召命の証し(新作)2009年06月21日 06時26分

 きょうは船橋市にある高根教会で召命のお証しをします。

 「召命」とは、私の手元の電子辞書(大辞泉)によれば、「キリスト教で、神の恵みによって神に呼び出されること。伝道者としての使命を与えられること」だそうです ^^
 召命のお証しは昨年の春、母教会の高津教会でもしましたが、その時は昨年の1月から3月にあった出来事を中心に話しました。今回はその生々しい部分は大幅に少なくし、もっと以前の「一粒のタイル」のことから話すよう、新たに原稿を作り直しました。少し言葉が足りませんが、12分という時間制限がありますので、これで一杯一杯です。
 読んでみていただけると、ありがたく思います。

 召命の証し(高根教会)

 こんにちは。
 いつもお祈りをありがとうございます。きょうは召命のお証しをさせていただきます。まず、みことばを一カ節お読みします。旧約聖書のイザヤ書52章7節です。

「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。
 平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、
 『あなたの神が王となる』とシオンに言う者の足は。」

 話は24年前の1985年にさかのぼります。当時、私は大学院生で、金属の物理の実験をしに、茨城県に毎月のように行っていました。当時はちょうど筑波で科学万博を開催していましたので、出張した際に科学万博を見に行きました。その会場に、国連平和館というパビリオンがあり、そこでは、ある絵を約8万ピースのタイル画にして、そのタイルに一人一人の名前を刻んで平和への願いにしようという催しをしていました。これが、その絵です。平山郁夫氏の「平和のキャラバン」という絵で、それぞれのタイルに購入者の名前を刻み、ロボットアームを使ってはめ込んでいました。この絵は科学万博終了後は、広島の原爆資料館に展示されると説明されましたが、まもなく私はそのことを忘れました。
 それから、10年後、1995年のことです。その10年間にはいろいろな事があって、私はいったんは金属の物理の関係で大学の工学部に就職していましたが、退職して今度は外国人留学生のお世話をする大学の留学生センターという所に就職していました。その留学生教育の研究会が広島であったので出張し、帰りに原爆資料館に立ち寄りました。そこで10年ぶりで、この絵に対面しました。そして、自分のタイルを見つけた時は感激でした。
 そして、10年後の2005年に私はまた原爆資料館を訪れ、この絵と対面しました。2001年にイエス様を信じて洗礼を受けてから初めて原爆資料館を訪れたことになります。原爆資料館を出てから私は平和公園の中のベンチに座り、持っていた新約聖書を開きました。悪魔の兵器である原爆の、その悪のあまりの大きさに呆然とし、聖書を開かずにはいられませんでした。そこで目に留まったのが、マタイ5章9節の、「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるから」です。この時、このみことばが私の心にしっかりと刻み付けられました。そして、原爆資料館に私の名を刻んだタイルがいつもそこにあるということが、何だか私の分身がいつも原爆資料館にあるような気がして、そのことを大切にしていこうと思いました。
 それから数日たって、私が応援している映画の佐々部清監督が、広島の原爆の被爆者とその家族を描いたマンガの『夕凪の街 桜の国』を映画化するという話を聞きました。佐々部監督は『チルソクの夏』という日本と韓国の高校生の清々しい交流を描いた映画を撮った監督さんで、私は大学の留学生センターでは日韓留学プログラムの韓国人留学生のお世話をする仕事をするようになっていたのが縁で『チルソクの夏』を知り、職場の大学でこの映画の上映会と佐々部監督の講演会を開いたことがあったのです。私が広島の原爆資料館に行って帰ってきた直後に佐々部監督が広島が舞台の映画を撮るというニュースに、私はとても偶然とは思えず、しっかりと応援しようと思いました。
 そして、翌2006年の夏にこの『夕凪の街 桜の国』の撮影が始まりました。広島でのロケではエキストラが募集されましたので、私も応募し、通行人の役をいただきました。その時に、これまで味わったことのない、頭の混乱、というものを味わいました。私がエキストラとして参加したシーンは原爆ドームのすぐ近くの橋の上で、スタートの合図と共に田中麗奈さんと中越典子さんの二人と反対方向に歩くというシーンでした。反対方向ですので、映画には小さくしか写っていないのですが、スタートの合図があるまでの待機時間中は、田中麗奈さんと中越典子さんのすぐ近くにいられるという、幸せな時を過ごすことができました。本来なら、大喜びしたいところですが、すぐ目の前には原爆ドームがあります。多くの人々が苦しみながら死んでいった場所です。そんな場所で、大喜びするわけにはいきませんから、私の頭は非常に混乱しました。その日は2006年の8月14日でした。
 翌15日の終戦の日、私は再び同じ場所を訪れ、神様に聞きました。「きのうのあの出来事は何だったのですか?」と。でも、答えはありませんでした。その日、私は答えを求めてほぼまる1日を平和公園の中で過ごしました。平和公園の中には平和の鐘があり、訪れた人が時おり、その鐘を鳴らしていきます。その鐘の音を聞きながら、私はいつしか祈り始めていました。「神様、私を平和のために用いてください」と祈りました。それは長い祈りでした。
 すると、この頃から、私の仕事に変化が現れ始めました。実は私は2000年から、以前の金属の物理の研究も再び行うようになっており、留学生教育の仕事と二足のワラジを履くようになっていました。しかし、金属の研究は難しいテーマに取り組んでいたため、目立った成果は挙げられずにいました。それが、2006年の広島でのお祈り以降、急速に進展し始めました。しかし、そのことが、私を次第に傲慢にしていきました。そして、留学生教育の仕事を、次第に軽視するようになっていってしまいました。
 そんな私を神様は粉々に粉砕しました。2008年の1月、私の思い上がりは頂点に達していました。金属の研究でさらに大きな発見をしたのです。しかし、それは従来の理論を根本から見直さなければならないような発見なので、学会ですぐに認めてもらえるとは思えず、厳しい戦いが予想されました。そこで私は金属の研究にもっと多くの時間をつぎ込む必要を感じ、留学生教育の仕事はますます軽視するようになり、そのことが留学生センターの先生方との関係を悪化させていきました。そうして、私は二足のワラジをはき続けることが困難になり、どちらか一方に絞らざるを得ない状況に陥りました。では、どちらに絞るか。当時の私の頭の中はほとんど金属で占められていましたから、留学生センターの仕事に絞ることは無理でした。しかし、金属での大きな発見はまだ学会でも認められていないので、金属関係で新たなポストを得ることも、当面の間は無理でした。つまり私は、どちらの道も閉ざされてしまったのです。何とかしなければと、私は大学の副学長にも面談を求めて話を聞いてもらったりしましたが、もがけばもがくほど、道が閉ざされていきました。金属の発見で思い上がっていた私を主は粉々に打ち砕き、さらに、すり鉢で粉末にするように、ゴリゴリと私をすりつぶしていきました。
 その時、私の中に、主の僕(しもべ)として働きたい、すなわち献身したいという気持ちが芽生えました。献身以外で残る道は、金属の発見を早く学会で認めてもらい、金属の研究者として新たな就職口を得ることでしたが、金属という狭い分野の中で新しい発見をなかなか信じようとしない人たちに信じてもらえるよう努力するよりは、もっと広い世界でイエス様を信じようとしない人たちに信じてもらえるよう、イエス様のしもべとして働くことのほうが、遥かにやりがいがあるように思えたのです。それから、しばらくして聖書のページをめくっていた時に与えられた御言葉が、冒頭でお読みしたイザヤ書52章7節です。その中の「平和を告げ知らせ」の「平和」という二文字が重く響きました。大学で働く道を閉ざされたのは、二年前に広島で「私を平和のために用いてください」と祈ったことが、主に聞かれたからなのだと思いました。自分で祈ったことですから、それから私は一切迷わず、聖宣神学院に入学できるよう、主任牧師の藤本満先生にお願いしました。
 広島の原爆資料館には今も私の分身のようなタイルがそこにあります。そのことを私は忘れずに大切にしていきたく思っています。そしてこの一年、聖宣神学院で学んできて、平和のために自分に何をしたら良いかということも、少しずつ見え始めてきていますから、主に感謝しています。
 今後とも、神学生のため、神学院の働きのためにお祈りをよろしくお願いいたします。

