天国で安らいでほしい霊2011年09月06日 21時00分

 前回の日記で『日輪の遺産』の【鬼】の霊について触れたので、霊について少し整理して考えてみます。ここでは人間の霊だけを考えます。

1.霊の存在を信じない立場

 生命が偶然に誕生し、偶然による進化で人類が誕生したことを信じるなら、必然的にこの立場を取ることになります。進化の過程で霊が偶然に発生することは考えられないからです。霊が偶然により発生すると考える人がいるとしたら、その人はそのメカニズムを説明する必要がありますが、そういう説明を私は聞いたことがありません。何かあるでしょうか?

 霊の存在を信じない映画製作者が映画を面白くするために霊を登場させることは、よくあることです。その場合、その映画は完全に作り話だということになります。作り話を楽しむ映画でしたら、それはそれで結構なことです。しかし、戦争を真面目に考える映画には不向きだと思います。映画製作者が自分では信じていない霊を戦争映画に持ち込むことには、私は疑問を感じます。

2.霊の存在を信じる立場

 一方、霊の存在を信じるとしたら、その霊がどのようにして生まれたかを、ちゃんと真面目に考えなければなりません。先ほども述べたように、進化の過程で霊が偶然に発生することは考えられません。

 霊の存在を唯一合理的に説明できるのは、生命の創造主(神)が人に霊を吹き込んだということです。神は霊ですから、人に霊を吹き込むことができます。この方法以外に霊の存在を説明することができるでしょうか?霊は偶然には発生しませんから、創造主をどうしても考える必要があります。

 さて、ここからが大事です。

 霊は創造主である神が造ったものですから、創造主の存在を認めた霊、つまり自分を造ったのは神だということを認めた霊だけが天国の神の下で安らぐことが許されます。一方、創造主の存在を認めず、創造主の大きな力(他力)に頼らず、自力に頼る霊は天国で安らぐことが許されません。財宝が置かれた場所に居続けて、自ら【鬼】となって自力で財宝を守ることを選んだ霊は、決して安らぐことが許されず、【鬼】として永遠に存在するしかないでしょう。永遠に安らぐことが許されない霊が、もしこの世に滞留しているとしたら、人間にとっては非常に恐ろしい存在です。

 この【鬼】たちが許されて天国で安らぐことができるよう、私は創造主である神様にお祈りしたく思います。