通過して行った。こんな風に時代の先端を疾走して行く人もいれば、スピードにはこだわらず一歩一歩着実に歩みを進めて行く人もいる。
 映画の佐々部清監督は後者だ。
 1編の映画を見て感動を受けた時は「知性」「感性」「霊性」のどれか1つが刺激された時だと思う。これだけで十分にいい映画だが、2つが感応する時は素晴らしい映画だ。佐々部監督の『カーテンコール』と『チルソクの夏』には「知性」と「感性」を大きく揺さ振られた。
 そして3つを動かす力を持った映画は稀だ。『四日間の奇蹟』はこの3つを揺さぶる力を持ったスケールの大きな映画であったと思う。佐々部監督自身にとっても120%の自信作だったらしい。
 この『四日間の奇蹟』と『チルソクの夏』はDVDが出ており、『カーテンコール』はまだまだ劇場で公開中なので是非多くの人に見てもらいたいと思う。
 映画に限ったことではないが、作り手が何かを発信しても受け手の感度が低ければ受信することは不可能だ。私自身もこれらの感受性を鈍らせることなく常に研ぎ澄ませていたいと思う。
 スピードや効率を重視し過ぎるとこれらの感受性のどれかが犠牲になることも肝に銘じておきたい。

名古屋 -1-2006年01月03日 07時10分

 1月3日の箱根駅伝の復路の日になると、名古屋にいた頃のことを思い出す。あの頃、年末年始の静岡への帰省には車を使っていた。正月を静岡で過ごして、いつも3日に名古屋に戻った。箱根駅伝6区の山下りをテレビで見た後で家を出発して東名高速で名古屋に向かうと、ゆっくり走っても10区のゴールシーンは名古屋の宿舎で見ることができた。
 これから時々、この名古屋にいた頃のことを書いてみたい。ここでは89年の秋から93年の夏までを過ごした。低空飛行の4年間だった。自分の進路をどう切り開いて行ったら良いのか、悶々と悩みながら過ごしていた。
 この頃は「男はつらいよ」の寅さんに癒されていた。年齢は違うけれど、悩み多き甥っ子の満男君が伯父さんを慕うように、私も寅さんを慕っていた。

『国家の品格』2006年01月04日 17時20分

 年末30日の書き込みで藤原正彦氏について少し触れたら、元旦の朝日新聞の社説に氏の名前が出ていたので少しビックリした。氏の『国家の品格』(新潮新書)から引用していたので、私もその本を買って読んでみた。『武士道』について触れていたが、私が一番読んで良かったと思った箇所は、
 第二章「論理」だけでは世界は破綻する
だった。特に「論理には出発点が必要」の節の、論理の出発点を選ぶのは論理でなく情緒や精神の形なのだから、いくらその後の論理の筋が通っていてもその説が正しいとは限らないという氏の主張は大変に参考になった。私は昔から論理的に話す人に言い負かされることが多いので、出発点に注目すれば言い負かされないかもしれないぞ、と少し希望が湧いてきた。
 『武士道』は、私も大変に関心があり、2,3回読んだことがある(あまり理解できていないけど)ので、近いうちにまた触れてみたい。

佐々部映画 -2-2006年01月05日 07時25分

 昨日、sasabe.netの応援ボードに、次のような書き込みがあった。

>『三丁目の夕日』と『カーテンコール』とでは似たようでいて、決定的にお客さんとの向き合い方が違う気がするのです。

 私もその通りだと思う。ただし、この書き込みには次のような記述もあった。

>このまま行くと本当に閉じた、この古臭さを共有してくれる人たちのためだけの作品作りしか出来ないんじゃないかと心配になります。

 これは違うと思った。
 『三丁目の夕日』は見ていて楽しい映画で、ホロッと来る場面もあり、見た後もほのぼのとした感じが残る、とても良い映画だと思った。心の表面を気持ちよくなでてくれる感じだ。でも表面止まりだ。
 『カーテンコール』はもっと心の深いところまで掘り起こしてくれる。古臭さを共有するというのはまだまだ表面レベルであり、単にそれだけのことを佐々部ファンは求めているのではないと思う。佐々部映画を見た後は心が耕された感じがする。新鮮な空気が心の奥底まで届いてくれるのだ。佐々部映画がこのような力を持っている限り、ファン層はもっともっと広がっていくはずだ。

初稽古2006年01月06日 06時10分

 昨晩、今年初めての剣道の稽古を行った。
 ここ2年ほどは稽古量がグーンと落ちて、月に1,2回ぐらいしか稽古できていない。こんな稽古量では体もほとんど動かないので、ここ1年は打つことよりも、構えた時に剣先を相手の中心からはずさないことだけを心掛けて稽古するようにしている。これを心掛けるようになってから無駄な動きが少なくなって、稽古量は落ちたのに以前より少し強くなった気がする。中心線の取り合いの攻防の感覚も以前より分かるようになってきた(まだまだですが)。年をとっても上達できるのが剣道の面白いところだ。次の昇段審査まであと3年あるし、もっと映画館に足を運びたいこともあって、剣道のモチベーションがなかなか上がらないが、せめて週1回の稽古量は確保したいところだ。本当は週2回は稽古しないと体が動くようにならないが、現状では少し難しい。

