テネシー州・オークリッジ2006年08月03日 08時16分



 昨日の記事で紹介したフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「広島市への原子爆弾投下」の中に以下のような記述があった。

 「1942年6月、ルーズベルトはマンハッタン計画(DSM計画)を秘密裏に開始させた。総括責任者にはレズリー・グローヴス准将を任命した。1943年4月にはニューメキシコ州に有名なロスアラモス研究所が設置される。開発総責任者はオッペンハイマー。20億ドルの資金と科学者・技術者を総動員したこの国家計画の技術上の中心課題はウランの濃縮である。テネシー州オークリッジに巨大なウラン濃縮工場が建造され、2年後の1944年6月には高濃縮ウランの製造の目途がついた。」

 20代の最後の1年間を私はここオークリッジで過ごした。大戦中に秘密裏に作られた所だけあって、人里離れた、ものすごい田舎だった。私が携わったのは、もちろん軍事研究ではないが、広島のことを思うと居心地はあまりよいものではなかった。抜群の研究環境でそれなりの成果を上げることもできたのでポスドクとして雇ってくれた研究所のスタッフには感謝しているが、ここにいた時はいつも心の底に引っ掛かりを感じていたように思う。
 なぜ私が広島にこだわりを持つようになったかの理由の一つに、ここオークリッジで醸成された複雑な感情も絡んでいるのではないかと思う。