中村健佐さん@静岡2008年08月02日 19時47分


 チル友のTさんが熱烈に応援しているサックスのプロ・ストリート・ミュージシャン中村健佐さんが、このところ静岡によく来て演奏しています。10月9日(木)の静岡音楽館AOIホールでの演奏会の宣伝を兼ねてのようです。
 私も先々週と今日のストリート演奏を楽しんできました。先々週はほとんど休憩を取らずに演奏していた中村さんも、このところの暑さで熱気が充満してしまっている静岡の地下街での今週の演奏はさすがに体力的にきついようで、休憩を取りながら演奏していました。どうか健康に気をつけて夏の暑い時期を乗り切ってください。

 さて何かしら聖書の御言葉で記事をしめくくるのが、ここ何ヶ月かのこのブログのお約束です。ストリートにこだわる中村さんを見て、異邦人伝道のための旅暮らしにイエス・キリストの使徒としての生涯のほとんどを捧げ、旅先で福音を宣べ伝え続けたパウロのことを思ったことです。

「神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、愛する子テモテへ。父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」
(テモテへの手紙第二 1章1節)

青梅珍道中2008年08月05日 08時51分

 下関のSさん、周南のAさんたちと青梅観光に行ってきました。
 青梅は手描きの映画看板が街中に展示してあることで有名です。青梅駅で電車を降りると、さっそく久保板観さんの絵看板が出迎えてくれました。



 板観さんは佐々部監督の『カーテンコール』の絵看板も手掛けた方です。一時休養していたそうですが、いまはまた復帰して描き続けているそうです。
 駅の改札を出て旧青梅街道を行くと、ありました、ありました。『カーテンコール』の絵看板です。



 3年前の秋、銀座のシネスイッチで見て以来の久々の対面でした。風雨にさらされて色あせていましたが、屋外に展示されてこその絵看板ですから、仕方がないのでしょうね。

 ところで、青梅にはなぜか赤塚不二夫会館という赤塚さんの作品の資料館があり、赤塚さんが亡くなったばかりということでテレビの取材陣が大勢きていました。それで、取材陣がSさん、Aさんたちに目を付けてインタビュー撮りが行われました。



 取材陣は、Sさんたちが赤塚さんの訃報に接して、わざわざ山口県から青梅の赤塚不二夫会館を訪ねて来たと思ったようで、驚いていました ^^;



 「シェー」を要求された女性陣は気軽に応えていました。サービス精神旺盛ですね。さすがは劇団巌流第二級のメンバーたちです。
「シェ~!」^^;;;;



 それにしても劇団巌流第二級のメンバーがテレビの取材を受けたことは、決して偶然ではないと思います。劇団員がキャメラのあるところに吸い寄せられるのか、キャメラの方が劇団員に引き付けられるのか、両者の間には見えない引力が確実に働いていると思いました ^^

 聖書の中にも決して偶然ではなく引き付けられた者たちの話が載っています。ルツ記のルツとボアズがその好例です。

 「ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメルクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
  ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。『主があなたがたとともにおられますように。』彼らは、『主があなたを祝福されますように。』と答えた。
(ルツ記 2章3,4節)

早天祈祷会メッセージ原稿2008年08月06日 00時39分

 静岡教会の集会に出席するようになってから、一ヶ月がたちました。
 7月の間はただ座って聞いているだけでよかったですが、8月からはいろいろとご奉仕する機会をいただいています。
 まず手始めは、8月6日の早天祈祷会(朝6:30~)の当番です。ここで15分ほどのメッセージを語る時間をいただきました。8月6日と言えば広島に原爆が投下された日であり、私の名を刻んだ一粒のタイルが原爆資料館にあることや、映画『夕凪の街 桜の日』のことなどで私が格別にこだわりを持っている日です。私が予め希望を伝えたわけでもないのに、8月6日の早朝に最初のご奉仕の機会をいただいたことは偶然ではなく、神様の働きがあってのことと思います。ですから、この日のメッセージは当然、広島のことを語らせていただくことにしました。
 メッセージの準備ができましたので、ここを訪れる方にも読んでみていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

