静岡続映決定 ― 2007年08月25日 18時23分
きょう静岡の実家の母と妹が『夕凪の街 桜の国』の2度目を見に行ったとの連絡がありました。先週は50名の小さなホールだったのが、今週は200名の大ホールに変更になっており、さらに上映期間が1週間延びて9月7日までになったそうです。
静岡でも好調ですね。うれしいです。
静岡でも好調ですね。うれしいです。
祝 静岡初日満席 ― 2007年08月18日 16時33分
静岡の実家の母と妹が初日の今日、『夕凪の街 桜の国』の午後の回を見に行ったそうですが、30分前に着いた時には「満席」の表示が出ていて入れなかったので、夜の回の予約をして一旦家に戻ったと、先ほど連絡がありました。
まあ静岡サールナートホールのシネギャラリー1は45席しかないので、満席は予想していたことですが、でも実際にそのことを聞くとやっぱり、うれしいですね。
『22才の別れ』のことは、また後ほど書きたく思います。
まあ静岡サールナートホールのシネギャラリー1は45席しかないので、満席は予想していたことですが、でも実際にそのことを聞くとやっぱり、うれしいですね。
『22才の別れ』のことは、また後ほど書きたく思います。
こうの読みのこうの知らず ― 2007年08月15日 14時54分
終戦の日の今日、Yahoo!映画の『夕凪の街 桜の国』のレビューサイトに「平和ボケ日本人」というタイトルでこの映画を酷評する文章が投稿されました。こうの史代さんの原作のファンのようですが、このように一方的に相手を批判するだけの文章を書く人の心は原作者のこうの史代さんの心からは最も掛け離れた位置にあると言わざるを得ません。「論語読みの論語知らず」ならぬ「こうの読みのこうの知らず」です。
相手の価値を認めず関係を断ち切ろうとするこのような心が平和を乱し、戦争へと人を駆り立てて行くと言っても決して大げさではないと思います。
終戦の日の今日、このように心の狭い人の心がもっと豊かに広がり、寛大な心がもたらされるよう、お祈りします。そして私も「佐々部見の佐々部知らず」、「聖書読みの聖書知らず」にならないよう自身を戒めたいと思います。
相手の価値を認めず関係を断ち切ろうとするこのような心が平和を乱し、戦争へと人を駆り立てて行くと言っても決して大げさではないと思います。
終戦の日の今日、このように心の狭い人の心がもっと豊かに広がり、寛大な心がもたらされるよう、お祈りします。そして私も「佐々部見の佐々部知らず」、「聖書読みの聖書知らず」にならないよう自身を戒めたいと思います。
のし梅 ― 2007年08月12日 15時05分

昨日の11日(土)は『夕凪の街 桜の国』の水戸初日を見て、晩は水戸のおじさん・おばさんのお宅に泊めていただきました。
帰りの常磐線の車内販売で水戸みやげの「のし梅」を買いました。きょうは、これをおみやげに静岡に帰省して夕凪の宣伝をしてきます。夕凪の静岡初日は18日です。
村松崇継さんブログ ― 2007年08月10日 06時55分
映画『夕凪の街 桜の国』は村松崇継さんの音楽が素晴らしいです。
その村松さんのブログに8月7日の下関の1000人上映会のことが書いてあります。
写真入りです。我々は撮影禁止でしたから嬉しいですね^^
http://blog.livedoor.jp/takatsugu_sound/
その村松さんのブログに8月7日の下関の1000人上映会のことが書いてあります。
写真入りです。我々は撮影禁止でしたから嬉しいですね^^
http://blog.livedoor.jp/takatsugu_sound/
『夕凪の街 桜の国』の隠し味 ― 2007年08月10日 06時34分
目立たないけれども映画『夕凪の街 桜の国』を引き締めている隠し味のようなものを紹介したく思います。
まず鐘の音です。広島平和記念公園内の原爆の子の像の鐘と、平和の鐘の音が効果音として使われています。いずれも実際には聞こえるはずのない場所でのシーンで使われていますが、映画の雰囲気を醸し出すのに効果的に使われていると思いました。原爆の子の像の鐘は旭と打越さんが再会する場面でのカランコロンという独特の音が心に残ります。平和の鐘の音は確か原爆資料館前のシーンでたったの1回しか使われていませんが、この鐘の深い響きには心を揺さぶられます。鐘の音には人の心を打つものがあると思いますが、それが平和公園の中の鐘の音となれば、なおさらです。
