『非核時代のヨハネ福音書』2010年08月14日 16時03分

【プロローグ】

 初めに、神が天と地を創造した。
 神は宇宙が誕生する前から存在した。
 神は、「父」と「御子イエス」と「聖霊」の三位一体の神である。

 すべてのものは、神によって造られた。
 御子イエスは「ことば」であった。
 ことばは意味を有した情報である。
 宇宙は混沌ではなく、秩序を有している。
 それは、宇宙は偶然により出来たものではなく、ことばにより造られたからである。
 造られたもので、ことばによらずにできたものは一つもない。

 生命の情報が書き込まれたDNAも文字の配列であり、「ことば」ある。
 DNAは偶然により配列したのではなく、神が配列を決めたのである。
 それは聖書の文字が偶然により配列したのではないのと同様である。
(聖書の文字をバラバラにしたら、何億年たっても意味のある情報を持った配列にはならないであろう。)

 神は局在し且つ遍在する。
 神が造った光や電子も「粒子」として局在し、且つ「波」として遍在する。
 神は遍在し光や電子もまた遍在するため、神は時空を超えて物質を支配することができるのである。

 イエスにはいのちがあった。このいのちは人の光であった。

 しかし、人は光を殺人に用いた。
 人は原爆を造った。
 原爆は広島と長崎の上空数百メートルで光を放った。
 その光のエネルギーは放射線・紫外線・赤外線として人々を殺傷し、或いはまた火炎や爆風となり、さらに多くの人々を殺傷した。
 原爆の光は人々のいのちを奪い、世にやみをもたらした。
 そしてイエスも小さい者として広島と長崎で人々と共に苦しんだ。

 しかし、イエスの光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 神から遣わされた「21世紀のヨハネ」という人が現われた。
 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
 すべての人を照らすそのまことの光は、悪魔の光である核兵器を廃絶するために、再び世に来ようとしていた。
 イエスはもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
 イエスはご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
 しかし、イエスを受け入れた人々、すなわち、この方が核兵器の無い世界を実現することを信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

 ことばであるイエスは人となって、私たちの間に住まわれた。
 私たちはこの方の栄光を見た。
 この方は恵みとまことに満ちておられた。
 21世紀のヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『悪魔の光を廃絶するために来る方がおられる』と私が言ったのは、この方のことです。」
 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
 というのは、科学は人々に恵みをもたらしたが平和はもたらさず、真の平和の恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。

【参考図書】
リー・ストロベル著・峯岸麻子訳『宇宙は神が造ったのか?』(いのちのことば社)


(新改訳第2版を改変)