ソウルにて2006年06月02日 06時47分

 昨晩からソウルに来ている。
 ホテルで荷を解いてから早速、南大門方面に足を向けた。



 南大門市場ではいつも行く屋台のおばちゃんがいつも通り温かく迎えてくれた。



 ソウルのワールドカップ熱は東京より明らかに高い。南大門市場でもワールドカップ応援グッズをあちこちで売っていた。



 それで私もKoreaの赤いTシャツを買ってワイシャツの上から着て、屋台の椅子に座った。屋台のおばちゃんが話すことは半分ぐらいしか分からないが、日本が対戦するオーストラリアのヒディング監督(元韓国代表の監督)の話でしばし盛り上がった。



 今回は西大門駅の近くのVABIEN II という新しいホテルに宿泊している。初めてのホテルだが、長期滞在ができるようにキッチン・鍋・食器類が備えてあり、洗濯機、電子レンジ、アイロン、ドライヤーなど一通りの電気製品が整っている。テレビの下のラックにはDVDとCDのプレーヤーまである。インターネットも無料で使える。短期の宿泊もOKだ。それでいて宿泊代がソウルの他のホテルに比べて安めに設定してくれてあるのがうれしい。次回もここに泊まりたいものだが、こういうホテルは最初は安くても評判が良くなると値上げしたりするので、次は高くて泊まる気がしなくなることが多い。だから私は安くてよいホテルを求めて、いつも違うホテルに泊まることになる。

漢江クルーズ2006年06月04日 09時01分

 ソウルでの休日、漢江(ハンガン)クルーズを楽しんだ。



 天気もよく、のんびりと遊覧船からの眺めを楽しむことができ、心身共にリラックスできた。



 下船後、去って行く船の後姿に向かって「安く~ん」と思わず叫んでしまった(嘘)。



 クルーズ後、ロッテワールドへ行った。楽しかった…。

戦争記念館2006年06月05日 08時53分

 ソウル滞在の最終日、戦争記念館に行った。
 こういう記念館があることを、実は今まで知らなかった。ソウルの主要な観光スポットで、まだ行っていない場所がないかガイドブックを見ていてたまたま目に留まったので、行ってみることにしたのだ。



 古代の武器の展示に始まり、三国時代、高麗と歴史順に主として戦争に使用した武器が展示してあった。李氏朝鮮の時代の豊臣秀吉による侵略戦や日本が韓国を併合するに至る戦い等もかなり詳しく展示してあった。



 最も多くのスペースが割かれていたのは、朝鮮戦争で、開戦に至った経緯や開戦後の北軍の進攻、国連軍が参戦後の南軍の巻き返し、さらには中国が参戦後の北軍の再攻勢のことなどが詳しく展示してあった。  また、朝鮮戦争の休戦後の韓国軍のベトナム戦争への参戦や、PKO活動についての展示にも多くのスペースが割かれていた。  近代から現代にかけてのコーナーでは、本物の戦闘機やジープも屋内に展示してあった。



 そして、これで終わりかと思いきや、屋外にはおびただしい数の戦車や射撃砲、軍用機が並べられている広場があって驚いた。



 この屋外の展示スペースは無料なので、ここだけが目的で訪れている人も多いようだった。特に目立ったのが家族連れで、小さな子供が戦車やジープ、軍用機に乗り込んで喜んでいる様子を親がカメラに収めていた。



 都心の交通便利な場所にこのような広いスペースを使って親子連れが気軽に行ける軍事関連の展示をしているのは、いまだ朝鮮戦争が終結していない、徴兵制の国だからなのであろう。無邪気に楽しむ子供たちを見て、この施設の大きな目的の一つに、徴兵に対する抵抗感を少しでも減らす狙いがあるのだろうと思った。PKOに派兵して国際貢献をしている展示スペースでは軍隊の必要性・重要性を強く意識させる作りになっていると感じた。
 気になったのは、高揚感を持たせ、好戦的な気分になるような展示に全体的になっていると感じたことであった。実際、私の心も少しばかり高揚してくるのを感じた。現実に北朝鮮と未だ戦争状態にあるこの国では、人をこのような気分にさせる展示は必要なことなのであろう。
 一方、我々の国はどのような道を選択すべきであろうか。憲法9条の問題、自衛隊の海外派兵の問題を我々が考える場合、決して高揚感の中で考えてはならず、冷静になって考える必要があるだろうと思った。

