「三日間の奇蹟」の「審理」2009年03月28日 11時47分

 今週は月曜から木曜まで神学院を会場にして教団の年会があり、その裏方の奉仕で忙しかったため、ブログ更新がすっかり滞ってしまいました。
 イエス・キリストの復活を祝う復活祭(イースター)は今年は4月12日(日)にあります。イースターを前にして佐々部監督が映画化した小説『四日間の奇蹟』について少し思いを巡らしています。
 いま、本が手元にありませんので記憶が曖昧な点もありますが、「キリエ・エレイソン」(主よ、あわれみたまえ)というギリシャ語で始まる『四日間の奇蹟』には三人の主人公の如月、真理子、千織の犠牲的な愛が綴られており、それはまさに十字架上で犠牲的な死を遂げたイエス・キリストの愛そのものであると思っているところです。きっと作者は十字架で死んで三日目に復活したイエス・キリストの「三日間の奇蹟」を十二分に意識していたはずであろうと思います。「三日間」を「四日間」にしたのは、同じにしたのでは余りに畏れ多いからであろうと勝手に想像を膨らませています ^^
 さて、いま私の手元にはリー・ストロベル著『The Case for Christ(キリストの審理)』という本の邦訳『ナザレのイエスは神の子か?』(峯岸麻子訳)という本があります。もう何度も読み返したこの本は、聖書に書かれているイエス・キリストに関する記述がどれだけ信頼できるかについて、事件記者の著者が刑事裁判に例えながら、著名な聖書学者に証人尋問する形式で書き進められています。
 この三部構成の「審理」の圧巻は第三部「イエスの復活を調べる」であり、
  第11章 医学的証拠
  第12章 消えた遺体
  第13章 イエス、再び現る
  第14章 状況証拠
という章立てになっています。第11章にはイエスが仮死状態から蘇生したのではなく、いったん確実に死亡したのだという医学的証拠が述べられています。第12章は埋葬したはずのイエスの遺体が墓から消えたことが事実かについての論証、そして第13章は復活したイエスに出会った人々の目撃証言の真偽について詳細に述べられています。これらはいずれも聖書の記述が正しいことを示していますが、慎重な著者はさらに第14章の状況証拠についての証言も求め、最終的に、イエスが十字架上で確実に死亡した後、墓に埋葬され、その遺体が消えた後に人々の前にイエスが再び現れたことは事実であると結論しています。
 つまり、イエス・キリストが復活したのは歴史的な事実なのです。ということは、イエス・キリストが弟子たちや多くの人々に語った言葉も本当のことだということです。イエス・キリストが何を語ったのかということについて、日本人はあまりに知らな過ぎます。少し大きめの書店の宗教書コーナーに行けば、聖書は必ず置いてあり、簡単に買い求めることができますから、ぜひ聖書に何が書いてあるか、読んでいただきたく思います。そして、聖書についての話を聞きに、ぜひ教会を訪れていただきたく思います。
 今年の正月、私は修行中のため新年会に行きたくても行けない我が身の心情をパウロの言葉で表しました。花見シーズンを迎え、「桜の国」で花見をするというチル友さんたちをうらやましく思いながら、再びパウロの言葉を引用します。

「キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。(中略)
 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」
(新約聖書・コリント人への手紙第一 15章14,15,19節)

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