『看取りの医者』2011年12月13日 07時03分

 昨晩、放送されたドラマ『看取りの医者』を観ました。家族にとって大切な、しかし難しい問題を丁寧に撮った佐々部監督らしい作品だと思いました。喜怒哀楽のすべてに不自然さが全くない大竹しのぶさんの演技にはもちろんのこと、劇団巌流第二級の皆さんの演技がレベルアップしていることにも感服しました。

 吹越満さんは北極星が見える北半球限定の人?とか、少し「オヤ?」と思う所はありましたが、ドラマ自体は素晴らしく、5点満点だと思いました。

 しかし、日本人の宗教との関わり方という点においては、残念に思わざるを得ません。「生まれた時は神道、結婚式はキリスト教、葬式は仏教」とは良く言われることですが、余命わずかの時の病床、そして臨終という肝心な時に宗教者が不在というのは、何とも寂しい限りです。

 キリスト教であれば牧師なり神父なりが病床を見舞い、聖書を開き、祈りの時を持ちます。聖餐式を執行することもあります。そして臨終の時も間に合えば立ち合い、やはり聖書を開いて祈ります。開く聖書箇所は、その方、その時にふさわしい箇所が選ばれます。私が家族の臨終の場に立ち会う時には詩篇23篇を開きたく思います。

 今回のドラマを観て、最期を病院で迎えるか自宅で迎えるかということ以上に、その時に宗教者が不在であることが当たり前になっていることの方が、大きな問題のように私は感じました。

 10年前、父が膵臓ガンで死ぬ間際に家族で葬式の相談をした時、私は父がクリスチャンであることを初めて知りました。若い頃のキリスト教ブームの時に教会で洗礼を受けていたのだそうです。しかし、家族の誰も教会とつながりがなかったので、葬式はお寺で行いました。

 クリスチャンなのに仏式でいいの?という疑問が私が10年前に教会に通い始めたきっかけでした。つまり、日本人の宗教感覚への疑問が私の信仰の出発点でした。

 そんなことも思い出された『看取りの医者』でした。

コメント

_ 山田 ― 2011年12月13日 19時37分

こちらのサイトを見て、昨日は『見取りの医者』を観ました。
久しぶりに、テレビの前でじっくりと座りなおした晩となりました。
私が印象に残っているのは、自宅介護の最中、孫に「死なないで」と泣きつかれたその後、病室で河原崎さんが言ったセリフです。
「生き様もあるが、死に様というのもあるのではないだろうか。私は自分がどのように死ぬかということばかりを考えいていた。しかし、死に様とは周りの人のために死ぬということではないだろうか」
と、おっしゃられていたセリフが印象的でした。
結果として病室で看取られますが、最期まで家族の為に生きて、そして死にゆく様に考えさせられました。

キリストの、宣教、教え、奇跡、といった生き様との対象に、裏切り、十字架、磔殺といった死に様を分けて思いめぐらしました。

キリストには更に、甦り様 なるものがあるな、とも思わされました。
ボーンアゲインされたクリスチャンとして、みずからの 甦り様をも思いめぐらすよい機会となりました。

良作をご紹介いただきありがとうございました。
小島先生の姫路でのお働きの為にお祈りしております。

_ S.KOJIMA ― 2011年12月14日 08時37分

山田さま

 こんにちは。
 もう片方の山田さんでしょうか…

 キリスト者らしい『看取りの医者』の感想をありがとうございました。

 最近の私は神不在の映画やドラマを批判的に観てしまうことが多く、自分でもあまり良くないなと思っているのですが、かと言って、どうしたら良いのか分からずにいました。
 
 しかし、山田さんの感想を読んで、どのように神不在のドラマを観たら良いのかのヒントをいただいたような気がします。
 とても参考になりました。どうもありがとうございました。

 お体に気を付けてお過ごしください。
 今後ともよろしくお願いします。

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