スクーターと言えば・・・2009年04月02日 11時37分

 きょうの午後から明日、明後日と神学院の食堂とチャペルのワックス掛けをします。ゴム長があったほうが良いと言われ、さきほど神学院のスクーターを借りて藤が丘駅近くのビバ・ホームに行ってきました。
 原付に乗ったのは学生の時以来、30年近く振りではないかと思います ^^;
 スクーターを走らせている時、気分は『八月のクリスマス』のハン・ソッキュでした。シム・ウナを後ろに乗せてソウル近郊の街中を二人乗りで走るシーンなど思い浮かべながら走りました・・・
 ひさびさで『八月のクリスマス』を見て見ようかな ^^

十字架刑2009年04月04日 05時54分

 4月12日(日)のイースター(復活祭)を前にして、今は教団の年会も終わり、ワックス掛け等の作業はあるものの、新年度の授業開始まではまだ少し日があって、ゆっくりと本を読んだり思い巡らしをしたりする時間があるので、私はここで今一度、イエス様が復活したことが歴史的な事実であることを再確認する、ということをしてみたく思っています。
 そのことにとても役に立つ本が、前にも話したことがあるリー・ストロベル著『ナザレのイエスは神の子か?』(いのちのことば社、2004)です。この本に書いてあることを、自分が納得できる形で整理してみたく思っています。
 きょうはまず復活の前提となる、

1) イエスが十字架上で確実に死亡したこと

について確認したく思います。このことについて、著者は医学と工学の両方で博士号を持つアレクサンダー・メテレル博士にインタビューをしています。我々は十字架刑と言うと、手と足を釘付けにするという残酷さはあるものの、それだけで人間を死に至らしめることが可能なのか?という疑問を持ちます。著者も博士にそのことについて質問しています。
 この疑問に対して博士は、十字架刑の死因は窒息死で、イエスが死亡したことは間違いないと断言しています。
 以下に私なりに理解したことを列挙します。

・息を吐く時、上半身の筋肉は弛緩し、伸びて少し長くなる。
・従って、両足が釘で固定されている場合、息を吐く時には体が上に伸び上がる形になる(両足を交差させてまとめて釘付けにしてあるので、上半身の伸び分を下半身で吸収することはできない)。
・体を上に伸ばすためには釘付けにされた足を踏ん張らなければならないので、釘付けにされた足の部分に激痛が走る。
・また、体を伸ばす際には背中が十字架の縦木にこすられる。
・背中は十字架刑に先立つ鞭打ちの刑によりボロボロになっているので、呼吸をすることは背中にも激しい痛みを伴う。
・鞭打ちの刑により、十字架に付けられる前から瀕死の状態にあるため、足の踏ん張りと伸び上がりが必要でしかも激痛が伴う呼吸の動作を行うことは次第に困難になる。
・呼吸が困難になると血液中の二酸化炭素の濃度が増加し、血中の酸性度が増して呼吸性アシドーシスの症状が起き、これが重症になって死亡する。

 以上、呼吸による体の動きと十字架との関係が少し分かりづらいのですが、十字架が無くて単に手を縛られて宙吊りにされた場合は呼吸の際に上半身の筋肉を自由に動かすことができるのに対して、十字架に足と手を釘付けされて背中に縦木がある場合は、この縦木が筋肉と体の上下運動を制限して、呼吸が難しくなるというように理解する必要があるのではないかと思います。

 このように十字架に釘付けにされると呼吸が困難になるということについては、クリスチャンにさえも、ほとんど知られていないと思います。それゆえ、イエス・キリストは十字架上では実際は死なず、墓の中で体力を回復して出てきたのだという憶測や俗説がしばしば語られます。
 イエス様の復活を思うとき、イエス様がこのように残忍な方法で確実に死亡したのだということを、まずはしっかりと理解しておく必要があると思います。
 イエス様はこれらのことを全て知った上で十字架に掛かってくださったのだということを、心にとどめてイースターへと向かいたく思います。

 次回はイエス様が埋葬された墓から消えたことについて考えたく思います。

「そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。」
(マタイの福音書・27章26節)

