立場が違うと…2010年06月17日 22時45分

 同じキリスト教でも信仰的な立場が違うと、神様の恵みに対する考え方も随分と違うということを神学校に入ってから知り、驚きました。とても同じキリスト教とは思えないほどです。でも、学びが足りない間はただ驚くだけで、その違いを自分なりにイメージして自分の言葉で表現することはできませんでした。

 近頃、だいぶ理解が進んだので、こんな感じかなとイメージできるようになりました。それで、そのイメージを私なりの言葉で以下に書いてみようと思います。

 まず、我々の信仰(ウェスレアン・アルミニアン)では、神様の恵みは全ての地域に土砂降りの雨のように降り注いでいます。そして、人はその土砂降りの雨の中でレインコートを着て生活しています。神を信じるとは、そのレインコートを脱いで土砂降りの雨の中に全身をさらすことです。この場合、ただレインコートを脱げば良いのですから、脱ぐ行為の功績はゼロです。神を信じることは少しも偉いことではなく、ただ神の恵みにのみよるのです。

 違う信仰の場合、神様の恵みの雨は降っている地域と降っていない地域があるとイメージすれば良いと思います。その場合、人は神様の恵みをいただくために雨が降っている地域まで移動しなければなりません。この立場ですと、神を信じた人は偉い人だという考え方もできます。また、立場によっては、雨の地域の近くまで行っても、人によって雨の地域への立ち入りが許可されないこともあります。

 私の立場はもちろん最初に書いた、レインコートを脱ぎさえすれば何時でも土砂降りの雨のように圧倒的な神の恵みを受けられるというものです。私の使命はこの信仰を宣べ伝えていくことです。