『1リットルの涙』2006年08月11日 11時55分



 この本の正式なタイトルは『1リットルの涙 難病と闘い続ける少女亜也の日記』という長いものだ。
 ちょうど1ヶ月ほど前、名画座の三軒茶屋中央劇場で映画『1リットルの涙』(監督・岡村 力、主演・大西麻恵)を上映していたので見に行き、感動したので原作が欲しくなり、帰りにこの本を買った。同名のテレビドラマは一度も見たことがない。
 日記の著者の木藤亜也さんは「脊髄小脳変性症」という病気を15歳の時に発症し、25歳で亡くなった。この病気は反射的に体のバランスをとり、素速い、滑らかな運動をするのに必要な小脳・脳幹・脊髄の神経細胞が変化し、ついに消えていってしまう病気だそうだ。映画では主演女優の大西さんが次第に体が動かなくなっていく様子を熱演していた。
 日記には、亜也さんが17歳の時に養護学校の修学旅行で広島に行った時の感想文も収められている。この少女の感性はすごいと思った。



「最初、車椅子を恐がって、なかなか寄ってこなかったハトたちなのに、餌を持つと肩に腕に頭にととまってくる。ハトも原爆を落とした人間も、かなりいい加減だと思った。」

 なるほど、そうなのだと納得させられる。原爆を落とした者は人間の姿はしていても、中身はハト並みに鈍感で愚かな者たちなのだ。

「さきほど、原爆資料館を見学してきた。(中略)原爆症で亡くなってしまったさだ子さんの折ったつるがあった。赤いすきとおった薬紙でつくってあった。死にたくない。生きたい。さだ子さんの叫びが聞こえるようだった。」

 私も資料館で何度もこのさだ子さんの折ったツルを見ているが、ただ悲しく思っただけで、叫び声までを感じることはできなかった。

「折りからの雨で太田川は土色に濁っていた。原爆が落ちた時、苦しむ人々でうまったこの川。『熱い、熱い』とうめき声をあげていたこの川。頭の中で想像する方が、実際に資料を見たときよりも恐ろしかった。」

 私は資料館の外でこのような想像をしたことはなかった。亜也さんの広島旅行の感想文を読み、自分の鈍感さを情けなく思った。

話にならない…2006年08月11日 22時55分

 首相の靖国参拝の是非についての議論がにぎやかになっていますが、神社という信仰の場について議論しているのに、参拝に賛成する人も反対する人も、自身の信仰について真剣に考えたことがあるのか疑わしい人たちが多いのだから、まったく全然話になりません。
 日本はこれからどうなってしまうのでしょうか。

甘いお菓子は元気の源2006年08月12日 06時14分



 今週は泣いたり・怒ったり・嘆いたりの1週間でしたが、こんな時は甘くて美味しいお菓子をほおばるのが良いようです。甘い物を食べると自然にホホが緩み、笑顔を取り戻すことができます ^^
 私は太りやすいので、甘い物はなるべく食べないようにしていましたが、ある時から甘い物を我慢するのを止め、よく食べるようになりました。ある時からとは、映画『チルソクの夏』を通じて「巌流焼」というお菓子の存在を知り、食べてみた時からです。白餡のドラ焼きで結構ボリュームがあるのですが、1個食べ終わった後も、ついもう1個に手が伸びてしまう美味しさです。
 巌流本舗のホームページ
  http://www.ganryu.co.jp/
に「巌流応援団 -special-」というページがあり、これを読むと映画の撮影現場でも「巌流焼」は大人気だそうです。ハードな映画の撮影現場では、良きエネルギー源にもなるそうです。
 この巌流本舗の社長さんはすごく太っ腹な人で、私が『チルソクの夏』の上映会と佐々部清監督の講演会を企画して開催した時も、会場に「巌流焼」300個を宅配便で送ってくださいました。来場者にも大好評でした。
 上の写真は巌流本舗の「風韻山果」という水羊羹の詰め合せです。『出口のない海』の1000人上映会のチケットを下関のチル友にお願いしていたら、チケットと一緒に送ってくださいました。早速わらび羊羹を口に含んだら、ほどよい甘さ、そして口の中でのとろけ具合が絶妙で、思わずホホが緩み、目尻が下がりました。
 下関のチル友さん、どうもありがとうございました ^^

