受難4日前2006年08月02日 08時16分

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「広島市への原子爆弾投下」によると原爆投下の決行日を8月6日とする命令は、8月2日に通達されたそうだ。
作戦命令書13号  1945年8月2日
  1. 攻撃日       8月6日
  2. 攻撃目標     広島中心部と工業地域
  3. 予備第2目標   小倉造兵廠および同市中心部
  4. 予備第3目標   長崎市中心部
  5. 特別指令     目視投下に限ること
 4日後の8月6日、命令書の通り攻撃目標の広島市に原爆は投下された。 原爆はB-29エノラ・ゲイ号から投下された43秒後に閃光を放ったという。

 受難の日までの4日間、平和への祈りを強めて過ごすこととしたい。

テネシー州・オークリッジ2006年08月03日 08時16分



 昨日の記事で紹介したフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「広島市への原子爆弾投下」の中に以下のような記述があった。

 「1942年6月、ルーズベルトはマンハッタン計画(DSM計画)を秘密裏に開始させた。総括責任者にはレズリー・グローヴス准将を任命した。1943年4月にはニューメキシコ州に有名なロスアラモス研究所が設置される。開発総責任者はオッペンハイマー。20億ドルの資金と科学者・技術者を総動員したこの国家計画の技術上の中心課題はウランの濃縮である。テネシー州オークリッジに巨大なウラン濃縮工場が建造され、2年後の1944年6月には高濃縮ウランの製造の目途がついた。」

 20代の最後の1年間を私はここオークリッジで過ごした。大戦中に秘密裏に作られた所だけあって、人里離れた、ものすごい田舎だった。私が携わったのは、もちろん軍事研究ではないが、広島のことを思うと居心地はあまりよいものではなかった。抜群の研究環境でそれなりの成果を上げることもできたのでポスドクとして雇ってくれた研究所のスタッフには感謝しているが、ここにいた時はいつも心の底に引っ掛かりを感じていたように思う。
 なぜ私が広島にこだわりを持つようになったかの理由の一つに、ここオークリッジで醸成された複雑な感情も絡んでいるのではないかと思う。

『ヒロシマ・ノート』2006年08月04日 07時04分

 以前読んだ本をまた読みたくなり、あちこち探して結局見つからなかったのだが、その代わりに自宅の書棚の片隅に眠っていた『ヒロシマ・ノート』が目に留まったので早速読んでみた。著者の大江健三郎氏がノーベル賞を受賞した時なので、もう12年ほど前に買ったものだ(初版は1965年)。たぶん、あまり真剣に読まなかったのだと思う。内容は全く覚えていなかった。
 映画『父と暮せば』と漫画『夕凪の街 桜の国』を見た時、被爆者の心理とはそういうものか、と少なからずショックを受けたが、『ヒロシマ・ノート』を読み、大江氏の観察眼・洞察力・筆力、さらには大江氏に送られた被爆者自身の手紙により被爆者の心理・感情を、またさらに知ることができた。この本と再会できて幸いであった。

『日本沈没』の罪2006年08月04日 23時09分

 金曜日の晩、渋谷で『日本沈没』を見た。ひどい映画だった。
 言いたいことは山ほどあるが、今このブログでは広島のことに集中しているので、それに関連する事のみ、書くこととする。
 岩盤を破壊するために用いた高性能爆弾が核兵器と同様の破壊力を持つ?馬鹿を言っては困る。どんな高性能爆薬を使ったとしても、核兵器が用いる核融合・核分裂反応とそうではない化学反応とでは桁違いに放出するエネルギーが違う。いくら映画でも日本が核爆弾を使ってはマズイということで、高性能爆薬を使うという設定にしたのだと思うが、それはかえって核兵器の恐ろしさに対する製作者側の鈍感さをさらけ出すことになったのではないか。配慮が配慮になっていない。いつになく激しい憤りを感じる。
 広島・長崎の日を迎える日本で、核兵器と通常兵器との威力の違いを無視した映画が上映されていることを悲しく思う。