消えた遺体2009年04月05日 00時22分

 12日のイースター(復活祭)を前にして、前回は

(1) イエスが十字架上で確実に死亡したこと

について考え、イエスの死因は窒息死であると書きました。
 今日はその続きで、

(2) 埋葬されたイエスの遺体が墓から消えたこと

について考えます。
 このことについて『ナザレのイエスは神の子か?』(いのちのことば社 2004)では著者は神学博士のウイリアム・クレイグ氏にインタビューしています。クレイグ博士はいくつかの理由を挙げてイエスの遺体が消えたことは間違いないとしています。複数の理由の中で最も私の目を引いたのは、イエスの遺体が消えたことは4つの福音書の全てに記されており、しかも第一発見者が女性であったことも四福音書の全てに共通しているということです。当時、女性の社会的地位は非常に低く、もしイエスの遺体が消えたことが作り話であるなら、第一発見者は信憑性を高めるために男性にしたに違いないと博士は述べています。ナルホドです。
 私はイエスの遺体が消えたことが4つの福音書全てに書いてあるということだけで、このことは信頼するに値すると考えますが、以下に私独自の考察も記してみます(同じことを考えている人も多いことでしょう)。
 マタイの福音書28章の11-15節に興味深い記事があります。イエスの墓の番兵たちが眠っている間にイエスの弟子たちが遺体を盗んで行ったという話を、イエスを十字架に付けた祭司長たちが捏造してユダヤ人の間に広めさせたというのです。私はこの記事が、イエスの墓が空になったことの決定的な証拠になると思います。イエスの遺体が墓にあるのなら、祭司長たちは少しも困ることはなかったのですから、祭司長たちが困った挙句に弟子たちが遺体を盗んだことにするという苦肉の策を編み出したことなどマタイが書くはずがありません。まして、この記事は弟子たちが本当にイエスの遺体を盗んだのではないかという疑惑を招きかねない記事です。それでもマタイが敢えて書いたということは、イエスの墓は本当に空になったのです。
 では、弟子たちは本当にイエスの遺体を盗んだのでしょうか。それは、絶対にあり得ません。遺体を盗んだとしたら、イエスが復活しなかったことを弟子たち自らが知っていることになります。イエスが死んでいるのに、イエスはよみがえったという嘘の福音を宣べ伝えることができるでしょうか。弟子たちは迫害にあっても宣教を続けました。イエスが死んでよみがえらなかったことを知っていたら、迫害に屈せずに頑張ることなどできるはずがありません。
 では、弟子たち以外の何者かが遺体を盗んだのでしょうか。盗んだとしたら安息日に盗んだことになります。安息日の律法を犯し、しかも番兵がいるのに危険を冒してわざわざイエスの遺体を盗む者などいるでしょうか。イエスの遺体が財宝で装飾されていたのなら、その可能性もありますが、イエスの遺体と墓に財宝などありそうもないことは誰でも知っていることです。また、イエスを憎んでいた者もイエスの遺体が無いのは不都合ですから、盗みはずがありません。

 結局、結論としては、イエスの遺体は誰に盗まれたわけでもなく、忽然と消えたことになります。

「すると、御使いは女たちに言った。『恐れてはいけません。あなたがたが、十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。』」
(マタイの福音書28章5,6節)