 本日(8月6日)の聖書箇所
 マタイの福音書26章36-46節

 きょう8月6日は63年前にアメリカが広島に原子爆弾を投下した日です。
 私はこの原爆投下という行為は人類史上最悪の行為の一つと言って間違いないと思います。私はこれまでに何度も広島の平和公園に行き、平和の祈りを捧げてきました。なぜそんなに広島に何回も行ったかは8月24日の礼拝でお証ししたく思いますので、ここでは省略しますが、特にここ2年は数多く足を運び、一昨年の8月15日の終戦の日と昨年の8月6日の広島の原爆の日は一日の大半をこの平和公園の中で過ごし、「私を平和のために用いてください」という祈りを長く捧げました。当時は献身のことは全く考えていませんでしたが、今は、この「私を平和のために用いてください」という祈りが応えられた結果、献身することになったのだと思っています。そして、きょう、静岡教会で初めて集会の当番を担当させていただく日が8月6日となったのも、偶然ではなく神様の働きと思い、感謝しています。きょうのこの日にふさわしい聖書箇所はどこだろうかと考える過程で、聖書の記述と原爆投下とを関連付けて考える機会を持つことができたことは感謝なことでした。
 さて、きょうのメッセージのために示された聖書箇所は、主イエス・キリストがゲッセマネで捕らえられる直前に苦しみもだえながら、祈る場面です。私は1945年に広島に原爆が投下される直前にもイエス様がこのように苦しみもだえていたのではないかと思います。
 2005年に、いのちのことば社から出版されたリー・ストロベル著・峯岸麻子訳の『それでも神は実在するのか? ― 「信仰」を調べたジャーナリストの記録』という本の中で、著者は、「悪や苦難がこの世に存在する以上、『愛の神』は存在しえないのではないか」という疑問を哲学者のピーター・ジョン・クリーフト博士にぶつけた時のインタビュー記事を書いています。以下は長いインタビューの中のほんの短い抜粋ですが、クリーフト博士はこのように答えています(p.89-90)。

 「私たちがどん底を体験しているとき、イエスもそのどん底にいるのです。ナチス・ドイツの死の収容所を経験したコーリー・テン・ブームは、
『我々がどんな暗闇にいようとも、イエスはさらに深い暗闇の中にいる』
と書いています。
 神であるイエスこそ、アウシュビッツでガスを浴び、ソビエトや北アイルランドで侮蔑的な扱いを受け、スーダンで奴隷になっていたのです。人間がイエスへの憎悪を燃やす中、神は私たちを愛することを選んだのです。
 私たちが流す涙の一粒、一粒は、イエスが流す涙です。その涙は、いまだに流され続けているかもしれません。しかし、いつの日か、イエスがその涙を拭う日がやってきます。」(引用終わり)

 この本のこの箇所を読んだ時、私(小島)は、目からうろこが落ちる思いがしました。イエス様はマタイ25章40節の中で、「あなたがたが、これらのわたしたちの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と言います。この話の中で小さい者たちが受けたことは、良いことです。しかし、イエス様はいつも私たちのそばにいてくださる方ですから、悪いことでも全く同じことなのだと気付かされました。あの原爆が閃光を放って地獄と化した広島の地にイエス様もおられて、戦闘要員ではない最も小さい者である広島の人々と同じ苦しみを受けたのです。そしてそのことを知っていたイエス様はその原爆投下の前から苦しみもだえていたに違いないだろうと思います。
 ルカの福音書22章44節には、「イエスは、苦しみ、もだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」とあります。広島への原爆投下の前にこのようにして苦しんだに違いないイエス様は、原爆投下後の地獄を思って苦しんだことは、もちろんだと思いますが、投下前に緻密な計画を立案して準備を着々と進めるアメリカの罪のあまりにも大きいことにも苦しみ悶えただろうと私は思います。
 アメリカは多くの年月と人材と莫大な開発費をつぎ込んで完成させた原爆を最も有効に活用するため、周到な準備をします。まず、標的の候補地とした広島や長崎などの幾つかの都市への空襲を禁止して建物を温存させます。また、従来の爆弾とは桁違いに威力が大きく一般市民への被害も甚大なものとなることを知っていながら、予告なく投下することを決めました。戦争を終結させるのが目的なら、山林など人のいない所に投下して原爆の威力を見せつけ、威嚇するだけでも十分な効果があったはずです。それを地方都市の中でも大きいほうである広島市に投下したということは、明らかに建物や人に対する被害の大きさのデータ収集も大きな目的としていたと考えざるを得ません。しかも長崎市にも広島とは異なるタイプの原爆を投下したのですから、ウラン型とプルトニウム型の両方を試験し、威力の違いを比較したかったのでしょう。広島と長崎の人々はこの悪魔の兵器の実験台にされたのです。このことを知っていたイエス様の苦しみは、いったい幾ばくであっただろうかと思います。
 ここで我々は、アメリカを強く非難するとともに、なぜこのようなアメリカの行為を神は引き止めなかったのかと、神がしたことに不信感を抱くこともできると思います。しかし、今日の聖書箇所から、もう一つ学ばなければならないことがあります。私自身のことを思う時、平和のために祈ると口では簡単に言いますが、ゲッセマネでのペテロたちのように私はろくな祈りも捧げずに寝てしまっているのではないかということです。いや、間違いなくそうです。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。わたしといっしょに目をさましていなさい。」というイエス様のすぐそばで私は寝てしまうような祈りの足りない者であることを自覚しています。このことを私は猛省しなければならないと思っています。
 広島と長崎への原爆投下は本当に不幸な出来事でしたが、幸いにして、それ以降は戦争での核兵器使用はありません。アメリカとソ連が対立する中、朝鮮戦争やキューバ危機などで核兵器使用の危機があったにも関わらず回避されたのは、広島・長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないという切実な祈りが世界中で積まれ、それに神様が応えてくださったからだと私は思います。21世紀に生きる我々はこの20世紀後半の祈りの精神を引き継ぎ、また伝えていかなければならないと思います。
 もし平和のために祈るということに今ひとつ実感が湧かないという人がいたら、環境問題の観点から考えてもよいと思います。もし核兵器が使用されたなら、放射能や気候変動による被害は攻撃を受けた地域だけでなく、地球規模の広範囲に広がります。いま二酸化炭素やメタンガスなど温室効果ガスによる気候変動の問題に世界が大きな関心を寄せていますが、それとは比較にならない環境被害が地球規模で広がると言って良いでしょう。このことからも核兵器廃絶へ向けた祈りは、どの地域に住んでいようと、世界中で祈られなければならない課題だということがわかると思います。そしてその祈りの力を強めるには、イエス・キリストの救いの恵みに与る人がもっともっと増えていかなければならないのです。
 きょう8月6日と9日は世界中で平和のための祈りが捧げられます。広島と長崎の悲劇を繰り返してはならないという思いを世界中の人たちと心を一つにして祈らなければなりません。その時、イエス様もまた大変に悶え苦しんでいることを覚え、またイエス様のそばにいながら寝てしまったペテロたちのように祈りがいい加減なものになっていないかという内省もしつつ、真剣に祈らなければならないと思います。

「イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来てみると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。」
(ルカの福音書22章44,45節)

教会は映画の撮影現場だ2008年08月11日 11時14分

 最近思った下記のことを高津教会HPの掲示板に投稿しました。

 静岡教会に通うようになり、静岡教会には静岡教会の闘いが、高津教会には高津教会の闘いがあるのだなと、少し分かってきました。しかし、それぞれの事情は異なっていても、教会員が教会の様々なことに積極的に関わっていかなければならないことは共通しているということも少し分かってきました。
 教会員が教会のことに関わるとは、イエス・キリストの福音を映画に例えるなら、教会は映画館であるにとどまらず、映画の製作現場でもあるのだ、と言えるのではないかということを最近思っています。
 私は今月に入って2回、佐々部清監督が演出を手掛けているテレビドラマ
  『告知せず』 http://www.tv-asahi.co.jp/kokuchisezu/
の撮影現場にお邪魔してきました。以前から私は教会の働きと映画の撮影現場には、どこか似たところがあると漠然と感じていましたが、今回、久々で撮影現場(映画ではなくテレビドラマでしたが)に入らせていただき、このことをより一層実感しました。
 映画を例えに使うなら、まずは教会を映画館とするのが単純で分かりやすい例え方だと思います。牧師が語るメッセージが上映する映画に相当し、教会員はその映画を観にくる観客というわけです。しかし、教会員は単なる観客というような受身的な姿勢ではいけないのだということを、われわれ高津教会員は今年の元旦礼拝のメッセージ「1タラントの教会」で教わりました。教会員はそれぞれの賜物である才能を生かして、イエス・キリストの福音を広めるよう働くべきだということをマタイの福音書25章14-30節を通して学びました。この教会のあるべき姿は映画の世界とよく一致しているように思えます。
 映画の世界では異なる役割を持った人たちが実に多く働いています。例えば製作現場では、映画監督を筆頭に助監督(チーフ、セカンド、サード、…)、撮影、照明、録音、記録、美術、衣装、メイク、等々のスタッフが監督の号令の下に整然と動いています。皆が監督の意図と自分の役割をよく理解していて、常に先のことを考えながら動いているため、少々のカメラ位置の変更や撮影順の組み換えがあったくらいでは全く混乱なく全体が動いていきます。これはなかなかスゴイことだと思います。カメラ位置の変更と言っても、カメラだけが動くのではなく、それに伴って照明も録音用のマイクも動く必要があるので、全体が動かなければなりません。しかし、それぞれのパートは皆プロフェッショナルですから、最適の位置を迅速に見出してカメラの動きに追随していきます。ですから監督は俳優の演技指導に集中することができるのです。スタッフの動きがモタモタしていたり、位置取りが悪かったりすると、そうはいきません。監督とスタッフとの息がピタリと合った環境があって初めて俳優も良い演技ができ、観る者に感動を与える作品ができるのです。
 この映画の製作現場の例えを教会に再び戻すと、イエス・キリストの福音を伝える場である教会の雰囲気を作り出すのは教会に集う全ての人たちなのだということが分かってきます。教会に集う者の意識の大勢が観客という受身的な立場にあるのか、或いは与えられた賜物を活用する製作側にあるのかにより、メッセージが生きたものとなるかならないか、随分と変わってくるのではないかと思いました。

