学生を楽しむ2008年07月06日 17時27分

 7月の第一週は神学院の寮に寝泊りしながら授業を受けました。この週は特別週で、「CS教授法」、「サムエル記」、「ヨハネの福音書」、「洗礼式・聖餐式」の特別講義がありました。「ヨハネの福音書」では学生がそれぞれ異なる発表テーマを割り当てられ、私は「ヨハネの福音書と旧約聖書」というテーマをもらいました。9月にこのテーマで短いレポートを提出し、皆の前で簡単な発表をしなければなりません。
 ヨハネの福音書と旧約聖書との関係なんて、あまりに接点が多すぎて、いったい全体どうやってまとめたらいいんだろうと最初は戸惑いましたが、次第に切り口が見えてきました。その切り口からマタイの福音書との違いを見てみると、いろいろと面白いことがわかってきました。まだまだ読みが足りないので、もっと読み込むことで考察を深めていきたく思っています。最初は恐ろしく感じていた発表が少し楽しみになってきました。

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
(ヨハネの福音書1章1節)

ウェチャ2008年07月11日 09時14分



 上の写真は、昨日の朝5時半の起床直後に神学院の男子寮の私のベッド横の窓から撮った神学院教会のウェスレー・チャペルです。寝室は大部屋で、男子の寮生が全員この部屋で寝ます、と言っても今ここで寝泊りしているのは私を含めて3人だけです。そんな訳で人口密度が極めて低いので快適です。朝目覚めて窓のカーテンを開けると、こんな風にチャペルが見えるのも気に入っています。
 神学生はこのウェスレー・チャペルのことを縮めて「ウェチャ」と呼んでいます^^ 毎朝朝食後に清掃をしますが、曜日によってどこを掃除するかが決まっており、清掃前のミーティングで上級生のリーダーが「きょうはウェチャをやります」などと言っています。ウェチャという単語を初めて聞いたときは何だかサンチャ(三軒茶屋)みたいな気がして重みがないなあと思いましたが、親しみを感じる表現ではあります。
 短縮形で思い出すのは北大のクラーク会館で、北大生は親しみを込めて「クラ館」と呼んでいます。クラーク先生が札幌農学校の一期生に伝えたキリスト教を内村鑑三、新渡戸稲造らの二期生が受け継ぎ、伝道し、めぐり巡ってこうしていま私も伝道のために召されたことに感慨を覚える今日この頃です。神学院での修練を通じて聖められ、下記のガラテヤ書にあるようなパウロのことばでも曇りなく堂々と宣べ伝えられるようになりたいものです。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のために自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
(ガラテヤ人への手紙2章20節)

静岡おでん2008年07月13日 08時12分


 やみつきになるといけないので、これまで近づかないようにしていましたが、静岡で過ごす日数が増えるにつれて行きたい気持ちがつのり、やっぱり行っちゃいましたよ、静岡のおでん横丁に ^^;
 静岡おでんの特徴は串に刺してあること、青ノリを振りかけて食べること、そして何といってもツユの色が濃くて、底のほうに沈んでいるものは串を上げてみないと何が刺さっているのか分からないという点です。ツユはつぎたし方式で作りますから、この店のおでんの場合、50年モノということになります。やっぱりおでんのツユはこうでなくちゃ、と思います。20年近く前、札幌でセブンイレブンのおでんの透きとおったツユを初めて見た時、これが果たしておでんと呼べるのか?と疑問に思ったものでした ^^
 それから、静岡おでんで忘れてならないのは黒はんぺんです。これは焼いてショウガ醤油で食べてもおいしいし、フライにしてもおいしいです。私はいまだに白いはんぺんは不気味で食べられません ^^

「ところが、もし、そのしもべが、『主人の帰りはまだだ。』と心の中で思い、下男や下女を打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めると、しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰ってきます。」
(ルカの福音書12章44,45節)

静岡教会2008年07月14日 06時12分


 7月からはこの静岡教会の日曜礼拝に出席しています。今週からはもう9月まで神学院には行かないので、水曜朝の早天と木曜夜の祈祷会にも出席するつもりです。
 何度も通ううちに、ここがやがて高津教会と神学院に並び、私のたましいが最も安らぐ場の一つになることでしょう。

「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、
 神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。」
(詩篇42篇1,2節)

激突! 静高×静商2008年07月14日 16時15分



 夏の高校野球の静岡県予選で我が母校の静岡高校が初戦でいきなりライバル校の静岡商業と対戦するというので、草薙球場に応援に行ってきました。
 試合開始時、相手方の一塁側のスタンドの生徒席は上の写真のように野球部員と応援団員とブラバンしかいませんでした。夏休み前の平日の午前ですから、当然ですね。
 一方、我が方の三塁側は、ナ、ナント、応援の生徒で一杯でした^^;



