『生きている金属』 ― 2006年08月30日 18時25分
この春から何度か名古屋大学の超高圧電子顕微鏡研究室という所にお邪魔して実験をやらせてもらっている。
この『生きている金属』というのは教育用の映画で、ここの超高圧電子顕微鏡を使って撮影された金属内部の動的観察の映像がふんだんに使われている。
http://www.dcaj.org/d-con/lib/sangyou/500/kogyo05.html
この映画は随分昔に1,2度見たことがあるが、先日、名古屋に行った時にビデオを久々で見せてもらった。この映画にはこの電子顕微鏡の研究室の関係者も多数出演しているが、何せ1978年の制作なので、出演者の中には亡くなられた方も随分いる。それで、この映画には別名『生きている金属、死んでいく人間』という名前が付いているという笑えない話も聞いた。(なお、このHPにある「転移」は「転位」の間違いです。最近の私は、いかにこの転位が発生しないで変形できるか、ということで頭が一杯です。)
ところで先週この研究室にお邪魔した時に、この撮影に使われた古い電子顕微鏡が遂に臨終を迎えてしまった。高電圧が掛からなくなってしまったのだ。この電顕をメンテナンスしてきたAさんは、何度も溜息をついていた。この電顕が設置された34年前からずっと面倒を見てきたそうで相当に落ち込んでいた。私もこの電顕を使わせてもらいに名古屋に行っていたので残念であったが、この電顕の最期をみとることができたことは幸せであった。
(写真)天寿を全うした?HU-1000D超高圧電子顕微鏡
この『生きている金属』というのは教育用の映画で、ここの超高圧電子顕微鏡を使って撮影された金属内部の動的観察の映像がふんだんに使われている。
http://www.dcaj.org/d-con/lib/sangyou/500/kogyo05.html
この映画は随分昔に1,2度見たことがあるが、先日、名古屋に行った時にビデオを久々で見せてもらった。この映画にはこの電子顕微鏡の研究室の関係者も多数出演しているが、何せ1978年の制作なので、出演者の中には亡くなられた方も随分いる。それで、この映画には別名『生きている金属、死んでいく人間』という名前が付いているという笑えない話も聞いた。(なお、このHPにある「転移」は「転位」の間違いです。最近の私は、いかにこの転位が発生しないで変形できるか、ということで頭が一杯です。)

(写真)天寿を全うした?HU-1000D超高圧電子顕微鏡
名古屋 ― 2006年07月25日 05時01分
きょうは、これから実験しに名古屋に行きます。
七夕の日に大津島の回天記念館に行った時と同じ朝イチの「のぞみ1号」に乗ります。
眠いっす。
七夕の日に大津島の回天記念館に行った時と同じ朝イチの「のぞみ1号」に乗ります。
眠いっす。
『自己愛とエゴイズム』 ― 2006年07月02日 09時07分

この本は奥深い自分の声に忠実に生きることを読者に勧めている。私はこの奥深い自分の声に耳を澄ませ、13年前に名古屋を離れることにした。その後の2年間は本当にいろいろな事があったが、奥深い自分の声に従った結果のこととの確信があったので、いつも前向きでいられた。
時々この本を読み返し、今の自分が奥深い自分の声に忠実な生き方をしているか自らに問いただしている。佐々部映画やジョン・チャヌさん、つい最近では『ニライカナイからの手紙』に激しく引き込まれてしまっているのは果たして奥深い自分に忠実なためなのか、或いは偽りの声に耳を傾けてしまっているのかチェックするため、久々でこの本を開いた。
(以下引用)
はじめに ― 自己愛の必要性とその条件
本当の自己愛が必要とされている。本当の自己愛とは、奥深い自分に忠実であるということだと思う。
自分を尊敬するという自己愛がなければ、人を尊敬することははなはだ難しいことであろう。
自分を信じない人が、はたして人を信じることができるであろうか。
(中略)
自己愛という言葉は、とかく「私さえよければ」という利己主義と間違えられやすいけれども、実はそのエゴイズムとはまったく違う概念である。
あるいはまた、自己愛は自分の魅力を感じて自分自身が好きであると思われることもあるが、本当はそれとも違うものである。
その区別を見わけるために、以下本当の自己愛の条件について考えてみたいと思う。
第1章 自己愛はナルシシズムではない
(前略)
奥深い自分を見つめること
ナルキソスは自分の表面の姿だけを見つめているので、その反対行動はといえば、奥深い自分を見つめることである。
