不思議な助言者が内にいる幸い ― 2010年02月22日 10時08分
シムソンズは本当にすごいですね。
でも、私は今回のことで、あまり興奮し過ぎると神様の御前で静まることができなくなり、神様との交わりが全く持てなくなることが良く分かりましたので、ほどほどにしようと思います・・・が、そうできるかな?
昨日は高根教会の午後の聖別会でショート・メッセージのご奉仕をしました。以下は全文原稿です。
高根教会聖別会・ショートメッセージ
(2010年2月21日)
『不思議な助言者(ワンダフル・カウンセラー)が内にいる幸い』
聖書箇所:旧約聖書・イザヤ書9章6節
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
こんにちは。いつもお祈りをありがとうございます。
きょうは特別にショート・メッセージをする恵みをいただけたことに感謝しております。
きょうは、まずイザヤ書の9章をお開きしました。
実は、一ヶ月ぐらい前に先生から、今回のショート・メッセージのお話をいただいた時は、全然別の場所を考えていました。
それで、おとといの金曜日の晩から、このショート・メッセージの準備に本格的にとり掛かった時は、まずその聖書箇所を開きました。
そして、高根教会の皆さんのことを思い浮かべながら、原稿を作っていこうと思いました。
そうすると、まず皆さんが礼拝の前に静まって心を整え、精神を集中させている姿が思い浮かびました。
それから、礼拝後には、皆さんはお互いによくお祈りし合っていますね。
そのようにお祈りの大切さもしっかりと知っていらっしゃいます。
そして、皆さんと一対一でお話した時のことを思い浮かべると、皆さんのお一人お一人の中にしっかりとイエス様がいらっしゃることを感じます。
皆さんはそういう素晴らしい信仰をお持ちだと思います。
そうすると、いまさら私がお話しすることなんか、何にもないんじゃないか、ということに気づいたんですね。
先生の分かりやすい説教をいつも聞いていて、そして、お祈りし合っていて、それらを通じて、皆さんのお一人お一人の中にはしっかりイエス様がいらっしゃいます。もう、それで十分な恵みだと思います。
ですから、どういう信仰を持つべきか、ということに関して今日は、これ以上私から語るべきことは何もないです。
それで今日は、イエス様が私たちの内にいらっしゃることが、なぜ、そんなに素晴らしいことなのかということ、そのことで最近私が示されていることをお話しすることにします。
イエス様が私たちの内にいてくださることは、なぜ大きな恵みなのでしょうか。
きょうはまず、イザヤ書9章6節をお読みしました。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。」
この男の子とは、言うまでもなく、イエス様のことです。
「主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
「不思議な助言者」、「力ある神」、「永遠の父」、「平和の君」、これらは全部、イエス様のことです。
このイエス様が私たちの内にいてくださいます。
素晴らしい恵みですね。
これらの中から、きょうは特に「不思議な助言者」に注目します。
「不思議な助言者」とは、どういうお方なのでしょうか。「不思議な助言者」。
何だか、不思議な響きがする言葉ですね。
この新改訳聖書の「不思議な助言者」という言葉は、新共同訳や、文語訳などでは、別の言葉が使われています。
でも、私はこの「不思議な助言者」が好きです。
そして英語訳では、私が調べた新欽定訳、新国際訳、現代英語訳のいずれも「Wonderful Counselor」になっていました。
「ワンダフル・カウンセラー」これも、いいですね。イエス様はワンダフルなカウンセラーなんですね。
でも、イエス様は、いったいどんな風にして私たちのカウンセラーになってくださっているのでしょうか。
その答えが、ヨハネの福音書の後半の、いわゆる告別説教と呼ばれる箇所に見ることができます。
イエス様はここで、「助け主」が私たちのために遣わされるとおっしゃっています。
お手元のプリントをご覧ください。
きょうは少し引用箇所が多くて、聖書のあちこちから引用してますので、基本的に、このプリントを見ていただくことにします。
・ヨハネ14:26
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」
天の父なる神様は、イエス様のお名前によって聖霊をお遣わしになります。その聖霊を、イエス様は「助け主」と呼んでいます。