広島に着いた旭と尾行している七波と東子が乗り込んだ市内電車の撮影は被爆電車で行われたそうです。被爆電車を用いることで俳優とスタッフの気持ちが引き締まる効果があっただろうと思います。
旭が会いに行った二人の女性を演じた方は、共に被爆者だそうです。ワンピースを旭に見せている女性のことがpokoさんのブログに書いてありました。気品のある横顔が印象的な方でした。
まず鐘の音です。広島平和記念公園内の原爆の子の像の鐘と、平和の鐘の音が効果音として使われています。いずれも実際には聞こえるはずのない場所でのシーンで使われていますが、映画の雰囲気を醸し出すのに効果的に使われていると思いました。原爆の子の像の鐘は旭と打越さんが再会する場面でのカランコロンという独特の音が心に残ります。平和の鐘の音は確か原爆資料館前のシーンでたったの1回しか使われていませんが、この鐘の深い響きには心を揺さぶられます。鐘の音には人の心を打つものがあると思いますが、それが平和公園の中の鐘の音となれば、なおさらです。
広島に着いた旭と尾行している七波と東子が乗り込んだ市内電車の撮影は被爆電車で行われたそうです。被爆電車を用いることで俳優とスタッフの気持ちが引き締まる効果があっただろうと思います。
旭が会いに行った二人の女性を演じた方は、共に被爆者だそうです。ワンピースを旭に見せている女性のことがpokoさんのブログに書いてありました。気品のある横顔が印象的な方でした。
日経・春秋に夕凪 ― 2007年08月06日 19時53分
北風と太陽 ― 2007年08月03日 06時29分

スティーブン・オカザキ監督の『ヒロシマナガサキ』と佐々部清監督の『夕凪の街 桜の国』。
滅多に映画のハシゴをしない私ですが、この2本の映画はハシゴをして見るべき映画ではないかと思い、神保町の岩波ホールで『ヒロシマナガサキ』を見終わった後で渋谷のシアターNに移動して『夕凪の街 桜の国』を見ました。
『ヒロシマナガサキ』のパンフレットの中で佐藤忠男氏が「この被爆者の方々の美しい表情が、原爆についての反省なんかするものかと力んでいるアメリカ人たちの一部のかたくなな心を柔らかく押し開く力になることを切に望む」と書いています。私もそれを切に望みます。しかし同時にそれは難しいかもしれないとも思いました。この映画を見ているとアメリカ人の軽さ・無神経さに腹が立ってくるからです。この映画を見終わった後でアメリカに対して何か行動をとるとしたら、結局は怒りの抗議と謝罪要求ということになってしまいそうです。それはやはり北風で、相手の心をますます閉ざす方向に働くような気がします。
『ヒロシマナガサキ』を見た直後に見た『夕凪の街 桜の国』は情感の豊かさを一段と鮮明に感じることができました。『ヒロシマナガサキ』を見てささくれ立った心が癒されました。ではこの映画を見た我々はどんな行動を起こせばよいのでしょうか。北風ではなく太陽でなければならないことだけは確かですが、具体的に何をすれば良いのかは、なかなか見えてきません。私はもっと強く祈り、感性を研ぎ澄まして、その答えを探し続けなければならないと感じています。こうの史代さんが類い稀な感性によって紡ぎだした言葉のような何かを我々も生み出さなければなりません。我々のような凡人にはこうの史代さんのような創造性は無いから無理だなどと言ってあきらめて答え探しを止めてしまってはいけません。
麻生久美子さんが被爆者の心を知ることはできなくても知ろうとする姿勢が大事だと思って皆実を演じたと語っています。我々が平和のために何ができるか、答えはなかなか見つからないかもしれませんが、麻生さんのように答えを探し続ける姿勢が大切なのだろうと思います。そして答えが近くに来た時にそれを見逃さないよう、感性を磨いておくことも必要なことなのでしょう。

モナリザの微笑みの背後にある大きな愛 ― 2007年07月28日 06時34分
『夕凪の街 桜の国』は単に原爆の悲惨さを訴えているだけの映画ではありません。スケールの大きな愛も描かれています。
この映画のどの場面が一番好きかと問われたら、私は七波役の田中麗奈さんが自分が生まれる前の両親の姿を見ているシーンを挙げたく思います。これは原作の漫画の「生まれれる前 そう あの時わたしはふたりを見ていた」を受けてのシーンですが、このシーンの麗奈さんは本当にいい表情をしていると思います。微かに笑みを浮かべて両親を見るその表情はモナリザの微笑みに例えても良いと思います。