復活の証拠2009年04月06日 12時11分

 イエスが十字架上で確実に死亡し(前々回の日記)、そのイエスの遺体が埋葬した墓から誰に盗まれたわけでもなく忽然と消えた(前回の日記)後、どうなったのでしょうか。もし、イエスが消えたままであったのなら、世界の歴史はそこから大きく動くことはなく、2000年後の今の地球がどのようになっているのかは全く想像もつきません。少なくとも今の姿とは全く異なっているということだけは断言できます。
 イエスの遺体が消えた後に何が起きたかは、新約聖書のいろいろな書に記されています。新約聖書(書店で簡単に手に入ります)は4つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)、使徒の働き、13のパウロ書簡(ローマ人への手紙、コリント人への手紙等)、ヘブル人への手紙、7つの公同書簡(ペテロの手紙、ヨハネの手紙等)とヨハネの黙示録の計27書からなります。書かれた年代は紀元50年~90年ごろで、ほとんどは紀元50年~60年ごろの10年間に書かれています。
 イエス・キリストが十字架上で死んだのが紀元30年とされていますから、新約聖書の書の多くはイエスの死後20~30年に書かれたことになります。私事で言えば30年前の4月は私が大学2年生になった時、20年前は私がアメリカに留学していた時ですから、その頃のことはハッキリと覚えていますし、当時の私の仲間のほぼ全員が今も生きています。『ナザレのイエスは神の子か?』(いのちのことば社 2004)によれば、関係者が全て死亡した100年後以降に書かれた書物は伝説化した作り話が書かれている可能性があるが、数十年後というのは、伝説化するには短すぎる。そこが新約聖書と他の主要な宗教の聖典との最も大きな違いであるということです。
 さて、紀元55年前後に書かれたパウロ書簡の「コリント人への手紙第一」の15章に、パウロがコリント人に教えたこととして、次のような記述があります。
「キリストは、聖書(旧約)の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書(旧約)の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパ(ペテロ)に現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。」
 パウロはかつてキリスト教徒を迫害していた人物ですが、復活したイエスがパウロに現れてイエスの教えを伝道する者に変えられました。180度の転回です。その時の様子が「使徒の働き」の9章に詳しく書かれています。それによれば、このパウロの回心はパウロ一人の思い込みによるものではなく、ダマスコに住んでいたキリスト教徒のアナニヤという人物がまた重要な役割を果たしています。アナニヤは迫害者パウロを恐れていましたが、アナニヤにもイエスが現れ、パウロのところに行くように命じます。アナニヤが訪れたことによってパウロは自分の身に起きたことを理解し、変えられました。アナニヤにこのような役割が与えられるとは、アナニヤ自身も全く思っていなかったことでしょう。
 私は静岡の出身で、静岡と東京とは180kmぐらい離れています。キリスト時代のパレスチナの地図を見ると、アナニヤがいたダマスコとエルサレムとの距離は、ちょうど静岡と東京ぐらいの距離です。パウロは静岡のクリスチャンを縛り上げて東京に引いて行き、牢獄につなぐために東京から静岡に行ったのです。そのことを知っていた静岡のアナニヤが、どうしてパウロに会うことができるでしょうか。静岡の田舎の人から見ると、東京の人はただでさえ恐ろしい感じがします。まして、自分たちを迫害する目的で東京から来た人など、恐ろしくて会えるはずがありません。しかし、イエス・キリストが与えた力により、静岡のアナニヤはその役割を立派に果たしたのです。
 このパウロの回心に大きな役割を果たしたアナニヤの話は、「使徒の働き」の記者ルカによる作り話でしょうか。キリスト教をユダヤの外の地の果てにまで広めたパウロの回心にエルサレムから遠く離れたダマスコの田舎者が絡んでいたことなど、医者であり歴史家であるルカが作為的に話を捏造するわけがありません。パウロとアナニヤに本当にイエスが現れたのだと素直に解釈するのが適当でしょう。

 さて、今日アナニヤの話を書くことになろうとは、私が上で「180度の転回です」と書くまでは全く考えていませんでした。パウロが180度転回した後、文章をどう続けようか、選択肢がいろいろあったのであれこれ考えていたところ、ふとアナニヤのことが頭に浮かんだのです。そしてダマスコとエルサレムの距離がちょうど静岡と東京ぐらいの距離だということも、この後で知りました。
 この種の経験は誰にでもあることと思いますが、これこそが神のささやきなのです。神様は誰に対してでも、いつもささやき続けてくださっています ^^

