単純な信仰2008年07月20日 05時52分

 ブログに身辺雑記ばかり書いていないで、たまにはキリスト教の福音を正面から取り上げた記事を書くべきでないか、という促しの声が自分の奥深い所から、ここ数日来聞こえてきています。そこで今日は真面目に「信仰義認」について、ごく短く書いてみたく思います。

 信仰を持つということは難しいことではなく、ただ単純に信じるだけで神様はその者を義(正しい)と認め、救ってくださいます。救われた者は心の平安を得ることができます。心の平安が得られるということは本当に素晴らしいことです。
 では、何を信じればいいのでしょうか。それは、新約聖書の福音書にある、イエス・キリストのことばを信じればいいのです。行いに励む前に、まずは信じること。そこからすべてが始まります。

「しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」
(ガラテヤ人への手紙 2章16節)

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