『バッシング』2006年06月07日 00時37分

 イラクで人質になった高遠菜穂子さん達の救出のための集会に連日参加した者としては、この映画は必ず見なければならないと思い、時間を作って見に行った。
 冒頭、いきなり「この映画はフィクションであり、実在する人物・団体とは関係ありません」という、普段テレビドラマなどでは最後に出てくるものが最初に出てきて、オヤッと思った。果たして、この映画のヒロインは高遠さんをモデルにしているとは最早言えないほど極端にデフォルメされた全くの別人であった。
 イラク人質事件を傍観していた人、或いは世間に同調して高遠さんたちをバッシングしていた人たちにとっては、いろいろと考えさせられるものがある優れた映画なのかもしれないが、高遠さん達が解放されるためには自分のできることは何でもしようと思って動いていた私にとっては、かなりの違和感を感じる映画だった。これでは、この映画を本気で応援する気になれない。応援したいけど、応援できない。残念無念だ。
 本物の高遠さんの活動の様子は、
 イラク・ホープ・ダイアリー http://iraqhope.exblog.jp/
で見ることができます。

P.S.
香川照之さん、この映画にもしっかりご出演です。

『雪に願うこと』2006年06月09日 00時54分

 チル友のブログでこの映画のことを知り、仕事帰りに見に行った。早朝から忙しかったため映画館へ向かう途中の電車でかなりの眠気を感じていた。それで、もしかしたら映画の途中で寝てしまうかもしれないと心配になったが、杞憂であった。最後まで目をパッチリと開けて、ばんえい競馬の迫力ある映像、早朝の訓練時や周囲の風景の美しい映像、厩舎の人達の馬臭さと人間臭さを堪能した。見終わってからいろいろなことが思い起こされ、ここに書きたいことがたくさんある。こういう書きたくなることがたくさんある映画を「いい映画」というのだろう。それらを全て書いていたら寝る時間がなくなるので、一つだけ、見終わった後で一番最初に思ったことを書くことにする。

 ばんえい競馬とネクタイというミスマッチ。なぜだ?と思った。なぜこんな終わり方をするのだろう?何が言いたいのだろうか?しばらく思いを巡らし、やがて我が身を振り返り、納得がいった。結局、自分が本気で真剣勝負できる場所は、20代の後半にドロドロ、ボロボロになって技術や知識を身に付けた分野しか有り得ないのではないか。30以降に始めたことでも、そこそこの勝負はできるかもしれないが、所詮はそこそこレベルでしかなく、高いレベルで勝負したかったら20代の終わりまでに始めたことしかないのではないか。この映画の主人公も厩舎の人たちや馬の真剣勝負を見て、自分ももう一度本気で勝負がしたくなったのだ。我が身に照らし、そんなことを思った。私は今まさにその渦中にあり、この映画に巡り会えたことは感謝であった。