母マリヤの証言2009年04月07日 22時34分

 聖書にはイエスの復活に関する母マリヤの証言は書かれていません。
 しかし、ルカの福音書には親でしか知りえない、懐妊時のこと、イエスの誕生時のこと、イエスが12歳の頃のことが記されています。
 ヨハネの福音書19章25,26節には十字架のそばに母マリヤがいて、十字架上のイエスが母に話しかける場面があります。母マリヤは我が子が十字架上で苦しみながら死んでいく様子をすぐ近くから見ていたのです。母マリヤの嘆き悲しみはどれほどのものであったでしょうか。そんなマリヤが、呪われた罪人として死んだイエスの幼少時について、自らすすんで話したりするでしょうか。復活という大きな出来事があったからこそ、後にルカが取材にマリヤのもとを訪れ、証しされたことだと思います。
 イエスが復活したことを知っても母マリヤの苦悩は続いたに違いありません。

「しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。」(ルカ2:50)
「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。『気が狂ったのだ』と言う人たちがいたからである。」(マルコ3:21)

 このようにイエスに対して無理解であったことに、「どうして息子のことを分かってあげることができなかったのか」とマリヤは自分を責めたことでしょう。イエス誕生時に羊飼いたちが祝福する中、

「しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」(ルカ2:19)

と記されている若い母マリヤの姿はまた、この日のことを思い起こす年老いた母マリヤの姿でもあったのだろうと、私は思います。

どうして私をお見捨てに…2009年04月10日 05時22分

 イースターを目前にした今日、金曜日はイエス・キリストが十字架に付けられた日です。

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」

 イエス・キリストは十字架上でこのような絶望的な叫び声をあげ、しばらく後に息を引き取ったとマタイ27章とマルコ15章に記されています。神を疑い非難するような不信仰な言葉を神の子であるはずのイエス・キリストがなぜ言ったのでしょうか?この問題については様々な人が様々な解釈をしています。
 私は次のように考えます。
 人間の罪を赦すための身代わりとなって死ぬ、その目的のためには罪なきイエス・キリストも最後の最後で罪人になる必要があった。そのために神を疑うという不信仰の罪をイエス・キリストは犯したのだ、と。
 そしてイエス様は3日後に復活しました。イエス様はかつて言いました。「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」(ヨハネ6:37)。ひとたび神を信ずる者とされたからには、苦しみの中で神を疑うような不信仰の罪を犯してしまったとしても、神はその者を決して見捨てることはない、とイエス様はご自身の身をもって示してくださったのではないでしょうか。
 では、どのような者が神に本当に見捨てられるのでしょうか?それは、神を神とも思わず、神にへりくだることを知らず、人間の都合の良いように神を解釈し、好き勝手な人生を歩む者です。このような者が「聖霊をけがす者」であり、永遠の罪に定められます。私たちはマルコの福音書に記されている、イエス・キリストの次の御言葉を重く受けとめなければなりません。

「人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
(マルコの福音書3章28,29節)

風船カズラ2009年04月11日 14時56分

 昨年、佐々部監督の映画『結婚しようよ』の封切時にハートの種をもらいました。でも、昨年の今頃は前職の退職やマンションの売却・退去で種まきどころではありませんでした。
 今年、神学院の園芸スペースをいただいて、先週タネをまきました。早く芽が出ないかな、と毎日タネをまいた場所をアナの開くほど、のぞき込んでいます ^^
 きょう、双葉を発見したので、ヤッタ!と思い、ネットで風船カズラの写真を探して比べてみたところ、全然違いました… 雑草の双葉でした ^^;
 風船カズラの種皮は固いので、発芽までだいぶ日数が掛かるようです。気長に待つことにします。
 間違いなく風船カズラだ!という双葉が開いたら、写真を撮ってアップします ^^
 どうか芽が出ますように・・・

コゲラ2009年04月15日 16時21分



 神学院には、いろいろな野鳥が来ます(また改めて書きます)が、特筆すべきはコゲラです。寮やチャペルの窓ガラスに留まろうとしては滑り落ちるという無駄な努力を繰り返しています ^^; 朝早くから寝室の窓でこれをやるので、うるさいです。小さいキツツキでかわいいので、けっこう好きでしたが、ここへ来てからはあんまり好きじゃなくなりました ^^;
 でも、コゲラをこんなに近くから、しかも正面から見られる機会なんて、なかなかないと思いますから、うるさいけど、ちょっとうれしいです ^^

