生のヴァイオリンの音の凄さ2009年12月18日 12時36分

 先週、久々でジョン・チャヌさんのヴァイオリンの生演奏を間近で聴く機会がありました。生演奏の音はCDのきれいな整った音とは全く違い、とても熱いものを感じました。同じジョン・チャヌさんの演奏なのに、CDと生演奏とでは、ロボットと人間ほどの大きな違いがあると思いました。

 このジョンさんの濃くて情熱的な演奏を久々に生で聴いて、やはり人間の情念はサラサラしたものではなく、ドロッとしたものだと思いました。水ではなく血だと思いました。血であるがゆえに温かくもありますが、汚れやすい。

 そして、血は血によってでなければ決してきよめられない、水ではきよめられないと思いました。そのためにイエス・キリストはこの世に来てくださったのだ、すなわち私たちの汚れた血をイエスの聖なる血できよめるために来てくださったのだ、ということを改めて思いました。

 さて、その数日後、ティアラ江東で深川教会主催の蜷川いづみさんのヴァイオリン・コンサートがありました。この蜷川さんのヴァイオリンの音色は、ジョンさんのヴァイオリンの音色を聴いた後の私には、きれい過ぎて物足りない気がしました。そう思って、私には合わないコンサートだなと思っていた矢先、サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』が弾かれて私は蜷川さんのヴァイオリンの世界に完全に引き込まれました。この時の蜷川さんのヴァイオリンの音質はジョンさんの奏でる音質とほとんど同じの、濃厚なものでした。

 コンサートの後、教会で演奏者との懇談の機会が持たれたので、私は思い切って蜷川さんに質問してみました。

「ツィゴイネルワイゼンは他の曲と全然違って、とても濃くて粘っこい音色だと感じましたが、弓を弦に強く押さえつけるなど、演奏の仕方が異なったのですか?」

 この私のぶしつけな質問に対して蜷川さんは、演奏する時に何をイメージしたかが、ツィゴイネルワイゼンの時は違ったと答えてくださいました。それまでの曲では聖なるキリストをイメージして演奏したが、ツィゴイネルワイゼンの時はジプシーへの差別や偏見という人の罪を意識して弾いたとのことでした。

 この答えを聞いて、私はナルホドと深く納得したのでした。そして、聖と罪の世界を弾き分けることができるヴァイオリンという楽器の奥深さ、またその両者を弾き分けることができる演奏者の凄さに感動しました。

 また、聖なるキリストのイメージの音には心が動かず、もっとドロっとした音に共鳴する私自身の内面も知ることができて感謝でした。

 それにしても、きよい音に反応しない私が牧師を目指していて良いのだろうか?という気がしないでもないですが ^^; こんな私に合う働きの場がきっとあるのでしょう ^^

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