『父親たちの星条旗』2006年11月26日 09時36分


「国とは何だろうか」

   今年の7月7日、山口県・大津島の回天記念館を訪れ、回天搭乗員たちが家族に宛てて書いた手紙や遺書を読んで回るうちに、この言葉が次第に私の頭の中で大きくなっていった。
 映画『出口のない海』で主人公の父親からこの言葉が発せられた時、ああやはり、あそこを訪れた者の多くは同じことを考えるのだなと思った。暗く狭い人間魚雷の操縦室が、国家と言う漠然としてとらえどころのない大きな存在とあまりに対照的であり、こんな閉塞した空間に身を納めて国家のためにという大義名分のもとに自爆して行ったことに何らの整合性も見出せず、悲痛に思った。だから映画の終盤に現代の大津島が映し出された時、多くの人にこの島を訪れて何かを感じて欲しいという製作者側の意図が感じられ、私もまたその思いを強くした。
 いま上映中の『父親たちの星条旗』を見て、再び「国とは何だろうか」を思った。なぜ国と国とはあのように激しい戦闘を繰り広げなければならないのか。後方で指揮する者はもちろん、前線で戦う者にすら、なかなか見えてこない敵に向かって何故あのように前へ前へと前進していくのだろうか。
「お前は敵の姿を見たことがあるのか。」
『出口のない海』のこの台詞が重く響いた。
 それにしても、日米の財力の違いの大きさにも圧倒された。アメリカは戦争費用が足りないと言いながら、国民がその気になれば、まだまだいくらでも資金を調達できるのだ。
 そして硫黄島に集結した米軍の艦船の多さと言ったらどうだ。『出口のない海』で回天作戦の上官が「敵の艦船をこの回天がことごとく海に葬ってやるのだ!」と勇ましく言い放っていたこの言葉が虚しく私の中で、こだました。