8月6日@広島2007年08月06日 19時25分



 5:00 起床。何時に平和公園に行けば席が確実に確保できるのか良く分からなかったので、市電が動き始める6時台よりは早く行くことにし、この時刻に起きた。
 6:00 平和公園内の式典会場に到着。厳粛な雰囲気が既に漂い始めており、昨晩の心配は杞憂であったなと思った。既に一般席に座っている人がいたが、それほど多くはない。上空で雷鳴がしており、雲行きが怪しかったのでテントの下の席に座ることにした。ほどなくして夕立のような強い雨が降り始め、テントの外の席にいた人たちもテントの下に避難してきた。
 6:30 左隣の老夫婦に話し掛けられたので雑談を始めた。ちゃっかり『夕凪の街 桜の国』の宣伝をさせてもらった。広島市内在住のご夫妻で、ポスターは見たことがあるとのことだった。ご主人は原爆投下の日は広島にいなかったが、数日後に広島に入ったとのことで、残留放射能からの放射線をかなり浴びたと思われる方だった。この式典には毎年参列しているとのことであった。
 7:00 右隣のご婦人に話し掛けてみた。初めての参列とのことで、横浜から来たとのことであった。『夕凪の街 桜の国』は映画はまだだが、マンガは読んだとのことであった。横浜の書店にこのマンガを買いに行き、どの店も品切れ状態で、4軒目の書店でようやく見つけたとのことだった。
 7:30 東京の兄より携帯に電話が入りGOOD NEWS を知らせてくれた。日経の1面のコラム「春秋」に「夕凪」のことが書いてあったとのことであった。
 8:00 式典開始。奏楽が流れ、厳粛な雰囲気。
 8:15 1分間の黙祷。会場の外側で大声で騒いでいる者たちがいる。一体どういう連中だろうか。
 8:45 「ひろしま平和の歌」を参列者全員で歌って式典終了。左隣のご主人と握手をして別れた。「来年もまた来てください」と言われた。また来年も来たくなってしまった。
 9:10 原爆ドームの対岸でテレビの生放送のインタビューを受けている佐々部監督とそれを見守る臼井さんを発見。臼井さんに挨拶し、日経・春秋のことを話したら臼井さんもこの情報はまだ知らずにいた。佐々部監督の出番が終了後、監督さんにも挨拶した。本当にどうもお疲れ様でした。田中麗奈さんの出番がもう少し後にあると臼井さんが教えてくれたので、もうしばらくそこにいることにした。
 9:36 麗奈さんの出番を近くで見学した。そこに麗奈さんがいるということに気付く人はほとんどいなかった。舞台挨拶の時にいた麗奈さんファンの人達もいなかった。
 10:00 東広島の舞台挨拶に向かう監督さんたちを乗せたマイクロバスを見送ってから、私も広島宝塚に行って『夕凪の街 桜の国』を見ることにする。
 10:20 コンビにで日経を購入。春秋に「夕凪」のことがバッチリと書いてある。臼井さんの携帯に電話してみたら、臼井さんたちもマイクロバスの中で読んでいる最中とのことであった。よかったですね。これでまた客足が伸びるでしょう。
 10:45 広島宝塚で『夕凪の街 桜の国』の鑑賞。
 13:30 お好み焼きを食べた後で世界平和記念聖堂に向かう。
 14:00 聖堂での「キリスト者平和の祈り」の集いに参加。パイプオルガンやチェロの演奏を聞きながら平和のための祈りを捧げた。沖縄から招かれていた反戦アーティストのような人の歌とトークが長いのにはウンザリした。この人の持ち時間が何分だったか知らないが、どう考えても30分はオーバーしており、全部で1時間ぐらい歌ったり話したりしていた。私は信仰的な祈りが捧げたくてこの聖堂に来たので、話が長くても信仰的な話や祈りの時を持ってくれればまだ良かったのだが、一切なかった。クリスチャンではないようなので仕方がないが、それにしても祈りとは何かがあまり分かっていない人を何で祈りの集いに呼ぶのだろうか?この人の自分のパフォーマンスの押し付けに耐えるのは苦痛であったが、この人の後のチェロの演奏を是非とも聞きたかったので、我慢して耐えた。
 16:10 終了予定時刻は15:30であったが、この人の時間超過のせいで終わったのは16:10。
 17:11 広島駅から新下関方面の新幹線こだまに乗車。今日のこの日記はこの車内で書いた。
 19:10 下関のいつものホテルに到着。この日記をアップしたら豊前田に行こう。

日経・春秋に夕凪2007年08月06日 19時53分

 下の日記にも書きましたが、8月6日付けの日本経済新聞の1面のコラムの春秋が『夕凪の街 桜の国』のことを取り上げています。
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 よかったですね。