 静高は授業を休みにしたようです。我々の頃の県予選は夏休みに入ってからだったので授業を休んで応援に行くということはなかったんですが、いずれにしても一応は進学校なのに勉強一本ヤリではない、静高の伝統が今でも健在なのを見て、何かすごくうれしかったです。先生方も生徒の横で応援を楽しんでいました ^^
 この「勉強は後回し」の心は、途中で試合が中断して(後述)長引いたために、なおもまた、いかんなく発揮されました。10時開始の試合でしたが、開始後3時間半たった午後1時半頃にハンドスピーカーを持った先生が生徒たちに
「午後の授業も今日は行いません」
とアナウンスしたものですから、生徒たちは大喜びしていました^^ でも、絶対に先生たちのほうがうれしかったはずです ^^;
 試合が長引いたのは、6回の表の静高の攻撃中に、二塁ベース付近にゆるく上がった低いフライを取りに行ったショートとセカンドが激突して両名とも倒れたまま起き上がれなくなってしまったことです。



 極めて異例のことだと思いますが、救急車が2台球場内に入り、選手二人を搬送して行きました。そして静高の6回の攻撃が再開したすぐ後、予期せぬ交代でガチガチのセカンドを低く地を這うライナー性のゴロが襲い、股間を抜けて行きました。このトンネルのエラーが大量得点につながり、静高はこの試合に勝つことができました。エラーした静商の選手は本当に気の毒でした。
 救急車で搬送された静商の選手2名のケガの早い回復と、エラーしたセカンドの選手の心の傷が深くなりすぎないよう、お祈りしたく思います。

「(サマリヤ人は)近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。」
(ルカの福音書10章34節)

チェジュド2008年07月17日 11時22分

 ここ何年か、毎年9月上旬にソウルへ仕事で出張に行っていました。今年はもう仕事をやめたので行く必要はないのですが、なかなか面白いイベントなので、今回は一般人としてこのイベント会場を訪れて顔見知りの関係者に挨拶してこようかと思い、昨日飛行機のチケットの予約を済ませました。
 昨年までは仕事だったので用務が済んだらすぐに帰国しなければなりませんでしたが、今年は何せ私的な旅ですから、自由に旅行の計画が立てられます。とは言え、あまり長く教会から離れるわけにもいかないし、長くなればお金も掛かるので、ソウル3泊、チェジュド(済州島)3泊の6泊7日で行ってくることにしました ^^
 チェジュドは前から行きたかったのですが、なかなか行けず、今回やっとで念願を果たすことができます♪
 チェジュドの旅行ガイドを見ると、「シュリ」や「オールイン」など韓流映画・ドラマのロケ地の紹介記事が結構多く載っていますが、佐々部映画ファンにとっては何と言ってもチェジュドは「カーテンコール」の地です。
 「カーテンコール」のラストで父娘の感動的な再会の場となった「サンバンサンの近くの学校」とは、映画に出てくる看板を見ると「大静郷校」のようであり、ネットで調べたらだいたいの位置が分かりましたので、できれば訪れてみたく思っています。楽しみですっ!

「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。」
(使徒の働き 28章1,2節)

単純な信仰2008年07月20日 05時52分

 ブログに身辺雑記ばかり書いていないで、たまにはキリスト教の福音を正面から取り上げた記事を書くべきでないか、という促しの声が自分の奥深い所から、ここ数日来聞こえてきています。そこで今日は真面目に「信仰義認」について、ごく短く書いてみたく思います。

 信仰を持つということは難しいことではなく、ただ単純に信じるだけで神様はその者を義(正しい)と認め、救ってくださいます。救われた者は心の平安を得ることができます。心の平安が得られるということは本当に素晴らしいことです。
 では、何を信じればいいのでしょうか。それは、新約聖書の福音書にある、イエス・キリストのことばを信じればいいのです。行いに励む前に、まずは信じること。そこからすべてが始まります。

「しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」
(ガラテヤ人への手紙 2章16節)

