『出口のない海』予告篇2006年07月01日 02時50分

 『出口のない海』の公式HP
  http://www.deguchi-movie.jp/
に2分間の予告篇がアップされました。
 必見です。
 これまでの1分間の特報より格段に内容が濃くなっています。
 竹内まりやさんの主題歌「返信」の一部も聞けます。

 ドイツ対アルゼンチン戦、見ごたえがありました。
 決勝は前回同様ドイツ-ブラジルでしょうか。

特攻兵器と通常兵器のどちらが狂気か2006年07月01日 09時44分

 昨晩からネット上で見られるようになった『出口のない海』の予告編を繰り返し見ている。
 『出口のない海』の原作を昨年読んだ時、神風特攻隊が明るく思えてしまうほどに人間魚雷「回天」の暗さ・重苦しさに息苦しくなり、このような特攻兵器を考案し実行したことを狂気だと思った。
 しかし『出口のない海』の予告編を見ているうちに、「回天」はもちろん狂気の兵器ではあるが、どこか人間の血が通った、ぬくもりのある兵器のように感じられ、むしろ人の乗り込んでいない通常兵器の方が冷酷で残虐な兵器なのではないかという気になってきた。
 我々が殺人事件のニュースを見るとき、加害者を正気とは思わず、殺人は狂気の為せる業だと思うだろう。戦争による殺人も同様だ。通常兵器であっても特攻兵器と同様に狂気の凶器なのだと改めて思わされた。
 佐々部監督は4月27日の日記に「昨年からたくさん公開されている戦争をモチーフにした映画に比べると映像的には地味な作品と思いますが、戦争の怖さや愚かさは十分に伝わる作品になったように思えます。」と書いている。
 予告編だけでも戦争の愚かさが十分に伝わってきたこの映画をできるだけ多くの人に見てもらえるよう、私も宣伝に励みたい。

『出口のない海』公式HP
 http://www.deguchi-movie.jp/

『自己愛とエゴイズム』2006年07月02日 09時07分

 ハビエル・ガラルダ著『自己愛とエゴイズム』(講談社現代新書)。15年ほど前、私がまだ名古屋にいた頃、近所の書店で偶然に出会った本で、私に大きな影響を与えた本だ。
 この本は奥深い自分の声に忠実に生きることを読者に勧めている。私はこの奥深い自分の声に耳を澄ませ、13年前に名古屋を離れることにした。その後の2年間は本当にいろいろな事があったが、奥深い自分の声に従った結果のこととの確信があったので、いつも前向きでいられた。
 時々この本を読み返し、今の自分が奥深い自分の声に忠実な生き方をしているか自らに問いただしている。佐々部映画やジョン・チャヌさん、つい最近では『ニライカナイからの手紙』に激しく引き込まれてしまっているのは果たして奥深い自分に忠実なためなのか、或いは偽りの声に耳を傾けてしまっているのかチェックするため、久々でこの本を開いた。

(以下引用)

はじめに ― 自己愛の必要性とその条件
 本当の自己愛が必要とされている。本当の自己愛とは、奥深い自分に忠実であるということだと思う。
 自分を尊敬するという自己愛がなければ、人を尊敬することははなはだ難しいことであろう。
 自分を信じない人が、はたして人を信じることができるであろうか。
(中略)
 自己愛という言葉は、とかく「私さえよければ」という利己主義と間違えられやすいけれども、実はそのエゴイズムとはまったく違う概念である。
 あるいはまた、自己愛は自分の魅力を感じて自分自身が好きであると思われることもあるが、本当はそれとも違うものである。
 その区別を見わけるために、以下本当の自己愛の条件について考えてみたいと思う。

 第1章 自己愛はナルシシズムではない
(前略)
奥深い自分を見つめること
 ナルキソスは自分の表面の姿だけを見つめているので、その反対行動はといえば、奥深い自分を見つめることである。
 人から良く思われたい自分になるのではなくて、自分がなりたい人間を見つめるという態度である。愛されたい、認められたいという自分の浅い望みに妥協しないで、愛したい奥深い自分に忠実に生きることである。損得を自分の行いの基準にしないで、奥深い自分が正しいと思っていることと、奥深い自分が本当にしたいことを、迷わず行うというコンスタントな態度を、自分の人生観に入れ込むことができれば、悪いナルシシズムはほとんど関係ない話になるであろう。

