詩篇 第23編 ― 2006年03月05日 19時26分

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ジョン・チャヌさんをお招きしたイースターコンサートの準備が教会で進行中だ。ジョン・チャヌさんの美しいバイオリンの調べは、旧約聖書の「詩篇 第23編」のように魂を癒してくれる。
5年前まで、私は信仰を持っていなかった。聖書の存在を強烈に意識したのは5年前の父の死の間際だった。父が昏睡状態に陥り、家族が葬式の相談を始めた時、私は父が洗礼を受けたクリスチャンであることを初めて知った。私が生まれた頃には既に父は教会から遠ざかっていたので、私はそのことを知らずにいた。それを知った後の病院での深夜、息がどんどん細くなっていく父の横に私一人だけがいた時、聖書の一節を読んであげたいと思い、聖書を手にしたが、どこを読んであげたら良いのか全然分からず、虚しい思いをした。
その翌日、父は息を引き取り、父以外に家族で教会に通ったことがある者は誰もいなかったので、結局葬式は仏式で執り行われた。クリスチャンなのに、そんなことで良いのか?と私は大いに疑問を持った。それで、父の葬儀が終わってこちらに戻ってから、父のために教会で祈りたいと思い、教会の門をくぐった。父のために行ったはずの教会で、癒されたのは私のほうだった。賛美歌のメロディーが父と別れた悲しみを優しく癒してくれた。
それから、私は聖書を読むようになった。「詩篇 第23編」と出会った時、あの時、死にいく父の枕元で、ここを読んであげれば良かった、としみじみ思った。
「詩篇 第23編」はクリスチャンにはなじみの深い聖句で、最近よく映画を見るようになった私は、映画の教会のシーンなどでこの一節が読まれてハッとすることがある。
☆ダビデの賛歌
主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、
私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
(詩篇 第23編)
ジョン・チャヌさんをお招きしたイースターコンサートの準備が教会で進行中だ。ジョン・チャヌさんの美しいバイオリンの調べは、旧約聖書の「詩篇 第23編」のように魂を癒してくれる。
5年前まで、私は信仰を持っていなかった。聖書の存在を強烈に意識したのは5年前の父の死の間際だった。父が昏睡状態に陥り、家族が葬式の相談を始めた時、私は父が洗礼を受けたクリスチャンであることを初めて知った。私が生まれた頃には既に父は教会から遠ざかっていたので、私はそのことを知らずにいた。それを知った後の病院での深夜、息がどんどん細くなっていく父の横に私一人だけがいた時、聖書の一節を読んであげたいと思い、聖書を手にしたが、どこを読んであげたら良いのか全然分からず、虚しい思いをした。
その翌日、父は息を引き取り、父以外に家族で教会に通ったことがある者は誰もいなかったので、結局葬式は仏式で執り行われた。クリスチャンなのに、そんなことで良いのか?と私は大いに疑問を持った。それで、父の葬儀が終わってこちらに戻ってから、父のために教会で祈りたいと思い、教会の門をくぐった。父のために行ったはずの教会で、癒されたのは私のほうだった。賛美歌のメロディーが父と別れた悲しみを優しく癒してくれた。
それから、私は聖書を読むようになった。「詩篇 第23編」と出会った時、あの時、死にいく父の枕元で、ここを読んであげれば良かった、としみじみ思った。
「詩篇 第23編」はクリスチャンにはなじみの深い聖句で、最近よく映画を見るようになった私は、映画の教会のシーンなどでこの一節が読まれてハッとすることがある。
☆ダビデの賛歌
主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、
私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
(詩篇 第23編)
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