悲報2006年08月04日 23時32分

 教会の藤本満先生から悲しい知らせがありました。
 肉腫の標的遺伝子療法を推進する会(キュアサルコーマ)のKiaraさんが天に召されたそうです。ブログへの書き込みが6月16日の記事
http://blog.livedoor.jp/curesarcoma/archives/cat_10009337.html
を最後に途絶えていたので、気にしていた矢先でした。
 Kiaraさんとは、藤本満先生が2002年から始めたキリスト教入門講座の最初の1期生同士だったので、同期生という親しみを感じていました。4月16日のジョン・チャヌさんイースター・コンサートでお会いしたのが最後になってしまいました。
 Kiaraさんが一番気にしていたであろう、ご家族のためにお祈りします。

広島・長崎の悲劇を繰り返さないために2006年08月06日 05時43分

 なぜ広島・長崎の悲劇が起きたのか。この悲劇を二度と繰り返さないためにはどうしたらいいのか。御言葉を求めて聖書をめくり、次の箇所が目に留まった。

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」
(新約聖書 エペソ人への手紙 6章11,12節)

 原爆を開発して使用したアメリカには悪魔が取り憑いていたと見るべきなのだろう。そして核兵器を保有している国、保有を目指す国では今も悪魔が策略をめぐらせているのだろう。
 我々はそれに立ち向かっていかなければならない。核兵器使用・保有の恐ろしさ・愚かさを訴え続けていかなければならない。この悪魔との闘いで身に着ける神の武具は、広島の心と憲法九条を誇りに思う日本人の心を持った武具でありたい。

今に心を定めて生きること2006年08月07日 08時39分

 おいしそうな桃。昨日、チル友のIさんが桃狩りの帰りにわざわざ自宅の近くまで届けに来てくれました。私はその時、銀座へ『太陽』を見に行ったのに満席で入れなかったので、ちょうど引き返して来たところでした。入れなくて良かったです。いま山口県で話題沸騰の『聞こゆるや』を先週DVDで見て桃のシーンがたくさん出てくるので食べたいと思っていたのです。グッドタイミング!Iさんありがとう!
 最近このブログでは信仰のことをガンガン書いているので、もしかして教会以外の人とは距離ができてしまうかなと少し心配していましたが、チル友の皆さんはそれはそれとして変わらず付き合ってくださるので感謝なことです。
 きのうの礼拝の説教で牧師の藤本先生が、金曜日に天に召されたkiaraさんの一日一日を大切にする生き方について語ってくださいました。今を大事に過ごしていこうとすれば、神の名を汚すような余計なことをする時間は自ずとなくなり、神を崇める信仰的な生き方ができるのだと、教わりました。kiaraさんはキュアサルコーマのブログを始める前は、「生かされる日々。今ここに在ること。」という別のブログを書いていました。自己紹介には「不治の病と共存するということは過去でも未来でもない今に心を定めて生きること…一瞬の中に永遠を見つけること。簡単に出来ることじゃないけど…とにかく日々楽しく感謝して行きましょう。」とあります。このブログを読み、本当にそういう生き方をした人なんだと感銘を受けました。
 今夜は前夜式、明日は告別式があります。

kiaraさんの前のブログ「生かされる日々。今ここに在ること。」
http://blog.goo.ne.jp/kiara_july

kiaraさんへの告別の日に千葉敦子さんを思う2006年08月08日 23時55分

 kiaraさんの告別式は悲しいけれども主の愛が感じられる恵みにあふれた式だった。この恵みを何とかブログの記事にできないだろうかと思っていた時、突然に千葉敦子さんの『死への準備日記』のことを思い出した。1986年11月から1987年7月まで週刊「朝日ジャーナル」に連載されていた千葉さんの闘病日記だ。千葉さんはガンが全身に転移しながらもニューヨークでジャーナリストとしての仕事も続けていたので、単なる闘病日記ではなく、時事問題へのコメントや日本社会への批判的な感想なども、ふんだんに盛り込まれていた。今は文春文庫に収められているこの日記をどうしてもすぐに読み返したくなり、溝の口の大きな書店を2件まわったが無かった。高津の小さな本屋にも当然なく、渋谷へ行こうかと思ったがその前に寄った二子玉川の紀伊国屋で買うことができたので、感謝であった。
 この日記の細かいところはほとんど覚えていなかったが、千葉さんが宗教を頑なに拒んでいた箇所だけは妙に強烈に覚えていたので、まず真っ先にその箇所を探した。朝日ジャーナル1986年12月12日号に掲載された「善意の洪水に辟易する」という章にその日の日記があったので、少し長いが引用する。