そして民衆が苦しむ2006年07月05日 18時19分

 映画『戦場のアリア』を見たとき、戦意を煽り、士気を鼓舞するのは軍部の指導者や勘違いをしている聖職者であり、実際に銃を手に取る一般の兵士で心から闘いたいと思っている者など誰もいないのだということが強く伝わってきた。
 『出口のない海』のプロデューサーNさんが7月1日の私の記事に対して「この映画のためにいろいろ取材をしていて感じたのは、乗っていた皆さんは本当に普通の、そして普通に国や家族、友人、恋人を愛していた人たちだったということです。」というコメントを寄せてくださった。まさにそうだ。闘い、苦しまなければならないのは、いつも普通の人たちだ。
 けさ北朝鮮がミサイルを発射したことにより、各国の北朝鮮に対する制裁が強化されることになるだろう。愚かな指導者を持ったこの国の国民の生活はますます困窮していくことになるのだろう。
 北朝鮮の民衆のことが心配だ。そして日本のこれからも心配だ。
 今回のミサイル発射を機に憲法九条の改定論が高まり、軍国化が加速されることなど、どうかありませんように。

大津島・下関・広島へ2006年07月07日 05時01分

 きょうは休暇を取った。
 これから大津島の回天記念館へ行く。
 晩は下関で『チルソクの夏』の七夕上映会。
 日曜日は広島の平和記念資料館へ行きたいと思っている。
 何かを感じ取って来られる旅としたい。

最高のフィナーレ2006年07月09日 21時15分


 金・土・日と山口県と広島県で下記の場所に行き、さきほど帰宅した。

・回天記念館(大津島)
・『チルソクの夏』七夕上映会(下関市)
・チル友交流会(下関市)
・ニューこらさ(下関市)
・香月泰男美術館(長門市)
・金子みすず記念館(長門市)
・原爆ドーム(広島市)
・平和記念公園(広島市)
・世界平和記念聖堂(広島市)

 今回の旅の最後に訪れた聖堂の存在は、昨年まで知らなかったのだが、今年の春に広島平和記念資料館と共に国の重要文化財に指定されたというニュースを見て、ぜひ行ってみたいと思っていた。
 ほとんど人がいない広い会堂の後方の席に座り、しばし祈りの時を持っていると、突然にパイプオルガンが鳴り始めた。オルガン奏者が練習を始めたのだ。最初は単音や短いパートを繰り返していたが、そのうち一曲まるまる弾き始め、数曲を聞くことができた。
 旅の締めくくりに、神聖な会堂で荘厳なパイプオルガンの演奏を聞きながら祈りを捧げることができ、最高のフィナーレであった。

 今回の旅でお世話になった皆様に心より感謝いたします。
 回天記念館~平和記念公園についてはボチボチと書いていきたいと思います。

いのち2006年07月11日 12時50分

 7月7日~9日の旅について何か書こうと思いつつも、なかなか書けないでいる。「いのち」について感じることが多い旅だったと思うが、広島の世界平和記念聖堂でパイプオルガンの演奏を聞いて最高のフィナーレを迎えたことで、私の中では今回の旅は完結してしまったのかもしれない。

 回天記念館では、回天の乗組員の家族に宛てた手紙の展示が痛々しかった。
 香月泰男美術館では、子供のために作ったブリキのおもちゃの中に十字架に釘付けにされたキリストがいくつかあり、キリストの両手と足に釘を打ち付ける時の作者の心中を思った。特に解説はなかったが、作者がシベリアに抑留されていた時、自分が生き延びることだけで精一杯で、戦友が倒れていくのをただ見ているしかなかった罪を清めてほしいという願いが込められていたのではないのだろうか。
 金子みすず記念館では、小さな生き物への優しい眼差しを持つ女性が26歳の若さで自らの命を絶ったことに思いを馳せた。それまで私は、彼女は病死したとばかり思っていた。
 広島平和記念資料館では、被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんが病床で折り続けた鶴の展示をゆっくりと見た。
 命の重さに対する思いがずっしりと心に残っても良さそうなものだが、すべて聖堂の中に解き放ってきてしまったようで、落ち着いた気分で振り返ることができる。

