久地円筒分水2006年04月01日 12時09分


 自宅の近所にある久地円筒分水に行ってみた。桜は満開の一歩手前のようであった(写真は満開時の昨年のもの)。水の量も昨年と比べるとやや少なかった。
 この円筒分水は実に上手くできていて、円形の縁から360度グルリと、どこにも切れ目が無く水が落ちるようになっている(写真では左下に落ちる水の一部を見ることができます)。少しの偏り(片寄り)もなく公平に水が落ちて行く様子を見るのは実に気持ちがいい。
 この方面の技術に関しては素人だが、これはかなりすごい技術なのではないかと思う。縁石の上端が完全に水平になっていなければ、水に切れ目ができてしまう。説明の看板にも完成当時の1941年(昭和16年)の最先端の技術を駆使して作られたと書いてある。
  なぜ、このような物が作られることになったかというと、看板によれば、周辺の地域の取水の水量を巡る争いが絶えなかったからだそうである。周辺のいくつかの地域に水を分配する際、水路をただ単に枝分かれにするだけでは、不公平が生じるようである。よくは分からないが、たぶん横方向へは流れにくいと思うので、それを考慮して横方向の水路を太くしておくと、今度は流量が増えた時に横方向に流れ過ぎるとか、そんなことで争っていたのではないか。円筒分水にしたことで流量が多くても少なくても常に一定の比率で水が配分されるようになり、争いはなくなったそうだ。
 水は農工業にも生活にも不可欠のものであるから、争いが起きるのは仕方がないことかもしれないが、人間というものは、どんなことでも争いごとにすることができる能力が備わっているのだなあ、と争いの歴史に関する記述を読むと少し暗い気分になる。しかし、この円筒分水のように争いを治める知恵も同時に授かっているのは実にありがたいことだ。願わくば、この円筒分水のような公平な世であって欲しい、などとついつい、いろいろ考えてしまう久地でのひとときであった。

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