Death in Life ― 2009年11月14日 15時03分
昨日、久しぶりで映画『夕凪の街 桜の国』をDVDで観ました。
それで、今日はヒロシマのことについて、ここに何か書き残さなくてはと、朝からずっと考えています。しかし、なかなか書けないでいます。
ヒロシマのことについて、以前のように、思いついたことをすぐに書く、という感じでは自分がなくなってきているようです。そんなことを言っていると、ますます書けなくなってしまいますが・・・
上の写真は、3週間ほど前にたまたま本屋で見つけて買った、ロバート・リフトン著『ヒロシマを生き抜く』(岩波現代文庫)という本です。原題は『Death in Life -Survivors of Hiroshima』です。忙しくて、まだ全体の1/4ほどしか読んでいません。これまで読んだ中で、一番心に残っている箇所は、永井隆博士について書かれたところ(p.82-83)です。下に引用します。
「…このような事情のもとで、被爆者は自分の生を罪と結びつけることになったのである。長崎で有名となったカトリック信者で、医学者の永井隆博士は、次のように説明している。
『それゆえ、原子爆弾の下では、死の手に捕らえられて、救いを叫ぶ友を見捨て、すがりつく隣人の手を振り離して逃げた者しか、生き残らなかったのです。責任をもって持ち出さねばならない重要書類や、品物を放り出して、身軽に走り逃げなければ、生きのびられませんでした。言いかえると、原子爆弾の下で生き残った者は、利己主義者だけであります。―この事実を、私たち生き残った者は、自分で知っています。そして、つねに自分で苦しんでいます。』」(引用終わり)
また、栗林輝夫著『原子爆弾とキリスト教』(日本キリスト教団出版局)という本には、永井隆氏に関して次のような記述があります。
「長崎で被爆したカトリック医師、永井隆は白血病に苦しみながら他界するまで、原爆投下の意味を信仰的に問い続けた。そして『人類の罪悪の償いとして」、浦上の地が「犠牲の祭壇に屠られ燃やされるべき、きよき子羊として選ばれたのではないか』との結論を得た。イエス・キリストが全人類の罪を贖うために十字架上で死なねばならなかったのと同じく、長崎市民の命は人類に平和をもたらすための犠牲だった。だからこそ再び地上に原爆で死ぬ者があってはならない。永井は長崎が人類最後の被爆地であるように、そうした尊い犠牲の上に世界の平和が築かれるようにと祈った。」(引用終わり)
永井隆氏の著作をまとめて読んでみたくなり、先ほどamazonで4冊注文してしまいました。
私の神学院の卒業はまだ2年以上先ですが、卒業論文のテーマは「原爆と信仰」についてにしようと今、強く思っています。
『夕凪の街 桜の国』の皆実もフジミも京花も、『Death in Life』の人生だったのだということを思わされています。
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