このシーンを見た時、私は映画『四日間の奇蹟』の中で千織の姿をした真理子が最後の晩に施設の人々を感謝の念と共に見つめながら目に焼き付けているシーンを思い起こしました。この映画の中で私が最も好きなシーンです。このあと、礼拝堂の中で真理子は敬輔にこう告げます。「私ね、向こうに行ったら父と母に胸を張って言う。生んでくれてありがとう、って。」佐々部監督は『四日間の奇蹟』のこのシーンを引きながら『夕凪の街 桜の国』を見た人に、このように生まれてきたこと、生きていることへの感謝の気持ちを感じてもらえるとうれしいということを語っています。麗奈さんのモナリザの微笑みにより、監督の意図は見事にフィルムに焼き付けられたと思います。
真理子と七波がそれぞれ施設の人々と両親を傍らで見ているシーンに大きな感動を覚えるのは、その背後に大きな愛が感じられるからではないかと思います。生命の創造主の大きな愛と言ってもよいかもしれません。この大きな愛がこの2つの映画をスケールの大きなものとし、小さくて大きな映画にしているのだと思いました。
(追記)
本日7:13~7:21の8分間にわたってNHK「おはよう日本」の特集でこの映画が紹介されました。テレビを見ながらまた涙が出ました。本当にすごい映画だと思いました。
この映画のどの場面が一番好きかと問われたら、私は七波役の田中麗奈さんが自分が生まれる前の両親の姿を見ているシーンを挙げたく思います。これは原作の漫画の「生まれれる前 そう あの時わたしはふたりを見ていた」を受けてのシーンですが、このシーンの麗奈さんは本当にいい表情をしていると思います。微かに笑みを浮かべて両親を見るその表情はモナリザの微笑みに例えても良いと思います。
このシーンを見た時、私は映画『四日間の奇蹟』の中で千織の姿をした真理子が最後の晩に施設の人々を感謝の念と共に見つめながら目に焼き付けているシーンを思い起こしました。この映画の中で私が最も好きなシーンです。このあと、礼拝堂の中で真理子は敬輔にこう告げます。「私ね、向こうに行ったら父と母に胸を張って言う。生んでくれてありがとう、って。」佐々部監督は『四日間の奇蹟』のこのシーンを引きながら『夕凪の街 桜の国』を見た人に、このように生まれてきたこと、生きていることへの感謝の気持ちを感じてもらえるとうれしいということを語っています。麗奈さんのモナリザの微笑みにより、監督の意図は見事にフィルムに焼き付けられたと思います。
真理子と七波がそれぞれ施設の人々と両親を傍らで見ているシーンに大きな感動を覚えるのは、その背後に大きな愛が感じられるからではないかと思います。生命の創造主の大きな愛と言ってもよいかもしれません。この大きな愛がこの2つの映画をスケールの大きなものとし、小さくて大きな映画にしているのだと思いました。
(追記)
本日7:13~7:21の8分間にわたってNHK「おはよう日本」の特集でこの映画が紹介されました。テレビを見ながらまた涙が出ました。本当にすごい映画だと思いました。
いよいよ明日から『夕凪の街 桜の国』 ― 2007年07月27日 06時16分
先週、広島で一足早く公開が始まった『夕凪の街 桜の国』がいよいよ明日から東京・名古屋・京都・大阪で公開になります。ぜひ早めに見に行って、お知り合いにこの映画の良さを伝えていただきたく思います。Yahoo!映画(http://movies.yahoo.co.jp/)でも得点が上昇し続けており、現在4.43点という高得点になっています。
明日は新宿ミラノ2で舞台挨拶があります。先着順ですが588席ありますから、少し早めに行けば席を確保できると思います。
日時:7/28(土) 10:50の回終了後(13:05~)
劇場:新宿ミラノ2
ゲスト(予定) :
佐々部清 監督
田中麗奈
麻生久美子
吉沢 悠
中越典子
藤村志保
伊崎充則
内田奈織
舞台挨拶の回のご鑑賞をぜひご検討ください。
明日は新宿ミラノ2で舞台挨拶があります。先着順ですが588席ありますから、少し早めに行けば席を確保できると思います。
日時:7/28(土) 10:50の回終了後(13:05~)
劇場:新宿ミラノ2
ゲスト(予定) :
佐々部清 監督
田中麗奈
麻生久美子
吉沢 悠
中越典子
藤村志保
伊崎充則
内田奈織
舞台挨拶の回のご鑑賞をぜひご検討ください。
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