卒業イベントで思ったこと2009年03月14日 23時07分

 3月13日に聖宣神学院の第57期生の卒業式が藤本満先生の司会のもとに行われました。この式において、私は東京フリーメソジスト桜ヶ丘教会の野田秀先生の祝辞が特に強く心に残りました。野田先生は「牧師はリーダーであると同時にしもべでもある」というお話をされました。リーダーとしもべの中間という中途半端なものではなく、両者なのだということを強調しておられました。リーダーであることを意識し過ぎるとしもべの謙虚さを忘れてしまうので非常に難しいことではあるが、とにかく両者を両立させる必要があるのだと。
 以下は私の解釈ですが、この2つを両立させることは聖霊の働きがあって初めて可能であろうと思いました。すると、リーダーが父的な働き、しもべが御子的な働きであるとするなら、父・御子・聖霊の三位一体の神の働きが牧師の仕事の中に見事に現れていることになります。
 以上のことを、私の最近の経験を通して牧師の仕事以外の営みにも広く適用してみたく思います。
 3月8日の聖日の午後、神学院教会で、卒業生の企画による伝道会「心の泉アワー」が開かれました。この伝道会で私は元劇団四季の須郷兄が『靴屋のマルチン』を脚色した劇に卒業生と共に出演しました。私は映画のエキストラで通行人役はたくさんしたことがありますが、セリフ付きの役は演じたことはありませんから、すべてを須郷兄と神様にゆだねて練習し、本番に臨みました。すると、伝道会が終わった後で、非常に多くの方が私を褒めてくださいました。これまで私は自分らしくありたいということを意識し過ぎるあまり、必要以上に自分のカラーを出そうとする傲慢なところがありました。その場合、褒めてくれる人もいることはいますが、そんなに多くの人が褒めてくれるわけではありません。それでも私は自分が自分らしくいられるなら、それで良いのだと思っていました。しかし、今回のことは大いに考えさせられました。つまり、すべてを神と他者にゆだねたほうが本来の自分らしさが出ているのではないだろうかと。そして、そのことに人は好感を持ち、共感してくれるのだと。逆に、自分らしさを出そうと意識しすぎると本来の自分らしさは失われてしまうようです。
 人の共感を得ることを、人の心を動かすことと言い換えるなら、それは即ちリーダー的な父の働きとも言えるのではないでしょうか。すべてを神と他者にゆだねることはしもべ的な御子の働き、そして、本来の自分らしさを出すことを聖霊の働きとすれば、ここにも父・御子・聖霊の三位一体の神の働きが現れていることになります。
 人は天から与えられた才能をしもべ的な謙虚さで磨いて用いるなら、そこに神の働きが現れて、自分が思っている以上に人々の心を動かすのだということを学んだ卒業イベントのひと時でした。

コメント

_ たなかやすこ ― 2009年03月17日 22時02分

KOJIMAさま

一度神学院の入学式に参列する機会がありましたが、その時も各教団の重鎮の先生方から素晴らしい薫陶を受けて感激致しました。
高津でも、3/15は名誉牧師先生の引退礼拝で、最後のすばらしい説教を聴く機会に恵まれ、感謝しております。

「牧師はリーダーであると同時にしもべでもある」
野田先生はとてもよいお言葉をくださいましたね。全くアーメンです。
牧師だけでなく、おおよそ人の上に立とうという人は、この覚悟があると無しでは結果が全く違ってくると思います。またクリスチャンも、このことを本当に理解しているならば、生きる姿勢が変わってくると思います。
このことは、最近の藤本満牧師の説教によると、神さまのお取り扱いを受けた人とそうでない人の、信仰の差に表れてくるのだろうと思います。

自分はどれだけ砕かれて、主のものになっているのだろうか?などと時々思いますが、自然に遜り自分は二の次で、他者を一番に心を遣えるようになるのだろうと思い、それは何と美しい感動を与える人間の生きる姿であろうかと、生涯かけて真剣に追い求める値打ちのあるものではないだろうかと思います。

誰でも、本当に説教が理解できた時、それは人の経験の中で、それまでの人をのあり方を根底から、しかし聖書的に変えられてしまうほどの、聖霊なる主のダイナミックな力の働きが見られると思います。
私たちには、いつも素直に心を開いて聴く姿勢が要求されているのかもしれません。
野田先生のお話から、自分の本当の姿を知らされ、また父、御子、聖霊、の三位一体が閃いたという、小島さんの聴く姿勢を頼もしく思い、神学院は人生の学びを深めてくれる所で、確かに聖霊が教え導かれている所だと思いました。

_ S.KOJIMA ― 2009年03月18日 17時33分

たなかさま
 いつも丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。また、高津教会HP掲示板へのコメントもありがとうございました。
 この3月の卒業イベントは私にとって本当に大きな出来事でした。
 神学院への入学は、今年の4月からという選択肢もありましたが、それだと須郷さんとは入れ違いになってしまうところでした。短い間でしたが、須郷さんと共に過ごせたことは、私にとって大きな財産になると思います。神様に感謝です。もちろん、福田さんともそうです。
 これからのお二人との、神学生とは違う立場のお付合いも楽しみになってきました ^^

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