広島へ2006年08月13日 08時37分

 きょうの午前は教会の礼拝、午後は視覚障害者の方を誘導しての『出口のない海』試写会(視覚障害の方の鑑賞希望者も多かったそうなので、入場できるか、ちょっと不安)、夜は広島へ向かいます。
 月曜、火曜は広島に滞在します。

 しばらくブログ更新を休みます。
 PCを持参しようかとも思いましたが、たまにはメールやブログから離れて、あれこれゆっくり考える時間を持ちたいと思います。

相生橋2006年08月16日 21時41分



 広島に行ってきた。今回、『1リットルの涙』の木藤亜也さんのような感性でヒロシマを感じることができたら良いなと思い、この文庫本を持参して広島入りした。
 さて14日の午後、『夕凪の街、桜の国』の広島ロケの相生橋でのシーンに通行人役のエキストラとして参加した。歩き始めのスタート位置は田中麗奈さんと中越典子さんのすぐ近くからだった。そして何度目かの本番の時、雲が動くのを待つためにスタート位置付近でしばらく待機することになった。私は女優さんたちのすぐ近くで橋の上から同じ風景を眺めることができた。自分のすぐ右側には中越さんと田中さん、左側には原爆ドーム、真下は遺体があふれていたという川、という状況だ。
 この状況をどう感じたらよいのか、私は戸惑った。この現場がヒロシマでなければ、間違いなく大喜びしている。しかし、ここはヒロシマだ。
 翌日、また同じ場所に立って前日のことを思い返した。このような得がたい体験ができたことの意味を考えたが、やはり分からなかった。これからも考え続けてみたい。これが分かったとき、自分の中に何か新しいものが生まれるような気がしている。

「ピカ夏」に思う2006年08月17日 08時00分



 広島空港時刻表の裏表紙に「ピカ夏」の広告。
 広島のホテルのロビーでこの時刻表を手に取り、裏表紙を見て驚いた。
 1945年の暑い夏に閃光を放った原爆のことを被爆者は「ピカ」または「ピカドン」と呼ぶことを、広島にいる人なら誰でも知っているのではないのか?無知なのか、あるいは鈍感なのか?
 他でもない広島でこんな広告が堂々と掲載されるとは、信じられない。しかし、これが現実だ。平和公園以外の場所では、広島であっても原爆のことは次第に忘れ去られつつあるのではないだろうか。
 8月15日の正午、広島の平和の鐘の音が響く中で1分間の黙祷を捧げながら、平和のための働きに私が私なりの方法で用いられるよう、強く祈った。

『夕凪の街 桜の国』広島ロケ2006年08月18日 12時23分

ロケの様子が広島フィルム・コミッションの下記ページで見られます。

ロケ
http://www.fc.hcvb.city.hiroshima.jp/yunagi/index.html
スタッフ紹介
http://www.fc.hcvb.city.hiroshima.jp/yunagistaff/index.html

 私は県外からのエキストラ参加で地元の方には申し訳なく思っています。でも良い経験ができ、また、名作と呼ばれることになるであろうこの作品に参加できて幸せでした。
 地元スタッフの皆様、佐々部組の皆様、本当にどうもありがとうございました。

