カナ(信)・ベタニヤ(望)・ゴルゴタ(愛)の十字架2010年08月27日 22時53分

 高津教会HPに下記のような投稿をしました。(8/30 加筆修正)

 残暑お見舞い申し上げます。
 姫路での夏期実習もいよいよ、あと残り1週間となりました。

 神学院では各自が実習で取り組みたい課題を出発前に提出することになっていたので、私は、「ヨハネの福音書をどう伝道に生かすかを追求したい」と書いて出しました。ヨハネの研究ばかりしていても、実際に伝道に活用できなければ、この書の執筆目的、即ち、

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(20:31)

から離れてしまい意味がないからです。
 この7週間、姫路教会の素晴らしい環境の中で学びと思い巡らしを続け、いろいろなことを考えましたが、ここ一両日で急速に形になって来たと感じています。

 それは解釈上、ヨハネの福音書には①カナ(信)、②ベタニヤ(望)、③ゴルゴタ(愛)の3つの十字架があるとして、伝道に用いることです。第二・第三の十字架を想定したほうが十字架が理解し易くなるのであれば、本書の執筆目的にも適い、聖書のメッセージを曲げることにはならないと思います。第二・第三の十字架を考えることは多様な意味を持つ十字架の理解を助けます。
 伝道では十字架を語る必要がありますが、十字架の教理は、聖書を読んだことがない人には難し過ぎます。また、伝道する時に「罪」をどれだけ語るかも難しい問題だと思います。「罪」を強調し過ぎると人が人を責める感じになり、「罪」を何も語らないと十字架の意味が伝わらない、結局その間を取るのでしょうが、現代の日本人に説明するのはとても難しいことだと思います。
 しかし、ヨハネの福音書には十字架に相当する箇所が3つあると解釈し、十字架について段階的に説明していけば、ずっと分かり易くなります。紙面の関係で詳しくは書けませんが、以下、3つの十字架をそれぞれ説明します。

①カナの十字架(信)
 ヨハネ2章のカナの婚礼は、19章の十字架の場面の裏返しであると解釈することができます。
 祝福⇔のろい、明るい母⇔暗い母、良いぶどう酒⇔酸いぶどう酒、生⇔死、等のこれらの対比や、2章の良いぶどう酒ときよめの水を19章のイエスから出た血と水と考えれば、2章をもう一つの十字架、即ち第二の十字架と考えて差し支えないでしょう。こうして十字架は残酷で暗いというマイナスのイメージだけでなく、実は神の栄光の現れであり、ルカ15章の「放蕩息子の帰郷」の祝宴の側面もあるのだということを、この婚礼の場面での「カナの十字架」で説明することができます。
 また、信仰・希望・愛(第一コリント13:13)の「信」をあててみました。まずはイエスを単純に信じることから始まって3章の新生に至ることが、ヨハネ1~2章から分かるからです。
 さらに、2章の後半のイエスの血(良いぶどう酒)による心の宮きよめを説明することで、「罪」についての説明も、この段階からすることが可能です。
 もう一つ大切なこととして、読者が復活したイエスと出会う際の聖霊の働きも是非とも説明しておきたいです。ヨハネの福音書は読者が生けるキリストと交わりを持つために書かれた書であると言っても過言ではないからです。

②ベタニヤの十字架(望)
 第二の十字架の他にもう一つ、第三の十字架を考えるのは強引かもしれません。しかし、ヨハネの福音書は「3」という数字が非常に重要です。やはり第三の十字架は必要でしょう。その場合、11章のラザロが復活したベタニヤ以外には考えられません。20章はイエスの遺体が消えたことで復活が今一つ謎めいていますが、この11章では復活の様子と人々の反応をしっかり描写でき、またその「希望」が語れます。
 11章ではラザロが復活するまで誰もイエスを正しく理解していませんでした。これは19章の十字架の状況とある意味同じと見て良く、ここでイエスを理解しない「罪」をカナに続いてさらに説明できるメリットもあります。
 また、イエスの心が激しく動揺している様子(11:33,35,38)を、マタイ・マルコ・ルカのゲッセマネと重ねて、イエスの苦悩を語ることもできます。
 もう一つ大切なこととして、イエスと父との関係もこのベタニヤの十字架の箇所で説明しておくと良いでしょう。

③ゴルゴタの十字架(愛)
 既述した通り十字架が難しいのは、十字架という一つの出来事にあまりに多くのことが詰まっているからです。これまでカナとベタニヤとで、十字架の持つ多様な意味を、ある程度分散して解き明かすことができました。
 では、このゴルゴタでは、何を語るべきか。それはやはり3:16の「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」でしょう。周辺の説明は他で済ませ、十字架の核心である神の愛をじっくり語ることができるのです。

 このように、夏期実習の課題をまとめることができたのは、皆さんのお祈りのゆえだと思い、感謝です。
 今後とも、よろしくお願いいたします。

コメント

トラックバック