実は、この助け主に当たる言葉に、英語の新国際訳では、やはりカウンセラーという言葉を用いています。
いまお読みしたヨハネ14:26には、この助け主・カウンセラーは私たちに全てのことを教えてくださる、と書いてあります。
全知全能の神が私たちに全てのことを教えてくださる、何とワンダフルなことでしょうか。
でも、あまりにスケールが大きすぎて、
あまりにワンダフル過ぎて、かえって分かりにくいような気もしますね。
それで、やはり、ここは人間のスケールで見てみることにしたく思います。
マタイの福音書の12章を見てみましょう。お手元の資料にあります。
・マタイ12:42(ここは、ルカ11:31にも同様の記事があります)
「南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。」
ダビデの子のソロモンは大変な知恵の持ち主として有名でしたが、イエス様の知恵はそのソロモンよりも優っているということが書いてあります。
これは当たり前のことかもしれません。しかし、ソロモンの知恵というのも、半端ではなくて相当なものです。
ソロモンの知恵がどれほどであったか、いまお読みしたマタイ12:42に「南の女王が知恵を聞くために地の果てから来た」とありますね。
南の女王とは、シェバの女王のことです。
シェバの女王とは、ちょっと古いですが、ポール・モーリアの音楽で有名になったシバの女王のことです。
シバの女王は、遠路はるばるソロモンの知恵を聞くためにエルサレムまで出掛けて行ったのです。
このように他の国の王がソロモンの所に来たことが、列王記第一の4章に、もう少し詳しく書いてあります。
「(4:29) 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。(30) それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。(32) 彼は三千の箴言を語り、(34) ソロモンの知恵を聞くために、
すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。」
このように、シェバの女王だけでなく、34節、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちが、ソロモンの知恵を聞くためにやって来ました。
そして、その前の32節、彼は三千の箴言を語り、と書いてあります。
皆さんがご存知の通り、ソロモンの箴言は旧約聖書の中に収められています。
聖書の箴言の分量がどれだけ多いか、再確認するためにちょっと、ここだけは聖書のページをめくってみましょう。
箴言は1057ページにあります。第2版ですと970ページです。
1章1節 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
1章7節 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
とあります。そして、ず~っとページをめくっていって、30章の手前の29章27節まで、ここまでがソロモンの箴言とされています。
これだけ知恵のあるカウンセラーが、もし私たちのすぐ身近にいたとしたら、私たちは、かなり安心して暮らしていくことができるのではないでしょうか。
そのカウンセラーよりも、イエス様はもっと優れた、ワンダフルなカウンセラーです。
そのワンダフル・カウンセラーが助け主となって私たちの内に住んでくださっているのです。
こうして助け主である聖霊は、いつも私たちに助言を与えてくださっています。
三千の箴言を語り、膨大な知識と知恵を持ったソロモンよりも、もっと優れた全知全能の神様が私たちの内にいて助言してくださっています。
ですから、私たちが前に進めなくなってしまった時も、内なる聖霊に全てをゆだねれば、不思議と導きが与えられます。
先が見えなくて途方に暮れた時でも、時間がたつと不思議と先が見えてくるようになります。
まさに不思議な助言者です。
きょうのこのショートメッセージを準備する時もそうでした。
おとといの晩まで、私は別の聖書箇所から語るつもりでいました。
でも、素晴らしい信仰をお持ちの皆さんの姿を思い浮かべているうちに、私が語るべきことなど何もないことに気付き、どうしたらいいか、先が見えなくなってしまいました。
しかし、イエス様におゆだねして祈っているうち、きょうの、このメッセージが示されました。