コメント

_ たなかやすこ ― 2009年06月23日 07時13分

KOJIMAさま
新しい証しができて、本当に嬉しく思っています。いつも思うのですが、誰でも人生の大きな転機になるような出来事の最中にいるときには、本人は何が何だかよくわからないうちに時が過ぎていって、後から振り返って初めて、それが神さまのおかれたひとつの布石だったとわかるようなものという気がするのです。
人生の長い時間を、後で振り返ってみると、本当に神さまが不思議な導きを与えてくださっていたのが、何年も経ってから味わい深く理解できるものですね。今回の証しが10年毎にその出来事が来ている事にも、何かそういうものを感じました。
KOJIMAさんが一粒のタイルを始められて以来、欠かさず読ませていただいておりますが、いつも私の目にはKOJIMAさんはよい主の働きの証し人だと思っていました。でもあまり気負わずに自然な姿で、このまま伝道者として主が祝福された道だと信じて生きて行かれますように、心より祈っています。その姿に周囲の者は皆励まされています。

それから、高津教会の掲示板の方でコメントした中で、今KOJIMAさんが神学院から日曜日毎に派遣されていらっしゃってる教会名を、深川教会ともうひとつを、高根教会をその時思いだせずに、王子教会と記憶をまちがえて、書き込んでしまいましたので、今朝訂正させていただきました。ごめんなさい。

_ S.KOJIMA ― 2009年06月23日 12時38分

たなかやすこさま
 こんにちは、コメントありがとうございました。
 高根教会では、先月に救いときよめの証しをした時のほうが反応は良かったです。教会員の方々にとっては、やっぱり救いの証しのほうが身近に感じるんでしょうね。
 ところで、たなかさんにも是非『劔岳 点の記』を見ていただきたいです。木村大作監督、福澤勝広・美術監督は佐々部監督と格別に縁が深い方々です。

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