『雪に願うこと』公式HP
http://www.yukinega.com/

『母に捧げるラストバラード』2006年06月11日 18時50分

 5月12日の記事に書いた、松本じゅんさんが御出演中の明治座六月公演『母に捧げるラストバラード』を昨日、静岡の母と妹とで見てきた。幕間に松本じゅんさんの楽屋を訪ねた。このようにめったにない機会を作ってくださった松本じゅんさんの心遣いには大感謝であった。
 松本じゅんさんは、武田鉄矢さんのお母さんのイクさんが営む「武田たばこ店」の近所のおばちゃん役で大活躍であった。何度も着替えて出たり入ったり、奮闘していた。この芝居は、役者さんが着替えてメークを直す場面がかなり多く、役者さんにとってはハードな芝居だと思う。特にそう思ったのは、武田イクさんが亡くなる直前の、子供たちがまだ若かった頃の回想シーンだ。鉄矢さんの役だけは子役がやっているが、娘役の沢田亜矢子さん、麻丘めぐみさんなどは、このたった1分ぐらいの回想シーンのために、再び最初の場面の衣装(セーラー服!)とメークに替えて出てくるのだ。映画だったら同じフィルムを使うだけで良いが、舞台だとこれだけの手間を掛けないと回想シーンができないのだ。でもやはり、ここで一番涙が出た。舞台を感動的なものにするには労力を惜しまない姿勢が凄いと思った。
 第二部の海援隊のライブでは、実際の武田たばこ店の写真、武田イクさんの写真を流しながらのスライドショーが冒頭にあり、私の涙腺はすっかり緩んでしまった。母親思いの武田鉄矢さんのステージを静岡の母と一緒に見られたのは、幸せなことであった。母とは、昨年の明治座八月公演の「わかば」も一緒に見た。母には長生きしてもらって、まだまだこういう楽しい時を一緒に持ちたいと思った。観劇後は東京の兄一家も合流して楽しい宴会となった。楽しい観劇の機会を作ってくださった松本じゅんさんには改めて感謝申し上げたい。
 さて、きょう6月11日は、5年前に父・政春が天に召された日だ。このブログの右上に掲げてある自作の空想小説『天上の音楽村』は父が主人公だ。いつか天でまた我々家族が一緒になることを願って、この話を書いた。未読の方は読んでみてください。

 なお、『母に捧げるラストバラード』に出演中の松本じゅんさんの日記や掲示板は
http://www.hpmix.com/home/junkin39/
で見ることができます。

映画人九条の会・たかつ九条の会2006年06月16日 17時40分

 学生の頃から、憲法9条は守るべきだという考えを持っている。誰に言われたというわけでもなく、それが一番自分にしっくりくるからだと思う。信仰を持つようになってからは、なおさらだ。その考えはいささかも変わらず今に至る…はずだった。しかし、先日韓国ソウルの戦争記念館で韓国がPKOの海外派兵で国際貢献をしている様子を誇らしげに展示しているのを見て、憲法9条の問題を自分の中で思考停止状態に置かず、考え直してみるのも悪くないのではという気になった。もっと考える機会を自ら作る必要性を感じた。
 そんな時、高遠菜穂子さんたちが主催するイラクホープネットによる「イラク人カメラマンは見た!イサーム・ラシード氏緊急報告会 ~映像が語るイラク市民の悲劇~」という報告会があることを知り、水曜日の晩に参加してきた。イラク国内では今、一般市民が米兵や民兵、イラク警察により次々に惨殺される凄惨な状況が繰り広げられているということを映像を通じて知った。罪無き一般市民の家も少しでも怪しいと思われてしまうと家宅捜索を受けて家の中をメチャメチャにされ、逮捕され、拷問を受ける。少し前までファルージャ、今はラマディがこのような状況にあるそうだ。イラク軍や警察による拷問は米軍のやり方を受け継ぎ、より残忍になっているそうだ。タバコの火を押し付けたり、最近は電気ドリルで体の表面に穴を開け塩酸を流し込むという方法がよく取られているとのことだ。シーア派、スンニ派の争いもアメリカがもたらしたもので、米軍による攻撃以前には両派間に争いはなかったそうだ。イラクにこのような地獄をもたらしたアメリカを支持し、自衛隊を派遣している日本も同類であるとイラク人に思われても仕方がないことであろう。イサーム・ラシード氏はイラクの復興を支援するなら軍隊ではなく、民間の人に来てもらいたいと訴えていた。
 自衛隊を海外に派遣する以外で国際的に貢献できる道をもっともっと考え、実践していくべきだろうと強く思った。憲法9条を守るべきという考えは私の中で一層強くなった。 それで「九条の会」に関心を持ちネットで検索していたら、「映画人九条の会」という会があることを知った。結成呼びかけ人は、
 大澤 豊 (映画監督)
 小山内 美江子 (脚本家)
 黒木 和雄 (映画監督)
 神山 征二郎 (映画監督)
 高畑 勲 (アニメーション映画監督)
 高村 倉太郎 (日本映画撮影監督協会名誉会長)
 羽田 澄子 (記録映画作家)
 降旗 康男 (映画監督)
 掘北 昌子 (日本映画・テレビスクリプター協会理事長)
 山内 久 (脚本家・日本シナリオ作家協会理事長)
 山田 和夫 (日本映画復興会議代表委員)
 山田 洋次 (映画監督)
の各氏とのことで、私が敬愛する山田洋次監督、降旗康男監督や、先日亡くなられた『父と暮らせば』の黒木和雄監督も名を連ねている。私も「映画愛好者」として参加することを迷わず決めた。ここ半年、佐々部監督の映画の良さを語るための比較材料として映画をなるべく積極的に見るようにしてきたが、いま思うと、それは「映画愛好者」の資格を得るためだったのかもしれない。
 7/15に結成1周年集会を行う「たかつ九条の会」もできる限り応援しようと思う。