朝の祈り2008年07月22日 09時19分

 祈りはいかなる時もきちんとした姿勢で行うべきと考える方からは邪道とされるかもしれませんが、私は朝の祈りは布団の中で仰向けに寝たままで行います。朝、目覚めた直後にまず「主の祈り」を唱えることで頭を半分だけ覚醒させ、次いでこの半醒半睡の状態の中で祈りの課題に挙げられていることを祈ったり、解決がついていないことに如何に対処するかなどを考えたりします。
 なぜ私がこうするかと言うと、この仰向けでの半醒半睡の状態の方が、100%覚醒した状態の時よりも聖霊との交わりが確実にできるという実感があるからです。仰向けでいる時、エリシャが少年を蘇生させた時の少年をイメージすることもあります。旧約聖書の第二列王記の4章32-35節に、エリシャが死んで仰向けに寝かされた少年に、目と口と両手とをぴったりと合わせる形でおおいかぶさり、生き返らせる場面があります。この時の少年の側をイメージする時、私は聖霊との一体感を感じることができます。世俗にまみれて半分死んだ状態にある自分が聖霊により生き返らされたような気持ちの良さを味わうことができます。
 誤解を与えるといけないので、再度記すと、私はこれを「主の祈り」を唱えた後で行います。すなわち、天の父にきちんと呼び掛けをした上で瞑想状態に入ります。さもないと、悪霊に支配される危険性があります。最近の女子中学生による父親刺殺事件に代表されるように、悪霊の仕業としか思えない事件がこのところ急速に増えているように思います。私の考えでは、これらの事件の大半は加害者が携帯メールやネット掲示板、ゲーム等に夢中になることで魂を吸い取られ、その抜け殻に悪霊が侵入して引き起こしているのです。それは、天の父のようにきちんと呼び掛ける対象を持たないために、守られていないからだと言ってもよいと思います。現代の日本ではそのように呼び掛ける対象を持たない人が大半を占めていますから、今後もこのような事件が起き続けるのかもしれません。人々がきちんとした信仰を持つことの重要性に早く気付くよう、強く祈る必要性を感じています。

「主の祈り」
天にまします我らの父よ。
願わくは、御名を崇めさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らにおいめあるものを我らがゆるすごとく、われらのおいめをもゆるしたまえ。
我らをこころみに会わせず、悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり。
アーメン。

関連記事「祈りとは何だろうか」(2007年8月7日)
http://skojima.asablo.jp/blog/2007/08/07/1709547

こおどりしたくなる日々2008年07月24日 06時17分

 準々決勝20対2、準決勝18対10という凄いスコアで静岡高校が夏の高校野球の県予選の決勝戦まで駒を進めました。今年の夏は無職の状態で静岡で過ごすのだから高校野球の応援を楽しむぞ!と4月の時点から決めていましたから、こんなに愉快な夏はありません。仕事のストレスもなく野球を楽しみ、聖書を学び、静岡教会の礼拝・祈祷会・早天祈祷会に出席したり会堂のリフォームのお手伝いをしたりと、贅沢な夏休みを過ごしています。
 こんな小躍りしたくなるような楽しい日々を過ごせるのは、自分の進路を全て神の手にゆだねているからに他なりません。神を知らずに自分の進路のことでもがき苦しんでいる人たちに、この大いなる恵みを是非とも知ってほしく思っています。
 昨日の静岡教会での早天祈祷会では旧約聖書の詩篇68篇を学びました。このダビデの詩篇は、ダビデが喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った時のものとされています。この時、「ダビデは主の前で力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた」とサムエル記第二の6章14節に記されています。聖書のスゴイところは、この場面をダビデの妻ミカルの冷ややかな目を通しても描写していることです。ミカルは夫のダビデ王に言います。「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって」(サムエル記第二6章20節)。妻が王である夫にこんな皮肉を言う場面が生々しくつづられているのもまた聖書の魅力の一つです。こんな聖書の面白さもまた伝えていくことができたらと思っています。

「神の御前で、こおどりせよ。」(詩篇68篇3節)

彼らの罪2008年07月28日 11時03分


 今年もまた8月6日と9日が近づいてきました。昨年買って読んだブルーバックスの『原子爆弾』をパラパラとめくって見ると、原爆製造には技術的に困難な点が数多くあったにも関わらず、優秀な科学者たちの頑張りで次々と克服していった様などが克明に書いてあります。
 原爆投下を最終的に決めたのが大統領や進言した政治家・軍人たちであったにせよ、科学者たちが原爆を完成させることができなければ、広島・長崎への原爆投下は無かったわけですから、この悪魔の兵器を開発・製造した彼らの罪の大きさを思わないわけにはいきません。
 7月の聖書通読は高校野球の応援に熱中したこともあって遅れ気味で、先週末にようやく新約聖書に入りました。この週末にマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書をちょうど続けて読んだところですから、祭司長たちと律法学者たちに扇動されてイエスを「十字架につけろ」と叫んだ群衆と原爆を開発した科学者たちとの姿が重なりました。

「ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。
 しかし、彼らは叫び続けて、『十字架だ。十字架につけろ』と言った。
 しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。『あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。』
 ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。」
(ルカの福音書23章20-23節)