名古屋 -2-2006年01月07日 08時39分

 名古屋では良いこと悪いこといろいろあったが、良かったことの一つは、剣道を再開できたことだ。5年ほど全く竹刀を握っておらず、もう剣道をすることはないのではないかとも思っていたが、突然火が点いた。テンションを上げて大学の剣道部の門を叩き、稽古に参加させてもらった。久しぶりで緊張していたため力の加減が分からず、最初の切り返しの相手の女子学生に全力で体当たりして吹っ飛ばしてしまった。床で後頭部を打ち、しばらく起き上がらなかったのですごく焦った。
 そんな風にして再開した剣道だったが、一回り年齢が下の学生たちにビッシリ付き合ってとても楽しかった。週2回は稽古に参加し、飲み会にも良く顔を出し、試合にもほとんど付いて行った。母校の北海道での大会を観戦に行き、母校と対戦した時も、母校の側ではなく、名古屋の側にいて応援したほどだ。
 剣道で職場のストレスを発散できたから、名古屋で4年間やっていけたのだと思う。

名古屋 -3- バードウォッチング2006年01月07日 09時50分

 名古屋でもう一つ良かったことは、バードウォッチングの楽しさを覚えたことだ。職場の同僚に誘われて始めた。彼は愛知県でもトップレベルの有能なバードウォッチャーで、初心者の私が全く気付かないのに次々と鳥を見つけては私に教えてくれた。普段気にかけていなかっただけで、本当は身の回りにこんなにたくさんの鳥がいたんだということに驚き、次第にのめり込んで行った。何度か探鳥会に参加するうち、だんだん自分でも鳥を見つけられるようになってきた。
 バードウォッチングの何がそんなに面白いのか。人それぞれだと思うが、私の場合は、感覚を研ぎ澄まして鳥の気配を感じ取ること、そこが私の性分に良く合って気に入ったのだと思う。だから大勢で見て回る探鳥会も楽しいが、一人または少人数で自然豊かな場所に分け入り、全身の感覚を鋭くして鳥の気配を探る時は厳粛な気持ちに包まれる至福の時だ。最近はそういう機会が全くなくなってしまった。いつかまた復活させたい。

厳粛な空間2006年01月08日 08時28分

 静かな場所に身を置くと厳粛な気持ちになる。
 その中で感覚を研ぎ澄ましていくと、何とも言えない神聖な雰囲気に心身を委ねることができる。
 昨日書いた、バードウォッチングの時がそうだ。
 映画の撮影現場を見学させてもらった時もそれを感じた。
 透過型電子顕微鏡を操作する時もそうだ。原子レベルの小さな物を見る時は心静かな状態で精神を集中させて視覚を研ぎ澄まし、電圧軸、非点収差、フォーカスのわずかなズレも修正して最高の写真が撮れるようにしなければならない。この時に感じる電子顕微鏡室の神聖な雰囲気が好きだ。
 人は変だと言うが、試験監督として入学試験の会場に身を置くことも、私は好きだ。特に問題用紙と解答用紙を配り終わって、試験開始時刻となるまでの数分間が好きだ。受験生のこれからの人生を大きく左右するであろう試験の直前の厳粛な雰囲気の中に身を置くと、自分の心が浄化されるような感じがする。
 寺社の鎮守の森の静謐感も好きだ。
 そして礼拝堂の中の神聖な雰囲気も好きだ。
 映画『四日間の奇蹟』では全身でそれを感じることができた。
 きょうは礼拝の日だ。
 この厳粛な空間に身を委ねに行ってくる。

  http://www.tkchurch.com/

キュアサルコーマ2006年01月09日 08時12分

 知人のKiaraさんという女性が平滑筋肉腫という病気で闘病中だ。
筋肉中に次々と腫瘍ができる難病で、除去手術を受けても、また別の場所にできるので入退院を繰り返している。数ヶ月に一度は入念な検査をして新たな腫瘍ができていないか調べるそうだ。見落としがあるとどんどん進行してしまう。数年前には、そういうことも経験したらしい。
 正月明けから治療と手術のために、また入院している。正確な数はよく分からないが、今回の手術はどうやら10回目のようだ。1回でも大変な手術をこれまでに何回も経験し、さらにこれからも受け続けなければならない人の心境はどのようなものなのか、気楽に生きている私には想像できない。私にできることは祈ること、募金・署名に協力すること、そしてこんな風にネット上で彼女たちの取り組みを紹介することぐらいだ。
 いま彼女たちは「肉腫の標的遺伝子療法を推進する会」の活動を展開中だ。この療法の臨床試験が早期に実現するよう、私も応援していきたい。
 Kiaraさんたちによるブログは
http://blog.livedoor.jp/curesarcoma/
に、会のホームページは下のバナーをクリックすると見られます。

『出口のない海』で学ぶ「靖国とは?」2006年01月10日 00時02分

 佐々部監督の『チルソクの夏』の東京応援団長を務めた安倍晋三官房長官が「報道ステーション」に生出演していた。靖国問題についてもいつもの持論を語っていた。「小泉首相が言ったように、政治家として国民として、国のために命を落とされた方々のご冥福を祈るのは当然ではないか。その気持ちは持ち続けたい」とのことだ。このことに対して異議を唱える人はあまりいないのではないかと思う。問題は、戦争責任があるとされる人々を神として祀るべきかどうかということにあると思うが、このことに関する説明は小泉さんからも安倍さんからもされていないように思う。政教分離の原則があるからするわけにもいかないのだろうが。
 同じく佐々部監督により映画化が進められていて今秋公開予定の『出口のない海』(横山秀夫原作)の原作本(講談社)のp.226に、主人公・並木と同じ大学出身の北の次のような言葉がある。
「特攻は最高の名誉だ。神になれる」
「息子が特攻で死ぬ。その事実をおやじとおふくろに叩きつけてやる。神になって村中の人間を土下座させてやる」
 このセリフは靖国に祀られている霊がどのような存在かを分かりやすく説明していると思う。戦犯とされている人の霊についても同様だ。このことを踏まえた上での靖国参拝についての議論があまり為されていないように、いつも思っている。