『出口のない海』HPリニューアル2006年06月18日 08時44分

 9月16日に公開される映画『出口のない海』

 原作:横山秀夫『出口のない海』
 脚本:山田洋次・冨川元文
 監督:佐々部清
 音楽:加羽沢美濃
 主題歌:竹内まりや「返信」

の公式ホームページ
 "http://www.deguchi-movie.jp/
がリニューアルされました。
 この中に私がエキストラ参加していた場面があり、自分の姿も確認しました。



 こりゃ、本人でなきゃ絶対に分かりませんね ^^;

『バルトの楽園』2006年06月19日 00時01分


 クロアチア戦、引き分け。ウ~ン。すごい消耗戦でしたね。

 クロアチア戦の前に渋谷で『バルトの楽園』を見てきた。
これは実話に基づいており、第一次世界大戦中に中国の青島で日本軍に降伏したドイツ軍を日本の鳴門の捕虜収容所で厚遇し、大戦後、解放されたドイツ軍人たちが御礼にベートーベンの第九を演奏したという感動的な話だ。
 なかなか良い映画だった。特に最後の第九は聴き応え十分だった。しかし、私は4月、5月に計3回(昨年からだと6回)も超一流のヴァイオリン奏者ジョン・チャヌさんの入魂の演奏を間近でじっくり見たために目が肥えてしまったらしく、弾くマネだけのヴァイオリンが多かったのに、すっかり興ざめしてしまった。こういうところを丁寧に撮るのは結構重要だと思う。『四日間の奇蹟』で佐々部監督は吉岡さんに「ピアノを見ると吐き気がする」というくらいピアノの練習をさせたというし、連休に見た『戦場のアリア』では俳優さんに声楽の本格的なトレーニングをかなりの長期間やらせたということだ。だからこそ迫真の映像になり、観客はスクリーンに引き込まれていく。明らかに実際に弾いていないと分かるヴァイオリン演奏を寄って撮って見せるなんて、観客をナメてない?などと思う私のような観客は少数派だろうか?

『出口のない海』のチラシ500枚2006年06月19日 23時25分


 少し前に佐々部映画ファンの集まりがあった時に、『出口のない海』のチラシをたくさん持っているチル友がいたので、少し分けてもらった。でも、もっとたくさん欲しいなあ、と思っていた。そしたら、松竹にお知り合いがいるというLさんがチラシを送ってくださることになり、きょう宅配便で受け取った。その数、500枚。私が想定していたのより、はるかに多い数だ。いままでは、手持ちのチラシの残り枚数を気にしながらチビチビと配っていたが、これなら大盤振る舞いができる。うれしいです!Lさん、ありがとう。多いとは言ってもなるべくムダにしないように、できるだけ手渡しで配ることにします。
 まずは、この映画のエキストラに参加する時に丸刈りにしてくれた床屋さんに少し持っていこう。普段は映画館に足を運ぶことはないと言っていたが、私の頭を坊主にしてくれた時、「見に行きますよ」と言ってくださった。奥さんは時々は劇場に足を運ぶ人で、『カーテンコール』のチケットを買ってくださり、見に行ってくださった。『出口のない海』はご夫妻で行ってもらいましょう!