○月×日
 ある程度は予想し、覚悟もしていたけれども、あまりの洪水にうんざりしている。日本から、嬉しくない手紙と各種の資料や本が、ものすごい量で届き始めたのだ。出す人たちは、おおかた善意のつもりなのだから、余計に始末が悪い。
 まず、宗教を私に勧める人たち。
 信仰に生きて、それが幸せな人生をその人にもたらし、死をまえにして穏やかな気持ちで死を迎えられるなら、それはその人にとって大変結構なことで、私はひとさまの信仰に干渉する気など、これっぽっちもない。私の家族や友人の中にも深い信仰を持っている人がいて、私はその人たちの信仰の自由を100%尊重している。
 しかし、私は無宗教という立場を選んで生きてきたのだから、無宗教で死にたい。これまでの数々の困難も、神や仏にすがらず、私らしいやり方で乗り越えてきたのだから、これからもそうしたい。生きることが、決して容易なものではなかったのと同じように、死ぬことも、容易なことだとは思わない。しかし、私らしい生き方で残りの日々を生きたいし、私らしい死に方で死にたいと思っている。
 宗教の一番悪いところは、信仰を持って幸せを感じる人が、他人にそれを押しつけようとする点ではないか。
 大体、四十年以上も生きてきた人に、病気が重くなったからといって、信仰を勧めるというのは、随分おこがましい話ではないだろうか。それまで生きてきたその人の人生・哲学に対して尊敬の念が少しでもあるなら、自分の信仰をいきなり押しつけたりできるものだろうか。
 それに、私は病気の進行で苦しい目にあってはいるけれども、精神的に絶望感に襲われているわけでもないし、自暴自棄に陥ってもいない。自己憐憫には無縁だし、悲嘆にくれているわけでもない。およそ神頼みとは、かけ離れた心理状態にある。
(後略)

 日記はまだまだ続くが引用はここまでにしておく。

 kiaraさんと千葉敦子さん。お二人とも深刻な病気に肉体を侵されながらも死の直前まで常にポジティブに活動的に生きた女性だ。でも信仰面では驚くほどに対照的だ。
 主に全てをゆだねたkiaraさんと、重荷を全て自分で背負い込んだ千葉さん。千葉さんは要らぬ心配をしてくれるなと思うだろうが、重荷を背負ったままで安らかな死を迎えることができたのだろうか。私としてはとても気掛かりだ。

素晴らしい告別式2006年08月09日 17時16分

 昨晩の記事で恵みにあふれていたkiaraさんの告別式のことをうまく表現できないものかと思い、対照的な人と対比させる形式を試みましたが、どうもあまりうまく書けませんでした。
 でも、きょう「シングルファザー日記」のloveamsさんが、この告別式のことを

「教会全体が愛情で包まれたような素晴らしい告別式。kiaraさんが多くの人々に崇高な愛情を分けてくれていたと同じだけの愛情が、教会全体に満ち溢れていた気がします。」

と表現してくださいました。私の立場からは、ご家族の気持ちを考えると「素晴らしい」という表現は使い難く、kiaraさんのご主人と同じ立場であられるloveamsさんだからこそ使える表現だと思い、勝手ながらここで紹介させていただくことにしました。

 本当に素晴らしい告別式だったと思います。
 loveamsさん、どうもありがとうございました。

シングルファザー日記・初級編 「kiaraさん」
http://loveams.blog46.fc2.com/blog-entry-111.html

夕凪の街 桜の国2006年08月10日 07時42分

8日の日刊スポーツに佐々部監督が撮影中の『夕凪の街 桜の国』についての記事が出ていました。
http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20060808-72371.html

出演者の詳しい情報も佐々部監督の公式サイトの「ほろ酔い日記」で発表されました。
http://www.sasabe.net/

先月、埼玉のロケ地を見学させてもらいました。



自転車男の樽見君もお好み焼き屋のお兄さん役で出ていました。



この漫画を読み、被爆者に対するこんな差別・偏見もあるのだということを初めて知りました。



今週末は、また広島に行こうと思っています。