久々にジョギングして思ったこと2007年08月22日 17時40分

 何年か中断していたジョギングを今朝、久々でしました。念のため書いておくと欽ちゃんに触発されたわけでは全くなく、病院でもっと運動するよう言われて、たまに剣道する程度ではダメなので数年前まで多摩川の土手沿いを走っていたのを、また復活させることにしたのです(いつまで続くかわかりませんが)。
 それで今日書きたいのは自分の体のことではなく、朝、同じように多摩川沿いを走っていて、すれ違う人々のことです。12年前に多摩川の近くに住み始めてジョギングをした時に思った時と同じことを久々でまた思いました。都会の人はとにかく全く愛想がない、ということです。
 もうだいぶ前のことですが、アメリカはテネシー州の田舎での留学中にジョギングしていた時は、すれ違う人がいればジョギングしている人でも、そうでない人でも、ほぼ100%の人たちと、お互いの顔を見ながら”Hi”と挨拶しました。その後、静岡で半年間ほどプー太郎をしていたことがあり、その時もよくジョギングしましたが、ジョギングしている人同士であれば半数以上の人とは視線を交わし合い、小声で挨拶したり、軽く会釈したりすることができました。
 しかし、多摩川沿いを走っている人たちは、人と視線を交わそうという意識を持っている人はほとんどおらず、傍らに人無きが若し状態で、私の存在に全く気を向けることなくただ前だけを向いてすれ違っていきます。12年前、結構これにはビックリしましたが、そのうち、これが都会の人の処世術なんだなと思って私もこれに次第に慣れてしまっていきました。しかし、しばらく振りでジョギングをしてみて、やっぱりこれは、おかしいと思いました。
 映画『天然コケッコー』では田舎育ちのヒロインが修学旅行先の新宿で、足早に行き交う人たちの中で呆然と立ち尽くす場面がありました。これは人の多さに驚いただけでなく、人と人とが互いに関心を向けることなく全く無関係に動き回っていることに驚いたのではないかと思います。田舎では目に入った他人に無関心でいることは、ほとんどあり得ないことだと思います。
 もっと住みよい社会になればいいと思いますが、ジョギング中にすれ違う人に全く目を向けようとしない人たちが大勢いる都会では、ほとんど期待できないような気がしたことでした。