映画『四日間の奇蹟』の背後、そして底にあるもの2009年11月02日 07時07分


 「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
 私たちの咎のために砕かれた。
 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
(旧約聖書・イザヤ書53章5節)

 私は、背後に十字架が見える映画『四日間の奇蹟』(2005年・佐々部清監督作品)の写真が大好きです。
 背後にある十字架。これが、私たちにどれほど大きな平安をもたらしてくれるか、その大きさは計り知れません。
 『四日間の奇蹟』の三名の主人公、敬輔、真理子、千織はお互いの尊い犠牲に依存し合う形で心の平安を得ていきます。その背後には家族の犠牲的な愛も存在しています。
 三人の中で最も大きな犠牲を払ったのは真理子でした。その真理子の体は金属片によって刺し通されました。その真理子を一番底から支えているのが、イエス・キリストの十字架です。
 冒頭のイザヤ書の聖句は、イエス・キリストが誕生する前の旧約聖書の時代に預言された言葉です。イエスは十字架上で釘に刺し通されることを知っていながら、この世に来ました。私たちに平安をもたらすためです。
 私たちは十字架を見上げます。しかし、実は十字架は私たちを一番底から支えてくださっています。
 神であるイエスは人となって十字架上の死という、どん底を味わいました。

 「キリエ、エレイソン(主よ、あわれんでください)。」
 『四日間の奇蹟』の原作の冒頭にも出てくる、イエスに憐れみを請うこの言葉は、新約聖書の福音書の中に何度も何度も出てきます(例えば、マタイ9:27、15:22、20:30、20:31、…)。
 主イエス・キリストはこのように、本来は憐れみを請われる側の神なのです。その神が人となって十字架に付けられるという、どん底を味わいました。だからこそ、私たちを底の底から支えてくれる大きな力を持っており、それゆえに私たちは、心の平安を得ることができるのです。

 映画『四日間の奇蹟』には、その十字架がしっかりと見えています。

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