シティライツ会報への寄稿文2007年10月11日 20時31分

 私も会員になっている、目の不自由な方々と共に映画鑑賞を楽しむための環境づくりをしているボランティア活動団体「シティライツ」(http://www.ne.jp/asahi/city/lights/)の会報の「想い出の映画」というコーナーへの寄稿依頼が編集長のノンちゃんからあったので、『チルソクの夏』について書いて9月の中旬に送稿し、きょう会報が届きました。

想い出の映画 『チルソクの夏』

 私がこの映画を初めて見たのは2004年5月のことですから、想い出と言うには早すぎるかもしれませんが、この映画は私の交友範囲を大きく広げることとなった格別に思い入れの深い映画ですので、この映画について書かせていただきます。
 『チルソクの夏』に出会うまでの私は韓国映画のファンでした。『八月のクリスマス』、『イルマーレ』、『ラスト・プレゼント』などが私の好きな韓国映画です。韓国映画が好きになったきっかけは、私が職場で韓国人留学生を受け入れる留学プログラムの担当者になったことです。それまで韓国のことをほとんど知らなかった私は、もっと韓国を知ろうと韓国に旅行に行ったり、テレビ・ラジオのハングル講座で韓国語の勉強を始めたり、韓国映画を見たりしているうちにすっかり韓国ファンになりました。
 『チルソクの夏』に出会ったのもネット上の韓国ファンの掲示板を通じてで、日本映画ではあるものの日韓の男女の高校生の交流を描いた映画ということで興味を持ったからです。この映画を見て私は大きな衝撃を受けました。ヒロインの父親が露骨に韓国人を差別するセリフがあったからです。韓国が好きになってからは消失していましたが、実は私も子供の頃に親や周囲に刷り込まれた形で差別意識を持っていたことがあったので、いたたまれない気持ちになりました。しかし、物語が進むにつれ、日韓の高校生たちのひたむきさに次第に心が洗われる気持ちになり、見終わった後は爽やかな感動に浸っていました。この時、私は既にこの映画の虜になっていたと言えるでしょう。そして1週間後、新宿シネマミラノでの最終日にもう一度見に行き、後方の席に座っていた佐々部監督を発見してサインをもらった時、この映画は私にとって特別なものになりました。気軽にサインに応じてくださった佐々部監督の人柄に引き付けられ、いつか職場の大学で『チルソクの夏』の上映会を開催したいという気持ちがこの日に芽生えたのでした。
 この職場での『チルソクの夏』上映会と佐々部清監督講演会が実現したのは翌年の2005年1月でした。佐々部監督と臼井プロデューサーにも出席していただいた懇親会で多くの佐々部ファンと知り合うことができ、今も付き合いが続いています。この佐々部ファン仲間との付き合いで一番面白いのが、「劇団巌流第二級」の団員として佐々部監督の映画にエキストラ出演することです。私もこれまでに『出口のない海』、『夕凪の街 桜の国』と『結婚しようよ』(2008年2月公開予定)の3本に参加させてもらいました。エキストラの醍醐味は、何と言っても撮影現場を外からでなく中から見学できることです。映画の撮影現場では役者さんと監督さん以外にも助監督、撮影、録音、照明、美術、衣装、メイクなど多くのスタッフが忙しく動き回っています。それら製作者達の映画作りへの熱い思いが充満した空間に身を置くことができるのは幸せなことだと感じています。
 シティライツのことを知ったのも2005年1月の『チルソクの夏』上映会がきっかけでした。その後ノンちゃんの誘いで佐々部監督の『カーテンコール』の音声ガイド付き鑑賞会に参加し、音声ガイドに秘められた力の大きさに感銘を受けました。そうして私はこの音声ガイド作成を私の仕事の日本語教育に活かせないかと考えるようになりました。まだまだ試行の段階ですが、今年の4月に開催した『日本語教育への音声ガイド活用研究会』にはシティライツの方々にたくさん来ていただき、多くのコメントをいただきとても勉強になりました。今後、日本語教育に携わる人たちに音声ガイド利用の有効性がもっともっと知られるよう、実践と報告を続けていきたく思っています。