広島フィルム・コミッションHP
http://www.fc.hcvb.city.hiroshima.jp/

今年劇場で見た映画ランキング2006年08月19日 08時17分

 山口県のおたっきーさんの上半期総括の真似をして、私も今年これまでに劇場のスクリーンで見た映画を、良かった順に並べてみました。特に採点はしておらず、見終わった後の印象です。
 三軒茶屋の名画座でいくつか旧作を見ましたので、初めて見た映画は、旧作でも含めました(もちDVDは除きます)。
 試写会で見た『出口のない海』も含めました。私は『ニライカナイからの手紙』に相当にほれ込んでいますが、それよりも上に置きましょう!いい映画でした!
 でも、ちょっと心配なことがあります。8/13のトーキョーシネマショーでの試写会では、エンドロールが始まるやいなや私語があちこちで始まり、席を立つ人がかなり目立ちました。かなり騒がしくて、それらの人たちが出てしまうまでは、竹内まりやさんの歌がよく聞こえないほどでした。昨年大ヒットした『男たちの大和/YAMATO』や『ALWAYS三丁目の夕日』に感激するタイプの人たちは、もしかしたら『出口のない海』にあまり感動しないのではないかと心配になってきました。Yahoo!映画の『出口のない海』作品ユーザーレビューにも的外れなことが書いてあります。
 下のランクでは、『YAMATO』と『ALWAYS』(両方とも昨年、劇場で見ました)に対する私の評価を、今年見た映画と比較する形で入れておきます。
 なお、下のランクで*印があるのは旧作です。

(出口のない海)
ニライカナイからの手紙*
戦場のアリア
ホテル・ルワンダ
博士の愛した数式
シムソンズ
単騎、千里を走る
タイヨウのうた
1リットルの涙*
パッチギ*
力道山
ゆれる
雪に願うこと
ちゃんこ
蝉しぐれ*
花よりもなほ
かもめ食堂
(ALWAYS 三丁目の夕日)*
バルトの楽園
(男たちの大和/YAMATO)*
NANA ナナ*
ハチミツとクローバー
明日の記憶
県庁の星
恋する神父*
日本沈没
バッシング
空中庭園*

何年前からが遠い昔か2006年08月19日 15時48分

 きょうの午前、NHK広島が製作したローカル番組2本を全国放映していたのを、たまたま目にすることができた。
 「平和の鐘よ 鳴り響け~大聖堂建設・ある神父の物語~」
 「きみにヒロシマを伝えたい」
の2本だ。
 今回の広島訪問で大聖堂には8/15の午前に行って、ちょうど行われていたミサに参加し、資料館には8/14と8/15の両日に行ってきたので、どちらの番組も強い関心を持って見た。
 「きみにヒロシマを伝えたい」で紹介された、20代で資料館の案内のボランティアを務める女性は、自身も小学生の時は原爆の悲劇は遠い昔の出来事としか感じられず、ほとんど関心を持っていなかったとのことだった。しかし、高校生の時、祖母から被爆体験を聞きたいと思うようになったそうだ。祖母が原爆で死亡していたら母は生まれず、母がいなければ自分は存在しなかったと思ったことが、きっかけだそうだ。
 ボランティアを続けるうち、遠い昔の出来事だと思っていた原爆の話が少しずつ身近に感じられるようになったとのことだ。20~30年後に被爆体験者がいなくなった後は、自分達の世代が語り継いで行かなければならないという強い使命感を持って祖母の被爆体験を来館者に伝えているこの女性の姿勢に感銘を受けた。

 私自身もこの1年、何度か広島に行くうちに、原爆の悲劇を少しずつ身近に感じられるようになってきた。私にとって1945年は、そんなに昔のことではない。そう思うようになったのは、教会に通うようになってからだ。聖書を読み、日曜日の礼拝で説教を毎週聞き、イエス・キリストや使徒パウロたちが生きた時代を繰り返し頭の中で思い描くようになってから、2000年前のことが、昔のことではなくなった。学生の頃は札幌農学校のクラーク博士などは大昔の人だと感じていたが、130年前のクラーク先生は今の私にとっては身近な人物だ。
 わずか数十年前の出来事が遠い昔のこととして忘れ去られ、戦争の悲劇が繰り返されることがあってはならないと強く思う。

2006年08月20日 09時43分

 川村妙慶@ロココスタイルという仏教の教えをやさしく説いてくれるサイトがあり、毎日のように見に行っている。日替わり法話(Daily Houwa)が毎日更新されるので、キリスト教との共通点・相違点に注目して興味深く読んでいる。
 8月19日付けの日替わり法話では、愛について書かれていた。そういえば、ここには愛については、あまり書かれていない。

 教会では、いつも神の愛が語られている。聖書には愛という言葉がたくさん出てくる。例えば、以下の箇所。

 「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」
(新約聖書 ヨハネの手紙第一 4章7-12節)