本当にイエス様は不思議な助言者だということを実感しています。
不思議な助言者、ワンダフル・カウンセラーは、本当に心強いお方です。
ですから、すべてゆだねていれば良いわけです。しかし、これほど心強いお方であるにも関わらず、このお方は、私たちが自分中心の罪に陥ると、簡単にしりぞいてしまいます。
信仰の世界は本当に逆説に満ちた不思議な世界だと思います。
ワンダフル・カウンセラーは、素晴らしく頼りになる心強い存在ですが、 私たちが自分の欲望にとらわれて自分中心になると、簡単に退いていってしまいます。
神様と私たちとの関係はそれほどまでにデリケートなのだということです。
私たちは、このことをしっかりと自覚しておく必要があると思います。
ワンダフル・カウンセラーに、私たちの内にいつもいていただくために、私たちは自己中心の罪に陥らないようにしなければなりません。
自分を捨て、すべてをイエス様にゆだねていかなければなりません。
しかし、これは自分の力では無理なことです。
神様の力をもってして、でなければ、できないことです。
神様が私たちをきよめてくださるということを信じて、神様にゆだねなければなりません。
神様の力を信じれば、不思議な助言者であるイエス様はいつも私たちの内にいてくださり、私たちをいつも正しく導いていってくださいます。
この素晴らしいお方がいつも私たちの内にいてくださり、私たちを喜びで満たしてくださるよう、お互いに祈り合っていきましょう。
そして、まだこの素晴らしい恵みを知らない方々に、イエス様が内にいてくださることの幸いを伝道していきましょう。
でも、私は今回のことで、あまり興奮し過ぎると神様の御前で静まることができなくなり、神様との交わりが全く持てなくなることが良く分かりましたので、ほどほどにしようと思います・・・が、そうできるかな?
昨日は高根教会の午後の聖別会でショート・メッセージのご奉仕をしました。以下は全文原稿です。
高根教会聖別会・ショートメッセージ
(2010年2月21日)
『不思議な助言者(ワンダフル・カウンセラー)が内にいる幸い』
聖書箇所:旧約聖書・イザヤ書9章6節
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
こんにちは。いつもお祈りをありがとうございます。
きょうは特別にショート・メッセージをする恵みをいただけたことに感謝しております。
きょうは、まずイザヤ書の9章をお開きしました。
実は、一ヶ月ぐらい前に先生から、今回のショート・メッセージのお話をいただいた時は、全然別の場所を考えていました。
それで、おとといの金曜日の晩から、このショート・メッセージの準備に本格的にとり掛かった時は、まずその聖書箇所を開きました。
そして、高根教会の皆さんのことを思い浮かべながら、原稿を作っていこうと思いました。
そうすると、まず皆さんが礼拝の前に静まって心を整え、精神を集中させている姿が思い浮かびました。
それから、礼拝後には、皆さんはお互いによくお祈りし合っていますね。
そのようにお祈りの大切さもしっかりと知っていらっしゃいます。
そして、皆さんと一対一でお話した時のことを思い浮かべると、皆さんのお一人お一人の中にしっかりとイエス様がいらっしゃることを感じます。
皆さんはそういう素晴らしい信仰をお持ちだと思います。
そうすると、いまさら私がお話しすることなんか、何にもないんじゃないか、ということに気づいたんですね。
先生の分かりやすい説教をいつも聞いていて、そして、お祈りし合っていて、それらを通じて、皆さんのお一人お一人の中にはしっかりイエス様がいらっしゃいます。もう、それで十分な恵みだと思います。
ですから、どういう信仰を持つべきか、ということに関して今日は、これ以上私から語るべきことは何もないです。
それで今日は、イエス様が私たちの内にいらっしゃることが、なぜ、そんなに素晴らしいことなのかということ、そのことで最近私が示されていることをお話しすることにします。
イエス様が私たちの内にいてくださることは、なぜ大きな恵みなのでしょうか。
きょうはまず、イザヤ書9章6節をお読みしました。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。」
この男の子とは、言うまでもなく、イエス様のことです。
「主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
「不思議な助言者」、「力ある神」、「永遠の父」、「平和の君」、これらは全部、イエス様のことです。
