感謝祭2006年11月13日 23時01分

 
 昨日は高津教会で感謝祭があった。メインイベントは餅つきだ。全部で14升のもち米を2升ずつ、7回にわたってついたのではないかと思う。6回目までについたお餅は皆の胃袋に収まり、最後の1臼分はおみやげとしての持ち帰りになった。
 私のデジカメはもう5年以上も前のもので、シャッターボタンを押してから実際に撮影されるまでコンマ何秒かの遅れがあるので、いいタイミングで餅つきの様子を撮るのが、とても難しかった。杵を振り上げたところを取りたかったのだが、全然うまく撮れなかった。上の写真は10枚以上撮った中で唯一杵が写っていたものだ。でもこれは、なかなかいい写真ではないかと思う。バックにいる人たちが、心からこのイベントを楽しんでいる様子がちゃんと写っている。
 高津教会の良いところは子どもからお年寄りまで幅広い年齢層の教会員が切れ目なく存在することだ。皆で一緒に感謝祭を楽しむことができ、天の父のもとで我々が兄弟姉妹であることを今さらながら、幸せに思った。地域の人たちもそれほど多くはなかったが、来てくださった。願わくば、高津教会がもっともっと地域に溶け込んだ教会になればと思う。

多摩川の散歩2006年11月05日 19時53分

 連休中、自宅のPCはシミュレーション計算でフル稼働であった。結果が出るとすぐに違う条件で計算するということを繰り返していた。計算中はCPU使用率がほぼ100%のため、Webも見られないし、メールも読み書きできない。論文で報告できるような計算は職場のスーパーコンピュータや研究室のワークステーションで計算した中・大規模計算でないとダメだが、自宅のPCでできる小規模計算も大規模計算に掛ける前のお試しには十分に使えるので、連休中はほとんど、ずっと計算に使用していた。
 計算開始から結果が出るまで、数時間掛かる。その間、映画を見に行っても良いのだが、何となく映画には集中できそうにないので、この週末は散歩をした。私のお気に入りの散歩コースは、東急の田園都市線の二子橋から同じく東急の東横線の丸子橋までの片道約5km、往復約10kmの多摩川の堤防上の道だ。多摩川沿いには様々な鳥がいるし、色々な人がいる。私と同じようにただ散歩する人、ひじを曲げてウォーキングする人、ジョギングする人、普通の自転車に乗る人、サイクリング自転車に乗る人、野球をする人、それを応援する人、土手でビールを飲みながら素人野球の観戦をする人、楽器の練習をする人、釣りをする人、ホームレスの人、バードウォッチングをする人、ゴルフをする人、フットサルをする人、本当に色々な人がいる。今日の夕方の散歩は、次第に明るさを増す満月を見ながらの散歩だった。いい休日だった。

やりたいこと2006年09月30日 14時41分

 先ほど論文をようやく英文校正の会社に送ることができた。なんだかんだで1ヶ月もかかってしまった。できたからと言って希望する雑誌に掲載されるとは限らないのだが、まあどこか載っけてくれるところはあるでしょう。
 英文の添削が終わって返送されてくるまでの間、これでやっと少しはやりたいことがやれそうだ。前売り券を持っている「フラガール」と「夜のピクニック」を早く見たい。「イルマーレ」や「涙そうそう」も見てみたい。「出口のない海」ももっと見たいし、「星野富弘展」も見に行きたい。
 水曜日に行った加羽沢美濃さんのコンサートの感想も書きたいし、きょう終わった「純情きらり」の感想もできれば書いてみたい。
 すぐに全部はできませんね。

甘いお菓子は元気の源2006年08月12日 06時14分



 今週は泣いたり・怒ったり・嘆いたりの1週間でしたが、こんな時は甘くて美味しいお菓子をほおばるのが良いようです。甘い物を食べると自然にホホが緩み、笑顔を取り戻すことができます ^^
 私は太りやすいので、甘い物はなるべく食べないようにしていましたが、ある時から甘い物を我慢するのを止め、よく食べるようになりました。ある時からとは、映画『チルソクの夏』を通じて「巌流焼」というお菓子の存在を知り、食べてみた時からです。白餡のドラ焼きで結構ボリュームがあるのですが、1個食べ終わった後も、ついもう1個に手が伸びてしまう美味しさです。
 巌流本舗のホームページ
  http://www.ganryu.co.jp/
に「巌流応援団 -special-」というページがあり、これを読むと映画の撮影現場でも「巌流焼」は大人気だそうです。ハードな映画の撮影現場では、良きエネルギー源にもなるそうです。
 この巌流本舗の社長さんはすごく太っ腹な人で、私が『チルソクの夏』の上映会と佐々部清監督の講演会を企画して開催した時も、会場に「巌流焼」300個を宅配便で送ってくださいました。来場者にも大好評でした。
 上の写真は巌流本舗の「風韻山果」という水羊羹の詰め合せです。『出口のない海』の1000人上映会のチケットを下関のチル友にお願いしていたら、チケットと一緒に送ってくださいました。早速わらび羊羹を口に含んだら、ほどよい甘さ、そして口の中でのとろけ具合が絶妙で、思わずホホが緩み、目尻が下がりました。
 下関のチル友さん、どうもありがとうございました ^^

久地円筒分水2006年04月01日 12時09分


 自宅の近所にある久地円筒分水に行ってみた。桜は満開の一歩手前のようであった(写真は満開時の昨年のもの)。水の量も昨年と比べるとやや少なかった。
 この円筒分水は実に上手くできていて、円形の縁から360度グルリと、どこにも切れ目が無く水が落ちるようになっている(写真では左下に落ちる水の一部を見ることができます)。少しの偏り(片寄り)もなく公平に水が落ちて行く様子を見るのは実に気持ちがいい。
 この方面の技術に関しては素人だが、これはかなりすごい技術なのではないかと思う。縁石の上端が完全に水平になっていなければ、水に切れ目ができてしまう。説明の看板にも完成当時の1941年(昭和16年)の最先端の技術を駆使して作られたと書いてある。
  なぜ、このような物が作られることになったかというと、看板によれば、周辺の地域の取水の水量を巡る争いが絶えなかったからだそうである。周辺のいくつかの地域に水を分配する際、水路をただ単に枝分かれにするだけでは、不公平が生じるようである。よくは分からないが、たぶん横方向へは流れにくいと思うので、それを考慮して横方向の水路を太くしておくと、今度は流量が増えた時に横方向に流れ過ぎるとか、そんなことで争っていたのではないか。円筒分水にしたことで流量が多くても少なくても常に一定の比率で水が配分されるようになり、争いはなくなったそうだ。
 水は農工業にも生活にも不可欠のものであるから、争いが起きるのは仕方がないことかもしれないが、人間というものは、どんなことでも争いごとにすることができる能力が備わっているのだなあ、と争いの歴史に関する記述を読むと少し暗い気分になる。しかし、この円筒分水のように争いを治める知恵も同時に授かっているのは実にありがたいことだ。願わくば、この円筒分水のような公平な世であって欲しい、などとついつい、いろいろ考えてしまう久地でのひとときであった。