和洋混生のタンポポたち2009年04月18日 14時13分



 花びらの下部の外見から判断する限りにおいて、神学院のタンポポは和洋混生のようです。(外見からだけでは判断できない場合もあるそうですが。)

 上の写真の右側(手前)が在来種(下の写真)、



左側(奥側)が外来種(下の写真)です。



 在来種のタンポポを見たのは、随分と久しぶりのような気がします。
 さすが、今でも寮での朝と晩の祈祷会は和室で正座して行う伝統を守る、聖宣神学院のタンポポたちです ^^

真の強さとは2009年04月19日 09時06分

 先週から始まった新学期の授業の中の一つの「キリスト論」(河村先生)で、『アダム 神の愛する子』(ヘンリ・ナウエン著)と『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』の2冊を読んで考えたことをレポートにまとめる課題が出たので、この2冊を早速、一気に読みました。河村先生からは2冊について別々にレポートするのではなく、「2冊両方を合わせて考えたこと」を書くこと、という指示が特別に出されていたので、どういうことだろうと思いながら、最初に『アダム』を読みました。それで、ナルホドと納得して『マザー・テレサ』へと読み進むことができ、大変に恵まれました。
 実は『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』は既に持っていて、以前に読んだことがありました。その時は、「良いことがたくさん書いてあるなあ」という漠然とした感想しか持ちませんでしたが、今回『アダム』を読んだ後は、ある問題意識を持って読むことができたため、全然違う読み方ができ、多くのことを教えられて感謝でした。
 『アダム 神の愛する子』はナウエンが1996年に急死する直前に書かれたもので、このような素晴らしい本をナウエンが良くぞ遺していってくれたものだと神を賛美します。
 アダム・アーネットは介護者がいなければ何一つ自分ではできない最重度の障害者です。しかし、全くの受身であるアダムに接した者の多くは彼によって癒されていきます。大学教授の職を辞して障害者施設に身を投じたナウエンもまたアダムによって、大学で身につけた余計なプライドなどを取り除かれていきます。ナウエンはそんなアダムに、十字架に付けられた弱いイエス・キリストの姿を見ます。「キリスト論」の課題で河村先生は「受肉、即ち、神が人となるとはどういうことかを意識しながら、この2冊を読むこと」と指示しました。神が人になるとき、罪に汚れていない純粋な人となるはずです。すると、純粋な人とは、このアダム・アーネットまたは、十字架上のイエス・キリストのように全く弱い者ではないのかという仮説が私の中に浮かび上がってきました。
 もし純粋な人間が全く弱い者であるとしたなら、人間が持っているように見える強さは、いったい何によってもたらされるのでしょうか。この答えが『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』の中に隠されているのではないかと思い、この本を読む時は、その答え探しをしながら読みました。すると、一見強そうに見える現代人の心が、実はもろくて壊れやすいものだということが段々と見えてきました。人を強そうに見せているものは、必要のないプライドであったり、おごり高ぶり、優越感、・・・、といったようなもので、実はこれらは非常にもろいものなのです。だから人は余計に必死になって、これらが壊れないように厚く塗り固めるという虚しい努力を続けるわけです。
 マザー・テレサはこのような努力は一切しませんでしたが、強い人でした。彼女はインドで最も貧しい人々を助け、最期を看取る奉仕をずっと続けてきました。この最も貧しい人々こそが人となったイエス・キリストです。聖書は次のようにイエス・キリストの言葉を記しています。

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイの福音書25章40節)

 つまり、マザー・テレサは、人であるイエス・キリストを助けることで神であるイエス・キリストから強さをいただいていたのだ、ということになります。こうして私はパウロの次のことばが、ようやく理解できるようになりました。

「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(中略)なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(コリント人への手紙第二12章9,10節)

 人が自分の力で強く見せようとする虚しい努力を放棄して初めて、神であるキリストの強さ、すなわち真の強さが人に現れるのだという構造が、いよいよはっきりと見えてきました。そのことを教えてくれた今回の2冊の本に感謝です。