『祭りの準備』2006年05月09日 07時13分

 「佐々部清監督おすすめシネマ」
http://www.navitown.com/weekly/cinema/dvd/index.html
の中にあった『祭りの準備』を昨晩DVDで見た。
 濡れ場が妙に頭に残り、この映画の感想をどうまとめようかと昨晩は考えがまとまらなかったが、一晩たってからこの映画を思い返すと、多彩な登場人物が映画の中でそれぞれに変化していったことが印象に残っている。ヒロポン中毒から正気に戻った女、清楚な女から男を狂おしく求める女へと変化していった女(竹下景子)、こそこそとした逃亡者から大胆に見送る者となった男(原田芳雄)、そして、いつも陰陰滅滅とした表情だったのが、力のある決意に満ちた表情へと変化した主人公(江藤潤)。このように皆が変化していった中で、息子を思う母親(馬渕晴子)の気持ちだけは変わらなかったのが対照的で、哀しさを醸し出し、これもまた余韻として残っている。
 最近映画を良く見るようになって、濡れ場や暴力シーンなど、見ているときには強烈なインパクトがあっても、後になって振り返ると、そこに関する記憶は弱められて、他のシーンが逆にあぶり出されて強く心に残るということが良くある。これは製作者が意図してそのように作り込んでいるのだろうか?こんど映画関係者と話をする機会があったら聞いてみたい。

 ところで、都会に出てヒロポン中毒になった女のシーンを見て、一昨年亡くなった作家の永井明氏の絶筆となった『ヒロシさんの絵筆』を思い出した。
http://www.asahi.com/column/aic/Wed/medical-bn.html
 永井さんは子供の頃、映画館によく通っていて、そこでヒロシさんという映画の看板職人と仲よくなったという。ヒロシさんは東京に出ることを夢見ていて、子供だった永井さんに向かって
「わしゃー、東京に行くけえ」
「東京かいのおー」
「ほおじゃ。こぎゃな田舎におっても、埒ゃあーあかん。わしの絵をわかる人間はおらん。東京の帝劇や日比谷映画の正面に、わしの看板をかけちゃるんよ。『キネマ旬報』や『映画の友』も見よーるが、わしのがぜったい上手に描ける……」
と話していたという。そして実際に東京に出て行き、ヒロポン中毒になってしまったという。
 この話は、昨秋、銀座に久保板観さんの『カーテンコール』の絵看板が掛かった時に真っ先に思い出した。
 いま『ヒロシさんの絵筆』をインターネット上で読むことはできなくなっているが、私のPCのハードディスクにはしっかり保存されているので、もし掲載許可が取れたら、ここで全文引用してみたい。

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