焼けなかったロゴス2012年05月30日 11時24分

 3月の終わりに牧師に任命されてから始めたfacebook上のノートに、「『ことば』としてのイエス・キリスト」という題名の考察文を不定期で連載してきました。今日でちょうど10回目になり、また予想外の良い思い巡らしの結果も得られたことですので、このシリーズは本日分を最終回にしました。

 Facebookを始めたのは、ヨハネの福音書についての最新の思い巡らしの結果を残しておきたいと思ったからです。昨今のニュースを見ていると、自分もいつ何どき、交通事故や自然災害(地震・津波・台風・竜巻・落雷)で命を落とすか分かりません。これらは神でも完全には防ぎ切れない領域であると私は考えています。それで、いつ死んでも、ヨハネの福音書の最新の思い巡らしの結果だけは残しておけるように、実名登録のfacebookを利用してネット上に残しておこうと思ったのです。ですから、友達でなくても読めるようにしてあります。また、かなり専門的な話になりますので興味がない人にはつまらないと思い、これまでのところ、自分からは友達リクエストはしていません。

 このようにして始めたfacebook上でのヨハネの福音書についての思い巡らしですが、ひとまず連載を終えたこの機会に、得られた結果を、こちらにも書いておくことにしたく思います。

 今回の、この2ヵ月間の思い巡らしで分かったことは、ヨハネの福音書の記者ヨハネは、ロゴス(ことば)は永遠の命を持つので、火の中でも焼けなかったことを、この福音書の背後で描いているということです。その背後のクライマックスはヨハネの福音書10章です。預言者エレミヤの時代にユダのエホヤキム王は、神のことばが書かれた巻き物を、暖炉の火で燃やしてしまいました(エレミヤ36章)。しかし、巻き物は焼失しましたが神のことば(ロゴス)は焼失しませんでした。ダニエル書に次のように書かれているからです。

「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」(ダニエル3:25)

 この「第四の者」がロゴスである神の御子イエス・キリストです。

 形ある物はいつか焼失したり、流失したり、朽ち果てたりします。しかし神のことばは決して滅びず、永遠に存在します。自然災害が多発する昨今、このことをもっともっと多くの方々に知っていただきたいなと思い始めています。

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