映画『劔岳 点の記』が教えてくれること2009年06月29日 06時01分

 三角点という、不連続な点から地図を作ることができるのは、もともとの地形が連続しているからである。

 では、

 個々の点に過ぎない我々一人一人の人間が、なぜ他人と連帯感を持ち、「仲間たち」と呼び合うことができるのか。

 「現在」という時間のただ一点の中にしか生きられない我々が、なぜスクリーンの中の明治期の人物と一体感を感じることができるのか。

 今の一時点に横浜市の一地点にいる私が、なぜ明治の劔岳にいるかのような気持ちになることができるのか。
 
 現代の役者が明治の人物を演じるのを、なぜ我々は違和感なく見ることができるのか。

 時間も空間も異なるところにいる映画のスタッフ・キャスト・観客が、なぜ一つに溶け合うことができるのか。

 人間は時間と空間に縛られて生きている。今の一時点に、一地点にしか存在できない。

 それなのに、なぜ我々はいろいろな場所、時代の人たちと「仲間たち」として一つに溶け合うことができるのか。

 それは、

 時間・空間に縛られない「唯一絶対」の存在がこの時間・空間に満ち満ちていて、我々をつなぎ合わせてくれるからであろう。

 それが、

 神である。