世界が一つになるために2013年01月22日 11時35分


 アルジェリアの事件では犯人側だけではなく人質側でも多くの方々が死亡したことが明らかになって来ました。

 いま世界は平和からどんどん遠ざかり、混乱の方向へと向かっているようです。そして主要な原因の一つに宗教間の対立があることは残念でなりません。今のままではこの対立を無くすことは極めて難しいでしょう。しかし、私は大きな希望を持っています。その希望の拠り所は、私たちの大半が理性においては誤った時間観を持っている可能性が高いということです。時間とはどのようなものかについて全人類が考え直す機会を持つなら、少なくとも今よりは平和な世界が実現できるであろうという希望を私は持っています。誤った時間観のもとで宗教を理解するなら、その宗教に対する理解も間違っている可能性が高いのです。キリスト教徒もユダヤ教徒もイスラム教徒も仏教徒も、ほとんどの者が誤った時間観を持っており、従って自分の宗教をあまり正しく理解できていないのではないかと思います。

 長い時間、静かな環境に身を置いて神仏に祈る時、或いは瞑想する時、私たちは時間を忘れます。しかし、祈り・瞑想を終えて日常に戻って行く時、時間に縛られた生活を再開します。何時何分までに何々をしなければならない、そういう忙しい生活に戻ります。祈り、瞑想している時の時間と忙しく働いている時の時間と、どちらの時間が本来の時間に近いでしょうか。それは祈り・瞑想している時でしょう(ルカ10:38~42)。それなのに、私たちが宗教について理屈をこねる時は祈り・瞑想から離れている時です。すると誤った時間観の中で宗教について考察することになります。ここに間違いが生じる原因があるように思います。私たちが祈り・瞑想する時、私たちはどのような時間の中にいるのか、まずはこの点を明らかにして行くことが、少しでも宗教間の対立を無くしていく道筋ではないだろうかと私は考えます。

 アインシュタインの相対性理論と量子力学は、19世紀までの時間・空間観を修正する必要があることを示しました。しかし、私たちの日常生活における時間・空間観は相変わらず19世紀までのままであると言えるでしょう。相対性理論と量子力学が示す時間と空間はどのようなものかを知るのに、上の写真で示したブライアン・グリーン著『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』・上巻はとても役に立つと思います。そして祈り・瞑想している時の時間がどのようなものかを考察する上で良いヒントを与えてくれるだろうと思います。

 19世紀までの時間・空間観を否定した上で、それぞれが信じる宗教の正典に書かれている内容について思いを巡らすなら、きっと大きな成果が得られるであろうと思います。私はキリスト教を信じていますから、聖書を19世紀までの時間・空間観を排して読むようにして、既に大いに恵まれています。今までの私の説明の仕方が下手であったために、周囲の人々に十分に理解していただくには至っていませんが、これからも粘り強く、このことを続けて行こうと思います。そして、そのことにより世界が一つになる方向に向かって行って欲しいと願っています。