犬たちともお別れ2011年03月28日 11時31分


 地震の影響で、すぐに移動できなくなった先生が着任するまでの間の約1~2ヶ月、京都の教会で礼拝・祈祷会などの御用を務めることになりました。
 そのため、通常は4月の後半からであるインターン実習が早まりました。先ほど、引越し荷物を搬出しました。今夜は静岡に一泊し、明日の朝、京都に移動します。京都に行くように言われてからバタバタと過ごしたため、関東の皆さんにはきちんとした挨拶をせずに旅立ってしまいます。申し訳ありません。時期は未定ですが、5月の後半ぐらいからは姫路に行き、今年度いっぱいそこで過ごします。関西を通るとき、もしお時間があったら、声を掛けてください。
 きょうの午後、静岡に向かいます。神学院にいる3頭の犬たちともお別れです。

 昨日の高津教会での礼拝で、インターンシップ出発前のお証しをしたので、原稿を掲載します。

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 おはようございます。28日に神学院で荷物を搬出してから静岡に一泊し、いよいよ29日に最初のインターン実習の地である京都に向うことになりました。
最初にみことばをお読みします。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16:24、マルコ8:34)

 神学院での三年間、自分は果たして迫害に遭っても宣教を続けることができるだろうかと、よく考えました。殉教を厭わない覚悟はあるだろうかと自問自答しました。最初の頃は、このことを考えるだけで恐ろしくなりましたが、イエス・キリストとの関係が深まるにつれ、十字架を負う覚悟が次第に固まっていきました。とは言え、いざとなったらペテロのように逃げ出すかもしれないという思いはいつも頭の片隅にあり、ずる賢く逃げ道を用意していました。平和な日本にいると、自分の命を懸けて何かを行う覚悟を持つのは難しいのだと自分に言い訳をしていました。
 しかし、3月11日の大震災で状況は一変しました。数万人の死者・行方不明者があり、何十万人もの人々が苦しみと悲しみと不安の中に今なお置かれています。イエス・キリストはおっしゃいました。

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから」(マタイ5:4)。

 主イエスは慰め主です。主イエスはご自身が十字架で

「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)

と叫ぶほどの苦しみと悲しみの中を通った方です。だからこそ人々を慰めることができます。しかしこのことを、十字架を負う覚悟ができていない者がいくら説いても、人々には届かないでしょう。人々にイエス・キリストの福音を宣べ伝えるために私は逃げ道への退路を完全に絶つ覚悟を持ってインターンシップの地に向かいます。

 私がこのような覚悟を決めたのは、3年前の出来事が、まさに3年後の今日のためだったのだと、強烈に感じているからです。3年前、傲慢の塊(かたまり)になっていた私はイエス・キリストによって粉々に粉砕され、大学で働き続ける道を閉ざされました。そうして粉々に粉砕された時、私の心の中にイエス・キリストのしもべとして働きたいという思いが芽生え始め、急速に大きくなっていきました。
 インターンシップを前にしたこの1週間、私は引越しのための荷造りをしていましたが、そうすると、3年前のことを思い出させるものが、いろいろと出てくるんですね。それらを見ているうちに、ついつい、恐いもの見たさで、3年前の今頃に私が職場の人たちに出した謝罪のメールを3年ぶりで開いて見てしまいました。そうしたら、本当に私はボロボロの状態で、自分のことながら、可哀想で胸が痛みました(笑)
 しかし、そうした中でイエス・キリストは私に牧師になる道を示してくださり、導いてくださいました。3年前の手帳によると、私は2008年の3月30日、教団の年会の最終日に青山学院で藤本先生に相談したいことがあると話し、翌日の3月31日の夜6:30に、そこの後ろの応接室で献身をしたいという話をしました。以来3年間、神様は私を聖宣神学院で育ててくれたわけですが、この3年間の歩みが、また大変に不思議です。私は2年生の後半からヨハネの福音書を個人的に学ぶよう導かれ、この書に魅了されてきました。そして、この学びの成果をまとめたレポートを今年の2月14日にメールで藤本先生に送りました。そのレポートのタイトルは、
 「黙示録の続編としてのヨハネ福音書の入れ子式シェルター」
です。このレポートの中で私は、ヨハネの福音書は「シェルター構造」をしていることを指摘しました。終末の主の再臨に備えてこの霊的なシェルターの中にとどまるなら、聖霊に満たされ続けることができますから、この中にいる人は滅ぼされることはありません。その霊的なシェルターがどこかと言うと、ヨハネ7章37~39節です。今年の元旦礼拝の時、私はやはり、この高津教会でお証しをしましたが、その時、ヨハネ7章38節にとどまるなら、聖霊に満たされ続けることができると言いました。その前後の37節と39節を含んだ箇所がシェルターです。お読みします。

「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」(ヨハネ7:37~39)

 今回のような大災害があればクリスチャンでもノン・クリスチャンでも同じように災害に巻き込まれ、悪くすれば死にも至ります。しかし、ヨハネ7章37~39節の霊的なシェルターにとどまるなら、たとえ肉体は滅んだとしても、魂は救われます。
 3年前、私は霊的な大地震に遭い、粉々に粉砕され、伝道者になるよう召されました。それはまさに3年後の今日(こんにち)、大災害に遭った日本の人々に向って、霊的なシェルターに避難することを勧めるためであったのだと、いま私は感じています。
 人々に霊的なシェルターへの避難を呼び掛けること、このこともまた、私が十字架を負う覚悟を持っていなければ、伝わらないでしょう。逃げ道への退路を完全に絶つ覚悟を持って、これから私はインターンシップの地に向かいます。
 高津教会の皆様方には、この3年間、お祈りとサポートを本当にどうもありがとうございました。これからも、お祈りをもって私を支えてくださいますよう、どうかよろしくお願いいたします。

コメント

_ イルカのおかげ ― 2011年03月28日 13時44分

とうとう旅立ちですね。おめでとうございます。
日本中が試練の時ですがS.KOJIMAさんの進む道が希望に満ちた道であることを祈ります。

今年も何回か西へ向かうでしょう。そのときは連絡を入れますね。

_ TUMO ― 2011年03月28日 20時39分

神学院を卒業されたのですね。
この時間は、静岡でゆっくりされておられるのでしょうか。
三年間、お疲れさまでした。
そして、明日から、また新たな旅立ちとの事。
これからも、色々なことに突き当たるでしょうが、乗りこえてください。
近くを通りかかる時は、連絡を入れてみますね。
では、何時の日か、再会を楽しみにしております。

_ S.KOJIMA ― 2011年03月30日 06時19分

イルカのおかげさん、TUMOさん
 コメントありがとうございました。
 昨日の29日に京都入りしました。
 これから約1ヶ月、礼拝人数20名ほどの小さな教会ですが、東北から異動予定の牧師先生が引越して来ることができるようになるまでの間、礼拝や祈祷会などのすべての集会の御用や会計などを任されます。一年後に牧師としての働きをスタートする前に良い学びができると思っています。
 この一年はインターンシップ実習という位置づけで、卒業は一年後です。
 卒業式は2012年3月9日(金)の午後に神学院教会のウェスレーチャペルで行われると思います。卒業生の家族だけでなく知人も出席大歓迎ですので、もし良かったら来てください。ちなみに今年の卒業式は3月11日(金)の午後にありました。卒業式の真っ最中に大地震があったので、式を中断して避難しました。

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