『世界の中心で、お風呂に入る』(4)2010年12月14日 20時22分

4.心の奥底

「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38)

 このイエス・キリストのことばは、構造的にも内容的にもヨハネの福音書の中心メッセージです。構造的に中心であることについては後日また詳しく書くこととして、内容的にも中心であることの説明を今回と次回とでします。
 この7章38節にある「心の奥底」はギリシャ語では「コイリア(κοιλια」で、直訳は「腹」、「胎」です。つまり、体の中心部を指し示すことばであり、ここがヨハネの福音書の中心であることを示すために意図的に使われた可能性が高いのではないかと私は考えています。
 この「コイリア」はヨハネの福音書では7章38節の他に、あともう一箇所で使われています。3章4節です。イエスが「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言ったことに対して、ユダヤの指導者ニコデモはイエスに次のように聞き返しました。

「ニコデモは言った。『人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。』」(ヨハネ3:4)

 この「母の胎」が「コイリア」です。母の胎は生まれる前の赤ちゃんにとってはお風呂のように心地良い場所ではないでしょうか。ヨハネの福音書の中心である7章38節の「コイリア」もそのような場所です。この小文のタイトルを『世界の中心で、お風呂に入る』と私がした理由の一つはそれです。
 このニコデモの言葉は、新しく生まれ変わるとはどういうことかを彼が全く理解していないためにトンチンカンなことを言ったと一般には解釈されていますが、私は、彼は霊的に正しいことを言ったのだと解釈したく思っています。神に自分の心をゆだねるということは、全く無力な赤ん坊になるのと霊的には同じであろうと思うからです。
 そのように余計な力を抜き、自分を無力なものとして神に心をゆだねると、温かいお風呂に入っているような素晴らしい気分が味わえるのです。(つづく)

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