このイエス様が私たちの内にいてくださいます。
素晴らしい恵みですね。
これらの中から、きょうは特に「不思議な助言者」に注目します。
「不思議な助言者」とは、どういうお方なのでしょうか。「不思議な助言者」。
何だか、不思議な響きがする言葉ですね。
この新改訳聖書の「不思議な助言者」という言葉は、新共同訳や、文語訳などでは、別の言葉が使われています。
でも、私はこの「不思議な助言者」が好きです。
そして英語訳では、私が調べた新欽定訳、新国際訳、現代英語訳のいずれも「Wonderful Counselor」になっていました。
「ワンダフル・カウンセラー」これも、いいですね。イエス様はワンダフルなカウンセラーなんですね。
でも、イエス様は、いったいどんな風にして私たちのカウンセラーになってくださっているのでしょうか。
その答えが、ヨハネの福音書の後半の、いわゆる告別説教と呼ばれる箇所に見ることができます。
イエス様はここで、「助け主」が私たちのために遣わされるとおっしゃっています。
お手元のプリントをご覧ください。
きょうは少し引用箇所が多くて、聖書のあちこちから引用してますので、基本的に、このプリントを見ていただくことにします。
・ヨハネ14:26
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」
天の父なる神様は、イエス様のお名前によって聖霊をお遣わしになります。その聖霊を、イエス様は「助け主」と呼んでいます。
実は、この助け主に当たる言葉に、英語の新国際訳では、やはりカウンセラーという言葉を用いています。
いまお読みしたヨハネ14:26には、この助け主・カウンセラーは私たちに全てのことを教えてくださる、と書いてあります。
全知全能の神が私たちに全てのことを教えてくださる、何とワンダフルなことでしょうか。
でも、あまりにスケールが大きすぎて、
あまりにワンダフル過ぎて、かえって分かりにくいような気もしますね。
それで、やはり、ここは人間のスケールで見てみることにしたく思います。
マタイの福音書の12章を見てみましょう。お手元の資料にあります。
・マタイ12:42(ここは、ルカ11:31にも同様の記事があります)
「南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。」
ダビデの子のソロモンは大変な知恵の持ち主として有名でしたが、イエス様の知恵はそのソロモンよりも優っているということが書いてあります。
これは当たり前のことかもしれません。しかし、ソロモンの知恵というのも、半端ではなくて相当なものです。
ソロモンの知恵がどれほどであったか、いまお読みしたマタイ12:42に「南の女王が知恵を聞くために地の果てから来た」とありますね。
南の女王とは、シェバの女王のことです。
シェバの女王とは、ちょっと古いですが、ポール・モーリアの音楽で有名になったシバの女王のことです。
シバの女王は、遠路はるばるソロモンの知恵を聞くためにエルサレムまで出掛けて行ったのです。
このように他の国の王がソロモンの所に来たことが、列王記第一の4章に、もう少し詳しく書いてあります。
「(4:29) 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。(30) それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。(32) 彼は三千の箴言を語り、(34) ソロモンの知恵を聞くために、
すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。」
このように、シェバの女王だけでなく、34節、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちが、ソロモンの知恵を聞くためにやって来ました。
そして、その前の32節、彼は三千の箴言を語り、と書いてあります。
皆さんがご存知の通り、ソロモンの箴言は旧約聖書の中に収められています。
聖書の箴言の分量がどれだけ多いか、再確認するためにちょっと、ここだけは聖書のページをめくってみましょう。
箴言は1057ページにあります。第2版ですと970ページです。
1章1節 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
1章7節 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
