『ヒロシマ・ノート』2006年08月04日 07時04分

 以前読んだ本をまた読みたくなり、あちこち探して結局見つからなかったのだが、その代わりに自宅の書棚の片隅に眠っていた『ヒロシマ・ノート』が目に留まったので早速読んでみた。著者の大江健三郎氏がノーベル賞を受賞した時なので、もう12年ほど前に買ったものだ(初版は1965年)。たぶん、あまり真剣に読まなかったのだと思う。内容は全く覚えていなかった。
 映画『父と暮せば』と漫画『夕凪の街 桜の国』を見た時、被爆者の心理とはそういうものか、と少なからずショックを受けたが、『ヒロシマ・ノート』を読み、大江氏の観察眼・洞察力・筆力、さらには大江氏に送られた被爆者自身の手紙により被爆者の心理・感情を、またさらに知ることができた。この本と再会できて幸いであった。

『日本沈没』の罪2006年08月04日 23時09分

 金曜日の晩、渋谷で『日本沈没』を見た。ひどい映画だった。
 言いたいことは山ほどあるが、今このブログでは広島のことに集中しているので、それに関連する事のみ、書くこととする。
 岩盤を破壊するために用いた高性能爆弾が核兵器と同様の破壊力を持つ?馬鹿を言っては困る。どんな高性能爆薬を使ったとしても、核兵器が用いる核融合・核分裂反応とそうではない化学反応とでは桁違いに放出するエネルギーが違う。いくら映画でも日本が核爆弾を使ってはマズイということで、高性能爆薬を使うという設定にしたのだと思うが、それはかえって核兵器の恐ろしさに対する製作者側の鈍感さをさらけ出すことになったのではないか。配慮が配慮になっていない。いつになく激しい憤りを感じる。
 広島・長崎の日を迎える日本で、核兵器と通常兵器との威力の違いを無視した映画が上映されていることを悲しく思う。

悲報2006年08月04日 23時32分

 教会の藤本満先生から悲しい知らせがありました。
 肉腫の標的遺伝子療法を推進する会(キュアサルコーマ)のKiaraさんが天に召されたそうです。ブログへの書き込みが6月16日の記事
http://blog.livedoor.jp/curesarcoma/archives/cat_10009337.html
を最後に途絶えていたので、気にしていた矢先でした。
 Kiaraさんとは、藤本満先生が2002年から始めたキリスト教入門講座の最初の1期生同士だったので、同期生という親しみを感じていました。4月16日のジョン・チャヌさんイースター・コンサートでお会いしたのが最後になってしまいました。
 Kiaraさんが一番気にしていたであろう、ご家族のためにお祈りします。