今日のコンサートでのメッセージ2009年10月25日 23時27分

 深川教会での今日の午後のコンサートでのメッセージ「神と人とのハーモニー」を載せます。私としては、かなりのエネルギーを注ぎ込んで作った原稿です。
 教会員のクリスチャンには何人もの方々から「良いメッセージだった」と言っていただけ、素直にうれしかったですが、肝心のターゲットのクリスチャンでない方々にどうであったかは???です・・・

「神と人とのハーモニー」

 音楽って本当に素晴らしいですね。
 私は今、神学校の2年生ですが、1年生の時、須郷先生と一緒に寮生活をするという素晴らしい恵みを神様からいただきました。
 須郷先生は元劇団四季のミュージカル俳優で、劇団四季を退団して神学校に入り、今年の春に卒業しました。 
 ですからわずかの間でしたが、私は須郷先生と神学校で共に過ごすことができ、先生の素晴らしい賛美の歌声を寮の集会の時に、すぐ間近で何度も聞くことができました。
 先週、JRの新大久保駅と大久保駅の間にある淀橋教会で聖化大会という大きな集会がありましたが、そこで須郷先生の歌声を聞くことができ、ああ、やっぱり素晴らしいなと感銘を受けました。
 この聖化大会では、もう一組、元劇団四季のご夫妻による賛美がありました。
 佐渡姉と下(ビョン)兄のご夫妻でしたが、このお二人の賛美も本当に素晴らしかったです。
 特に私の印象に残ったのは、大きな声の時だけでなく、小さくささやくように歌う時の声にも、何とも言えない深みがある、ということでした。
小さな声なのに教会の会堂全体に響いていました。
 この深~い響きは一体何だろうか。
 私は考え、そしてこう思いました。神と歌い手とが調和した時に、深い響きが生まれるのではないか。
 これは、神と人との調和によるハーモニーなのではないか。
佐渡姉も下(ビョン)兄も、劇団四季を退団して、これからは歌を通じて神様のための奉仕をすることを願っていらっしゃる、そのような良き信仰の持ち主と聞いています。
 この深い信仰が神様と調和して深い響きを生み出しているのではないか、そのように思いました。
 きょうは、そのような神様と人との関係についてお話ししたく思い、聖書箇所はコリント人への手紙第二の5章20節としました。

「私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」

 「神の和解を受け入れなさい」とは、「神との関係を回復して調和しなさい」とも言えると思います。
 では、どのようにしたら、神様との関係を回復することができるのでしょうか。
 それを考える材料として、きょうはベートーヴェンの交響曲第九番の合唱の歌詞を、ご一緒に見てみたく思います。
 この、日本人が大好きなベートーヴェンの第九の第四楽章の合唱はドイツの詩人シラーの「歓喜に寄せて」という詩にベートーヴェンが曲を付けたものですが、一部、ベートーヴェンが独自に付け加えた詞があります。
 出だしの部分がそうです。

 オー、フロインデ、ニヒト、ディーゼ テーネ!
 (O Freunde, nicht diese To..ne !)
 おお友よ、このような音ではない!
 もっと心地よい、喜びに満ちあふれた歌を歌おう!

 ベートーヴェンは、このような歌詞を付け加え、シラーの詩へとつなげていきます。
 シラーの詩は万物を造った、創造主である神を高らかに歌います。

 兄弟よ!星空の上に愛する父なる神が住んでいるに違いない。
 何百万もの人々よ、あなたたちはひれ伏すか?世界よ、創造主を感じるか?

 そして、これが第九のフィナーレです。(スケッチブックをめくる)

 星空のかなたに創造主を求めよ!
 星々の上には創造主が必ず住んでいる。

 喜びに満ちあふれた歓喜の合唱が創造主である神を高らかに歌い上げて、第九は感動のうちに終わります。

 創造主である神は全てのものをお造りになりました。自然は何とうまく精巧にできているんだろう、と感心します。だから私たちは神をほめたたえます。
 そして神様は私たち人間も造ってくださいました。だから、私たちは音楽の中で神と調和して美しいハーモニーを響かせることができるのです。
 神と人とが調和していることは、神と人とで造られた音楽が長く生き残ることからも分かります。
 人が作った音楽は、短い間にすたれてしまいます。流行歌の命が短いということは、皆さん良くご存知だと思います。
 しかし、神と人間とにより作られた音楽は、200年前のベートーヴェンでも300年前のバッハでも脈々と生き続けています。
 そして、これからも生き続けるでしょう。
 神様は今もいらっしゃり、昔もいらっしゃり、そして未来にもいらっしゃる永遠なるお方だからです。
 私たちはその神によって造られた者です。
 だから、もし人が造り主である神から離れているのなら、神との関係を回復しなければなりません。

 神様はいつでも、私たちとの関係が回復することを願っておられます。
 神から離れた私たちを神様は愛をもって受け入れてくださいます。その神様の愛に応えればいいのです。
 しかし、天におられる父なる神様との関係を私たちはどうやって回復したらいいのでしょうか。
 実は、これは旧約聖書の時代のイスラエルの人々にとっても難しいことでした。そこで神様はイエス・キリストを私たちのために、この世に送ってくださいました。
 ベートーヴェンの第九の合唱の中でも、イエス・キリストのことが歌われている箇所があります。

 「自然は私達に、死の試練を受けた一人の友を与えた。」

 このような表現ですから、シラーが書いたのはイエス・キリストではないと考える人たちも当然います。
 しかし、日々聖書に親しんでいる私たちから見ると、これは明らかにイエス・キリストのことです。
 自然を造った創造主は、友なるイエスを私たちに与えてくださり、そしてイエスは十字架上での死、という試練の中を通りました。
 神様はイエスを十字架に付けることで、神様から離れていた私たちの罪を責めることなく、赦してくださいました。
 私たちの罪を背負ってイエス・キリストは十字架上で死にました。
 しかし、何と、神様はそのイエス・キリストを三日後に復活させて生き返らせてくださいました!
 私たちは、そのような神をほめたたえているのです。だから、喜びに満ちあふれて賛美しなければなりません。

 O Freunde, nicht diese To..ne !
 おお友よ、このような音ではない!
 もっと心地よい、喜びに満ちあふれた歌を歌おう!

 私たちは、復活したイエス・キリストを信じることで、神様との関係を回復することができます。
 イエス・キリストを信じること、それが「神の和解を受け入れる」、ということです。
 このイエス・キリストのことを、もっともっと知るために、どうかまた教会にいらしてください。
 そして、神様との関係を回復し、音楽と言わず、生活のあらゆる場面で神様との美しいハーモニーを響かせてください。
 最後にもう一度、きょうの聖書の言葉をお読みします。

「私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」
(コリント人への手紙・第二5章20節)