人から良く思われたい自分になるのではなくて、自分がなりたい人間を見つめるという態度である。愛されたい、認められたいという自分の浅い望みに妥協しないで、愛したい奥深い自分に忠実に生きることである。損得を自分の行いの基準にしないで、奥深い自分が正しいと思っていることと、奥深い自分が本当にしたいことを、迷わず行うというコンスタントな態度を、自分の人生観に入れ込むことができれば、悪いナルシシズムはほとんど関係ない話になるであろう。
名古屋 -3- バードウォッチング ― 2006年01月07日 09時50分
名古屋でもう一つ良かったことは、バードウォッチングの楽しさを覚えたことだ。職場の同僚に誘われて始めた。彼は愛知県でもトップレベルの有能なバードウォッチャーで、初心者の私が全く気付かないのに次々と鳥を見つけては私に教えてくれた。普段気にかけていなかっただけで、本当は身の回りにこんなにたくさんの鳥がいたんだということに驚き、次第にのめり込んで行った。何度か探鳥会に参加するうち、だんだん自分でも鳥を見つけられるようになってきた。
バードウォッチングの何がそんなに面白いのか。人それぞれだと思うが、私の場合は、感覚を研ぎ澄まして鳥の気配を感じ取ること、そこが私の性分に良く合って気に入ったのだと思う。だから大勢で見て回る探鳥会も楽しいが、一人または少人数で自然豊かな場所に分け入り、全身の感覚を鋭くして鳥の気配を探る時は厳粛な気持ちに包まれる至福の時だ。最近はそういう機会が全くなくなってしまった。いつかまた復活させたい。
バードウォッチングの何がそんなに面白いのか。人それぞれだと思うが、私の場合は、感覚を研ぎ澄まして鳥の気配を感じ取ること、そこが私の性分に良く合って気に入ったのだと思う。だから大勢で見て回る探鳥会も楽しいが、一人または少人数で自然豊かな場所に分け入り、全身の感覚を鋭くして鳥の気配を探る時は厳粛な気持ちに包まれる至福の時だ。最近はそういう機会が全くなくなってしまった。いつかまた復活させたい。
名古屋 -2- ― 2006年01月07日 08時39分
名古屋では良いこと悪いこといろいろあったが、良かったことの一つは、剣道を再開できたことだ。5年ほど全く竹刀を握っておらず、もう剣道をすることはないのではないかとも思っていたが、突然火が点いた。テンションを上げて大学の剣道部の門を叩き、稽古に参加させてもらった。久しぶりで緊張していたため力の加減が分からず、最初の切り返しの相手の女子学生に全力で体当たりして吹っ飛ばしてしまった。床で後頭部を打ち、しばらく起き上がらなかったのですごく焦った。
そんな風にして再開した剣道だったが、一回り年齢が下の学生たちにビッシリ付き合ってとても楽しかった。週2回は稽古に参加し、飲み会にも良く顔を出し、試合にもほとんど付いて行った。母校の北海道での大会を観戦に行き、母校と対戦した時も、母校の側ではなく、名古屋の側にいて応援したほどだ。
剣道で職場のストレスを発散できたから、名古屋で4年間やっていけたのだと思う。
そんな風にして再開した剣道だったが、一回り年齢が下の学生たちにビッシリ付き合ってとても楽しかった。週2回は稽古に参加し、飲み会にも良く顔を出し、試合にもほとんど付いて行った。母校の北海道での大会を観戦に行き、母校と対戦した時も、母校の側ではなく、名古屋の側にいて応援したほどだ。
剣道で職場のストレスを発散できたから、名古屋で4年間やっていけたのだと思う。
名古屋 -1- ― 2006年01月03日 07時10分
1月3日の箱根駅伝の復路の日になると、名古屋にいた頃のことを思い出す。あの頃、年末年始の静岡への帰省には車を使っていた。正月を静岡で過ごして、いつも3日に名古屋に戻った。箱根駅伝6区の山下りをテレビで見た後で家を出発して東名高速で名古屋に向かうと、ゆっくり走っても10区のゴールシーンは名古屋の宿舎で見ることができた。
これから時々、この名古屋にいた頃のことを書いてみたい。ここでは89年の秋から93年の夏までを過ごした。低空飛行の4年間だった。自分の進路をどう切り開いて行ったら良いのか、悶々と悩みながら過ごしていた。
この頃は「男はつらいよ」の寅さんに癒されていた。年齢は違うけれど、悩み多き甥っ子の満男君が伯父さんを慕うように、私も寅さんを慕っていた。
これから時々、この名古屋にいた頃のことを書いてみたい。ここでは89年の秋から93年の夏までを過ごした。低空飛行の4年間だった。自分の進路をどう切り開いて行ったら良いのか、悶々と悩みながら過ごしていた。
この頃は「男はつらいよ」の寅さんに癒されていた。年齢は違うけれど、悩み多き甥っ子の満男君が伯父さんを慕うように、私も寅さんを慕っていた。
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