きょうは8月6日 ― 2010年08月06日 05時34分

核兵器のない世界が実現するよう、お祈りします。
きょうは、これから神戸に行き、神戸教会の子どもたちのキャンプに合流します。小学生24名が参加し、彦根教会の先生方も一緒です。
夜の集会では、私が神様のために働くことになった経緯を子ども向けに話すよう、依頼されています。
何たる偶然でしょうか。
神戸教会の先生は、私と広島との関わりを全然ご存知ないはずなのに、8月6日に私の証しが子どもたちにできるとは!
今夜はパワーポイントを使って、原爆資料館には私の名を刻んだタイルがある話から始めて、映画『夕凪の街 桜の国』のエキストラに参加したこと、平和公園で「私を平和のために用いてください」と長い祈りを捧げたこと、その祈りが応えられて神様に呼ばれた(召された)ことなどを、話します。
最後は、イエス様がヨハネ20章で「平安(平和)があなたがたにあるように」と3回もおっしゃったことを話し、私の使命は一人でも多くの人に平和の心が与えられるよう、神様に用いていただくことだという話で締めくくります。
子どもたちに平和のメッセージが届きますように。
コメント
_ poko ― 2010年08月06日 23時36分
_ K-SASABE ― 2010年08月08日 01時47分
今日8月7日、一日ずれてしまいましたが、『夕凪の街 桜の国』の上映とトークライブに行ってきました。
平和や核のない世界を伝えるのは大変ですね。でも毎年、コツコツとこの作品が広がっていくのを実感します。
たかが映画ですが、されど映画なんですね…
平和や核のない世界を伝えるのは大変ですね。でも毎年、コツコツとこの作品が広がっていくのを実感します。
たかが映画ですが、されど映画なんですね…
_ S.KOJIMA ― 2010年08月09日 07時49分
pokoさま
サンプルですか。
アメリカは原爆の破壊力を知るために目標都市の空襲を禁止して建物を温存させた上で事前警告なしに一般市民が多くいる状態で原爆を投下したわけですから、学校の児童の死亡数をデータとして利用したというのは、十分にあり得る話ですね。
こういう話を聞くと、原爆投下は戦争終結のためと言うのは表向きの理由で、原爆が兵器としてどれくらいの威力を発揮するのかを実戦で試しておくことが、戦後の戦勝国の中で優位に立つためにどうしても必要だったから投下したのだと考えざるを得ませんね。アメリカはもっと早くに日本を降伏させることもできたのに、原爆を実戦で試すために原爆完成まで戦争を引き延ばしたのだという話もありますし。
10日と11日の広島行きでは、原爆投下という人類史上最悪の犯罪行為についての考察を深めて来たいと思っています。
K-SASABEさま
トークライブお疲れ様でした。
2007年8月6日の朝、広島平和公園での式典が終わった後に原爆ドームの対岸で佐々部監督と田中麗奈さんがテレビ番組のインタビューを受けるのを間近で見させていただいたことを思い出します。
『夕凪の街 桜の国』を試写会で初めて見た時に、時空を超えたスケールの大きな作品だという感想を持ちました。2007年以降も毎年上映され続けているのは、そのスケールの大きさを証明しているのではないでしょうか。
この作品のスケールを大きくしているのは、原爆投下という巨大な「悪」に負けないぐらいに大きな人間同士の「愛」が作品の中に満ちているからではないかと思います。
この返信を書いていて、核兵器のない世界を実現するには、「愛」の力が最も強力な力になるであろうという確信が与えられました。
コメントに感謝します。ありがとうございました。
サンプルですか。
アメリカは原爆の破壊力を知るために目標都市の空襲を禁止して建物を温存させた上で事前警告なしに一般市民が多くいる状態で原爆を投下したわけですから、学校の児童の死亡数をデータとして利用したというのは、十分にあり得る話ですね。
こういう話を聞くと、原爆投下は戦争終結のためと言うのは表向きの理由で、原爆が兵器としてどれくらいの威力を発揮するのかを実戦で試しておくことが、戦後の戦勝国の中で優位に立つためにどうしても必要だったから投下したのだと考えざるを得ませんね。アメリカはもっと早くに日本を降伏させることもできたのに、原爆を実戦で試すために原爆完成まで戦争を引き延ばしたのだという話もありますし。
10日と11日の広島行きでは、原爆投下という人類史上最悪の犯罪行為についての考察を深めて来たいと思っています。
K-SASABEさま
トークライブお疲れ様でした。
2007年8月6日の朝、広島平和公園での式典が終わった後に原爆ドームの対岸で佐々部監督と田中麗奈さんがテレビ番組のインタビューを受けるのを間近で見させていただいたことを思い出します。
『夕凪の街 桜の国』を試写会で初めて見た時に、時空を超えたスケールの大きな作品だという感想を持ちました。2007年以降も毎年上映され続けているのは、そのスケールの大きさを証明しているのではないでしょうか。
この作品のスケールを大きくしているのは、原爆投下という巨大な「悪」に負けないぐらいに大きな人間同士の「愛」が作品の中に満ちているからではないかと思います。
この返信を書いていて、核兵器のない世界を実現するには、「愛」の力が最も強力な力になるであろうという確信が与えられました。
コメントに感謝します。ありがとうございました。
子どもたちは「サンプル」にされていたんですね。
原爆の殺傷能力を数値化するための。
爆心地から何メートルの場所では、何人中何人が死亡したか等。
今、こうして綴っていても、原爆投下という恐ろしいことを、本当に同じ人間がしたことなのか?と信じられない気持ちになります。
人間が人間に対して、正気でできることなのか?と。
サンプルだなんて、絶対に許せません。