わが魂よ2011年02月04日 10時59分

 レポート提出があったりして連載中の「世界の中心で・・・」が中断していますが、魂を整え直して、できるだけ早くに再開したく思います。それで、今朝は魂を整えることについて書きます。

 今朝の食卓で詩篇42篇が開かれました。1節、2節(後述)が大変に有名ですから、私はいつもこの冒頭の2ヵ節にばかりに目が行ってしまいがちですが、今朝は5節に目が留まりました。

 わがたましいよ。
 なぜ、おまえはうなだれているのか。
 (詩篇42:5)

 なんと、この詩篇の作者は、「自分の魂」と「自分」とを切り離して考えています。これはスゴイことだと思います。自分の中に霊的な部分があることを、しっかりと認識しています。

 私たちは、表面的には楽しく過ごしていても、どこか心が満たされないということがあります。そういう時は、この魂の部分が満たされていないのだと思います。しかし、普通はそのことになかなか気付かずに、他のことで気をまぎらそうとするので、魂の部分はいつまでたっても満たされません。

 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、
 神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。
 (詩篇42:1,2)

 この詩篇の作者の魂に不足していたのは、神でした。旧約聖書のこの時代、人々はエルサレムの神殿に礼拝に行かなければ、魂が神の霊で潤されることはありませんでした。一方、イエス・キリストの十字架と復活以降、今の時代を生きる私たちはいつでも聖霊なる神の恵みを受けることができます。しかし、私たちはそれをどれくらい自覚しているでしょうか。自分が神の恵みの中にいるか、自問自答することが、どれくらいあるでしょうか。

 わが魂よ。
 おまえは神の恵みの中にいるか。

 私たちは、自分の魂の状態を絶えず自分でチェックできるものでありたいと思います。

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