「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには5タラント、ひとりには2タラント、もうひとりには1タラントを渡し、それから旅に出かけた。5タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに5タラントもうけた。同様に、2タラント預かった者も、さらに2タラントもうけた。ところが、1タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。」
(マタイの福音書25章14-18節)

真夏の富士山22008年08月18日 09時02分


 静岡教会のキャンプで朝霧高原に1泊してきました。
 8月15日の朝、素晴らしい富士山の姿を見ることができました。
 こんなに美しい自然を創造された主を賛美します。

「初めに、神が天と地を創造した。」
(創世記1章1節)

『結婚しようよ』DVD2008年08月21日 07時00分

 今年2月に公開された佐々部監督の『結婚しようよ』のDVDが届きました。
 主要な出演者が勢ぞろいしての結婚式のシーンの撮影は本当に楽しかったです。狭い中での撮影だったので俳優さんの表情もすぐ近くで見られました。
 「本番!」の声で表情がリラックスモードから、パッと本番モードに入る俳優さんの切り替えの速さと、表情の演技の素晴らしさには驚嘆しました。演技の世界の奥深さがほんの少しだけ分かった気がしました。

「さあ、来なさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう。」
(ヨハネの黙示録21章9節)

8.24 礼拝メッセージ2008年08月24日 15時28分

 きょう、静岡教会の礼拝でメッセージのご奉仕をさせていただきました。
 
 今月の初めに佐々部監督が演出している『告知せず』というテレビドラマの撮影現場にお邪魔したこともあって、ちょうど良い機会だと思いましたので、父が7年前にすい臓ガンで亡くなって、それがきっかけで教会に通うようになった時のことを思い起こしながら、聖書のメッセージを含めつつ、ガンの告知の問題について私なりに考えたことを今日の礼拝で話しました。
 このメッセージの原稿を高津教会ホームページ
 http://tkchurch.com/
の掲示板に投稿しましたので、もしよろしければ、読んでみてください。 

 主は私の羊飼い。 私は、乏しいことがありません。
 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
 あなたが私とともにおられますから。
(詩篇23篇1-4節)

南大門市場で思ったこと2008年08月30日 10時12分



 昨日から韓国に来ています。上の写真は昨年の今頃に撮ったソウルの南大門です。今年の2月に放火事件で焼失して今は下の写真のようになっていました。残念至極です。



 さて、いつものように南大門市場の屋台で食事をしていて、前回までのソウル訪問と今回とでは良くも悪くも自分の心の中の状態が全然違うということを発見しました。自分が今、無職であることをつくづくと実感させられたのです。今まで、ここの屋台で食事する時は、職業を離れて一人の人間としてここにいたつもりでいましたが、全然離れていなかったのですね。職業というものが自分の心のあり方に大きく影響していることに改めて気付かされた次第です。



 だいたい、韓国に入国する時に提出する入国カードと税関の申告書にも「職業」の欄があるのですから、今回の韓国旅行のハナから自分が今、職に就いていないことを意識させられていたわけですが ^^;

 でも、こういう発見が出来ることがまた、旅の良さなんですね ^^

きょう、チェジュへ2008年08月31日 07時07分


 昨日は日本全国の大学から日韓留学交流プログラムの関係者が多数ソウルに集結していたので、能天気に顔を出して挨拶してきました。冷やかし気分で気軽に行って挨拶してこようと思っていましたが、いざ会場に近づいたら緊張してきて、逃げ出したくなりました^^; でも皆さん温かく迎えてくださり感謝でした。
 また、教保文庫へ行き、済州島(チェジュド)の旅行ガイドを買いました。きょうの午後、飛行機でソウルからチェジュへ行きます。済州島で第一に目指すのは、佐々部監督の映画『カーテンコール』のロケ地の「山房山(サンバンサン)の近くの学校」、すなわち大静郷校(デジョンヒャンキョ)です。だいたいの位置は分かったのですが交通が不便な場所なので、どうやって行こうか思案しているところです。映画みたいにタクシーで行けば楽ですが、この歴史のある学校でゆっくりしてみたいので、一人で行って、そこに座ってボーっとしてこようと思っています。あっ、ハーモニカを持ってくるのを忘れちゃいました(笑)