とあります。そして、ず~っとページをめくっていって、30章の手前の29章27節まで、ここまでがソロモンの箴言とされています。
これだけ知恵のあるカウンセラーが、もし私たちのすぐ身近にいたとしたら、私たちは、かなり安心して暮らしていくことができるのではないでしょうか。
そのカウンセラーよりも、イエス様はもっと優れた、ワンダフルなカウンセラーです。
そのワンダフル・カウンセラーが助け主となって私たちの内に住んでくださっているのです。
こうして助け主である聖霊は、いつも私たちに助言を与えてくださっています。
三千の箴言を語り、膨大な知識と知恵を持ったソロモンよりも、もっと優れた全知全能の神様が私たちの内にいて助言してくださっています。
ですから、私たちが前に進めなくなってしまった時も、内なる聖霊に全てをゆだねれば、不思議と導きが与えられます。
先が見えなくて途方に暮れた時でも、時間がたつと不思議と先が見えてくるようになります。
まさに不思議な助言者です。
きょうのこのショートメッセージを準備する時もそうでした。
おとといの晩まで、私は別の聖書箇所から語るつもりでいました。
でも、素晴らしい信仰をお持ちの皆さんの姿を思い浮かべているうちに、私が語るべきことなど何もないことに気付き、どうしたらいいか、先が見えなくなってしまいました。
しかし、イエス様におゆだねして祈っているうち、きょうの、このメッセージが示されました。
本当にイエス様は不思議な助言者だということを実感しています。
不思議な助言者、ワンダフル・カウンセラーは、本当に心強いお方です。
ですから、すべてゆだねていれば良いわけです。しかし、これほど心強いお方であるにも関わらず、このお方は、私たちが自分中心の罪に陥ると、簡単にしりぞいてしまいます。
信仰の世界は本当に逆説に満ちた不思議な世界だと思います。
ワンダフル・カウンセラーは、素晴らしく頼りになる心強い存在ですが、 私たちが自分の欲望にとらわれて自分中心になると、簡単に退いていってしまいます。
神様と私たちとの関係はそれほどまでにデリケートなのだということです。
私たちは、このことをしっかりと自覚しておく必要があると思います。
ワンダフル・カウンセラーに、私たちの内にいつもいていただくために、私たちは自己中心の罪に陥らないようにしなければなりません。
自分を捨て、すべてをイエス様にゆだねていかなければなりません。
しかし、これは自分の力では無理なことです。
神様の力をもってして、でなければ、できないことです。
神様が私たちをきよめてくださるということを信じて、神様にゆだねなければなりません。
神様の力を信じれば、不思議な助言者であるイエス様はいつも私たちの内にいてくださり、私たちをいつも正しく導いていってくださいます。
この素晴らしいお方がいつも私たちの内にいてくださり、私たちを喜びで満たしてくださるよう、お互いに祈り合っていきましょう。
そして、まだこの素晴らしい恵みを知らない方々に、イエス様が内にいてくださることの幸いを伝道していきましょう。
コメント
_ たなかやすこ ― 2010年02月23日 11時25分
_ S.KOJIMA ― 2010年03月07日 22時17分
田中さん
やっとで、レポートを後一つ残すのみになりました。
高根、深川での奉仕も、あとわずかになりました。両教会で良い学びができて感謝でした。
来年度はどの教会に派遣されるのか、とても気になり始めています。
やっとで、レポートを後一つ残すのみになりました。
高根、深川での奉仕も、あとわずかになりました。両教会で良い学びができて感謝でした。
来年度はどの教会に派遣されるのか、とても気になり始めています。
私もワンダフルという言葉の響きが好きで、口ずさんでいるうちに、讃美歌も意外とWonderfulがつくものが多いのに気付きました。
インマヌエル讃美歌552「くすしきかな救い主」
A Wonderful Saviour is Jesus my Lord
275「たえにくすしきイエスの愛よ」
Wonderful Grace of Jesus
525「いかなれば 」 Wonderful Saviour
私の一押しは最初の552番です。♪主はその愛の深みにわが命守り、疲れ果て渇ける地にその手にて覆い、我を隠したもう♪
このさびの部分にはいつも神さまの慰め、救いを感じてぐっときます。
不思議な助言者ということばいいですね。こちらに変更されたということですが、結果、とてもよい血が騒ぐ説教だと思います。
きっとイエスさまに助言していただいたのですね。