 上の写真は折り鶴を高く掲げる「原爆の子の像」です。
 『チルソクの夏』七夕上映会についても今週中に書きたいと思います。

『チルソクの夏』七夕上映会2006年07月13日 17時35分



 屋外の映画上映会なんて、小学生の時以来のような気がする。
 7月7日の夜、下関シーモールの屋上で行われた七夕上映会に参加してきた。風に吹かれながらの鑑賞が心地よかった。大勢のチル友と一緒に見る『チルソクの夏』はやはり格別だ。
 上映終了後はチル友交流会に参加し、最後は『チルソクの夏』にも出てくるスナックに行った。桂亜沙美さんと少し話ができてうれしかった。「チルソク四人娘の中で一番好きです」と言ったら喜んでくれた^^。これは本当のことで、映画の中では特に誰が一番ということはなかったのだが、DVDの特典映像で四人の女優さんたちの普段の姿を見た時にそう思ったのだ。実際に会ってその感を強くした。
 鈴木淳評君とも話ができたし、佐々部監督、臼井プロデューサーからは『夕凪の街 桜の国』の情報をもらうことができた。下関の佐々部応援団員の皆さんやママさんにも久しぶりで会えて、本当に楽しい一夜だった。



直感を信じる2006年07月14日 08時19分

 将棋の羽生善治さんに密着した昨晩のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」は、とても良かった。

http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/060713/index.html

 羽生さんと自分を並べるのはおこがましいが、私も物事を直感を頼りに進めていくほうなので、「直感を信じる」という羽生さんを見て意を強くした。私の直感は今ちょっと鈍っているようだ。夏は研究に集中できる時期なので、これからまた少しずつ研いでいきたい。

再放送は以下の日時にあるそうです。
 2006年 7月19日(水)
放送時間 :翌日午前1:35~翌日午前2:20(45分)

『出口のない海』の時代の母校の校歌2006年07月15日 00時50分



 羽生善治さんは将棋の対局中に「玲瓏」という言葉を思い浮かべるそうだ。
 NHKのHPによれば、「玲瓏とは、透き通り、曇りのないさま。対局中に襲われる不安や迷い、雑念を取り払い、澄み切った心で盤面に向かうよう、自らを戒める。」とある。この解説を見て、少し前に私が『自己愛とエゴイズム』に書いた、「奥深い自分の声に耳を澄ませる」ことに近いものを感じ、「玲瓏」がそんなところにもつながっていることに、少し意外な気がした。
 なぜ意外だったかと言うと、「玲瓏」は私の母校の静岡高校の歌詞の一番にあり、私にとっては富士山を形容する言葉としてなじみの深い言葉だったからだ。この校歌は高校時代に歌っただけでなく、卒業してからも休みが取れれば夏の高校野球の地方予選や甲子園の応援に行き、スタンドで歌っているので、私にとっては過去の歌ではなく、今でも歌う歌だ。戦前に作られた校歌で、2番以降は軍国主義的だということで、我々はもっぱら1番のみを2回繰り返して歌っている。
 2番~4番は資料で見たことがあるだけだが、今回、ネットで検索してじっくりと見てみたら、大津島の回天記念館で読んだ回天乗組員の手紙と重なってきた。『出口のない海』の時代の人たちの思いに少しまた近づけたような気がする。

静中・静高校歌

岳南健児 一千の 理想は高し 富士の山
八面玲瓏 白雪の 清きは我等の 心なり

至誠を色に 表はせる 唐紅の 旗幟
義勇奉公 四つの文字 揚げて共に 進むべし

龍爪山の 木枯に 青葉が岡の 夏の日に
身心鍛ふ 大丈夫 文武の道を 励めいざ

御国の柱 礎と なりし祖先の 後継ぎて
大現神 天皇の 稜威を四方に 輝かせ

(引用元)
http://www.gg.e-mansion.com/~nabekatu51/kouka.html

 上の写真は回天発射訓練基地跡に通じるトンネル内に掲示してあった写真で、イ号潜水艦上の回天とその乗組員が写っています。