キリストと一緒に死ぬとは2010年06月24日 17時40分

 前回の日記でトマスが言った「主といっしょに死のうではないか」を取り上げて以来、「キリストと一緒に死ぬ」とはどういうことかが気になって、私なりに考察を進めています。

 パウロは「ローマ人への手紙」6章に次のように書いています。

「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、…、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:3,4)

 「バプテスマ」とは「洗礼」のことですが、今まで私はこの箇所をあまり深く考えることなく読み過ごしていました。しかし、今回、英訳やギリシャ語の原文を見ることで面白いことが分かってきました。

 この箇所は英語のNIV(新国際訳)では次のように訳されています。

 All of us who 【were baptized into】 Christ Jesus 【were baptized into】 his death. We were therefore buried with him through baptism into death in order that, …, we too may live a new life.

 この英訳で私の目を引いたのは、日本語訳がバプテスマという名詞なのに対して英訳ではbaptizeという動詞の受身が使われており、さらに前置詞に【into】が使われているということです。ギリシャ語の原文を調べると、やはり動詞の受身が使われると共にειs(エイス)というintoに相当する前置詞が使われています。

 そこでさらに、バプテスマに関する他の箇所の英訳とギリシャ語を調べてみたところ、日本語で例えば「水/聖霊でバプテスマを授ける」となっている箇所は「水/聖霊【の中】でバプテスマを授ける」の方がより正確であることが分かりました。

 これらのことを、どのように考えたら良いでしょうか。
 私は次のように考えました。

 洗礼を受けるとは、私たち人間にとってはまさに受身の行為であり、それは神が人を神の世界に、【外から中に向かって(into)】私たちを引き入れてくださることだということです。Baptizeとは水の中に物を浸す行為の意味だそうですから、パウロが言うbe baptized into Christ Jesusとは、私たちがキリスト・イエスにどっぷりと浸されるということになります。そしてパウロは、それはまた私たちがイエスの中で死ぬことだと言うのです。

 「キリストと一緒に死ぬ」とは、十字架上のイエスと単に時間を超越して同時に死ぬというだけでなく、空間も超越して完全に一体となって死ぬということのようです。

 これは、ものすごく大きな恵みです。イエス・キリストを信じたクリスチャンに永遠の命が約束されているのは、既にキリストと一緒に一度死んでいるから、もう二度と死ぬことはないということになるのであろうかと、思い巡らしは、さらに続きます。

 また考察が進んだら書くことにしたく思います。

コメント

_ 赤間関龍之介 ― 2010年06月24日 20時28分

来月、嫁さんと一緒にイタリアに行ってきます。

たくさんの教会や美術館を廻ることになりますがどこに行ってもイエス・キリストに因んだ絵画や像を観ることになりそうです。

やはりヨーロッパではキリスト教が人々の生活に切っては切れないものになっているのだと再確認しそうです!

_ S.KOJIMA ― 2010年06月24日 21時50分

赤間関龍之介さま
 うらやましいです。楽しんで来てください。旅路の安全と旅行中の健康をお祈りしています。
 エルサレムから始まったキリスト教はローマ帝国支配により地中海沿岸地方全体が平和に保たれていたために1世紀の中頃にはローマにまで伝わり、さらに4世紀頃のゲルマン民族大移動によってヨーロッパ全域に広がっていき、今は世界中に広まっています。
 キリスト教を世界の宗教という観点から見ると、より一層、イタリアでの教会や美術館巡りが楽しめるのではないかなあ、と思います ^^

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